>>37
>ところで「その責任」は他に誰に預ければいいと考えてますか?
私はそれは酒類を提供する会社であって、高い酒税を設けている国であって、CMを放送するメディアであって、もちろんそれを飲む人々、その集まりである社会全体も含まれると思っています。
私が先のレスで引用したパラケルススの言葉を用いれば、その物質の毒性はその物質そのものではなくその量が、つまりその量を管理する健康な人の判断力によってのみ、定められるはずです。
ですがその人が必ずしも、その時々に応じて適切な判断をくだし得る保証はあるのでしょうか?私はないと思います。
お酒というのは、すでにご存知かと思いますが、人の思考力判断力を鈍らせる効果があり、お酒そのものがその人の好む好まざるに関わらず、人に間違った判断をさせることがあります。
もちろん、それはお酒を自分の意思で飲んだのだから、あなたの責任と一蹴してしまうのは簡単ですが、「飲み始めて、許容量を超えてお酒を飲む」という決定に、お酒の影響が関与していないとは言いがたいと思います。
また、アルコールハラスメントとおっしゃった通り、残念ながら飲む飲まないという決定が、自分の意思だけでは行われにくいような現実もあります。
話が変わって、たとえばアメリカで凄惨な銃乱射事件が起きたとき、決まって銃規制が話題に上り、そしてこれも決まって、米ライフル協会が「銃ではなく人が...」と言いますよね。
ですが考えてみてください。たとえば包丁で殺傷事件が起きた時には、包丁の規制は叫ばれない。車で煽り運転や高齢者の逆走があって、その人の人格を非難したり、免許の返納を求めたり(これはあまり意味がないと思いますが)する声はあっても、車そのものの是非が問われることはないですよね。
これはなぜか。
それは、包丁や車が我々の生活にとって欠かせないものだからにほかなりません。もっといえば、包丁や車がもたらす害そのものよりも、あずかる恩恵のほうが、ずっと大きいからです。
つまり物事の是非は、その利益と不利益の勾配にやって決定されるわけあって、間違っても利益ないし不利益のみが強調されて下される決定は、適切とはいえません。
私はアルコールなら即ち規制せよまでは言いません。
しかし、その危険性に関してまだまだ周知に至っているとは言いがたく、またアルコールにまつわる失敗を、治療効果がある精神病薬やワクチンに少しでも副作用らしいものが出ると盛んに言い散らすのにも関わらず、ちょっとした誤ちといった感じで面白おかしく報じるメディアの無神経さにも腹を立てています。
お酒はドラックです。日本という国の今という時代において、たまたま認可されているにすぎません。
正確には主張=感想です。私は主張とは根拠と意見の事だと考えています。根拠は論拠でも構いません。意見の部分は根拠を総合して思った事とも言えますので、感想と強弁する事は可能です。
君は主張とは論拠が必要であると言いました。であるならば、卑怯の部分も主張であるべきと考えるべきです。その具体的な内容は>>38にて拡げられています。聞けば容易に辿りつくのに感想だとして主張を封じ込める。議論の手続きとして謝っていると思います。
>>25も>>38も俺は素晴らしい意見だと思うよ
一つ聞きたいことがあるんだが…
喫煙年齢の引き下げって本人の健康被害以外にどんなリスクがあると思う?
未成年の「タバコと酒」って…ついつい一緒くたに悪者セット扱いされがちなんだが、タバコは、アルコールのような人付き合いで無理に吸わされるものでもないし、喫煙することで意識が錯乱し、事件・事故に繋がるものでもないと俺は思っている
東京オリンピックが近づき、最近、ますます喫煙者が肩身がせまい状況にあるんだが…
店内禁煙の飲食店のメニュー表には未だにフツーに酒が掲載されていて置かれているわけなんだが、飲酒運転事故の多さを考えれば、むしろ禁煙以上にアルコールを警戒して酒を一切置かない店作りに変えた方がいい思うんだが…
まあ、つまり俺はタバコとアルコールは区別して考えて喫煙年齢の引き下げくらいは行ってもいいと考えてる
タバコは大規模な疫学調査によって明確な健康被害があることは否定できないものの、たしかに分煙すればニオイ程度しか困らないのでお酒とは分けて考えるべきだと思います。
>>68
ちなみに私はこの破綻に気づいて、>>38の中盤に慌てて「飲み続けることの判断」「自分の意思で飲まない場合もある」へ舵を切ったので、ふつうにここを突かれると「えげつない論破」にはなったと思います。
パラケルススの例えは、あらゆるものの毒性を本人の裁量に預けているから、むしろ主張を破綻させえるモノでしたね。これはまずかった。