>>193
>当時の科学の話ですね。聖書が科学を超えていたのは肉眼で観察していた時代です。
地球が真空に浮いていることが、肉眼で観察出来なかった時代に記されました。
>上を行っているなら、天動説なんていう怪奇な論はでてこなかったはずです。
詩篇104:5
神は地の基をその定まった場所に置かれました。それは定めのない時に至るまで,まさに永久によろめかされることがありません。
上記聖句の誤解釈から生じた説でした。定まった場所は軌道とも解釈が出来ます。この聖句の論旨は地球の恒久性であり、太陽と地球の位置関係ではないと解釈の調整がありました。
>定まった場所は軌道とも解釈が出来ます。
それって…“詩”という形式をとる事によって無限の拡大解釈が可能な聖句(?)とやらを用いた詭弁に過ぎませんよね?
これをダウンサイジングして例えれば、運行中の山手線の車輌内で仁王立ちした乗客が
「私はこの場所を一歩も動いていません。」と言い張るが如き、無意味な主張だと思います。
>地球が真空に浮いていることが、肉眼で観察出来なかった時代に記されました。
星を見れば何かに浮いていると感じることは可能です。古代ちうごくの宣夜説も似たようなものですが、これも肉眼での観測の結果ですので肉眼で導き出すことは可能です。
さらにちきうは真空に浮いておりません。うちうは真空ではありません。
>上記聖句の誤解釈から生じた説でした。定まった場所は軌道とも解釈が出来ます。この聖句の論旨は地球の恒久性であり、太陽と地球の位置関係ではないと解釈の調整がありました。
軌道は将来的に変わる可能性がありますけどね。