>>218
カーリーさん、メッセージをありがとうございます。
>では最も神に近い国はどうでしょうか。キリスト教を国教とする国は以下があります。
神の王国とキリスト教国とは別物です。以下の聖句の通り、「復活後」に神の王国があります。
ヨハネ3:3
イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。
また以下の聖句の通り、現在は国を問わず、全世界がサタンに支配されている、と聖書は教えています。
ヨハネ第一5:19
全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています。
>これらの国は成功していると言えるのでしょうか。言えませんね。神の教えが浸透しているにも関わらず、上手くいっていません。神が収めたとしても同様でしょう。これらは事実なので明確な説得力がある事になりますね。
これらの国も成功していません。神の王国ではありませんし、神の言葉である聖書にも従っていません。「世のキリスト教の教え」は、意識的或いは無意識的に「神の言葉である聖書の教え」と異なっています。簡単に言うならば、イエスの教えから背教しているのが大半のキリスト教会です。
三位一体は聖書の教えではありません。マリア崇敬も聖書の教えではありません。ロザリオの祈りも、マリア像も十字架などの偶像崇拝も聖書の教えに反しています。戦争容認や同性愛擁護、進化論許容も同様です。聖職者の独身制度もそうです。クリスマスもイースターもハロウィーンも同様です。全て聖書に根ざした教えではなく、異教由来のものです。魂の不滅性や地獄の概念も同様です。キリスト教の皮を被った異教やギリシャ哲学のものです。
聖書の本当の教えと、世の偽りのキリスト教会を混同してはいけません。
>神の王国とキリスト教国とは別物です。以下の聖句の通り、「復活後」に神の王国があります。
ではキリスト教は何の効果も無いという事ですね。神の王国こそが万能である。しかしキリスト教は万能ではない。キリスト教を国教としている国が成功していないからです。
さてそうすると、以下の文言が問題となります。
>論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。
そしてこうも言っている。
>イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。
誰も神の王国を見る事は出来ないという。ならば事実として存在する事は出来ない。誰も確認出来ないからです。であるならば明白な説得力は無い事になる。
>一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。
聖書の言葉は事実を示していません。よって聖書の教えは紛い物となります。