>>253
>サタンの誘惑は強力です。
神の説得力はそれに劣るのでしょう?
>救われたいと思い、真剣に努力を払う人間を「全員」、神は救います。
救われたいと思っている時点で誘惑に負けたり、洗脳されたりしているようには思えませんが。事実上、神は救うべき人を誰一人救っていない、ということになりかねません。
>エデンの園は完全でした。今後に回復される神の王国も完全です。しかし現在の世界は非常に不完全です。
計画が完全ならばサタンに支配させることもないだろう。また、妨げになっているサタンをなぜつくったのかも疑問。
>大群衆が復活するのは将来のことです。
その根拠は?
>一方で、アゲハ蝶の完全変態は進化論でどの様に説明されるのですか。蛹の中で体がドロドロになり完全に姿を変えることも、突然変異や適応で説明がつくのですか?
蛹は基本的には鳥の卵と変わらない。別に不思議でもない。また、脱皮に比べて失敗する確率が低いとも言われているので、有効だと思われる。虫なんかは世代交代が早いから進化した結果と言える。
>>249
>何故、材料の全てを使わなければいけないのでしょうか。必要な材料を必要な割合で使えば良いでしょう。
塵を固めるだけではダメなんですよ。塵から適当な物質を摘出して、それから上手くやらないとダメ。塵に含まれる元素だけで生物が生まれることはない。 例えばRNAは地球にはありません。無論、塵にも含まれません。
参考:https://www.somersetlive.co.uk/Life-Earth-started-comet-meaning-chance-life/story-29070441-detail/story.html
>生活環境に依存しない絶対的な根拠がありますか。
医学に頼らない場合、125歳が限界だと言われています。歳を取ると細胞にガタがくるので、900歳なんて癌だらけですよ。
>存在しないと思う段差に人が躓く時、主観的世界と客観的真実が衝突し、客観的真実が勝ち、先ず躓きます。躓いた直後に、客観的真実に即して主観的が調整されます。つまり主観的世界を超えた客観的真実が存在します。
あくまで観測者や当事者が新たな事実を発見したに過ぎない。 我々は物事を極めて感覚的、主観的に捉えている。その中に絶対的な客観的事実が介入する余地はない。
>神の説得力はそれに劣るのでしょう?
子持ち既婚者の男性を、或る容姿の美しい女性が誘惑するとします。この誘惑の力がサタンの強力な力です。
一方、神の教えはこうです:
出エジプト20:14
姦淫をしてはならない。
これは只の説得力のバトルですか。あなたは誘惑に負けますか。その結果はどうなるでしょうか。
>救われたいと思っている時点で誘惑に負けたり、洗脳されたりしているようには思えませんが。事実上、神は救うべき人を誰一人救っていない、ということになりかねません。
ごめんなさい。論点が分かりませんでした。
>計画が完全ならばサタンに支配させることもないだろう。また、妨げになっているサタンをなぜつくったのかも疑問。
>>46をご参照下さい。
>大群衆が復活するのは将来のことです。
その根拠は?
復活のタイミングにつき、聖書はこう教えています。
ヨハネ6:39
私を遣わした方が望むこととは,私が,託された全ての人を一人も失うことなく※終わりの日に復活させる※ことです。
>蛹は基本的には鳥の卵と変わらない。別に不思議でもない。また、脱皮に比べて失敗する確率が低いとも言われているので、有効だと思われる。虫なんかは世代交代が早いから進化した結果と言える。
蛹が卵と同じというのは興味深いと思いました。
しかし私にはアゲハ蝶の完全変態が適応によると思えません。世代を追って徐々にキリンの首が伸びるのと訳が違います。完全変態に失敗した世代は、次世代に少しの改善も継承出来ません。一方、突然変異はどうでしょうか。体が蛹の中でドロドロになり完全変態を遂げることは突然変異で成功出来るとも思えない。進化論を信じている方は、どの様に腹落ちしているのでしょうか。
そこに創造者の意志と設計が働いている、と考える方が正しい様に思えます。
>塵を固めるだけではダメなんですよ。塵から適当な物質を摘出して、それから上手くやらないとダメ。
宇宙を造られた神であれば「上手くやれる」でしょう。
>塵に含まれる元素だけで生物が生まれることはない。 例えばRNAは地球にはありません。無論、塵にも含まれません。
リンク切れしている様です。RNAが良く分かりませんが、「地球に無い」のに「生物にある」のですか?因みに以下の聖句の通り、人間は土からの材料だけで出来ている訳ではありません。
創世記2:7
それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に※命の息※を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
>医学に頼らない場合、125歳が限界だと言われています。
その根拠は寿命の実績でしょう。ですから根拠が相対的です。140歳生きる人が現れたなら、答えは調整されるでしょう。
旧約聖書が書かれた時代、僅か数世代前が数百年生きた記憶が未だ鮮明に残っており、創世記5章に詳細に記録されました。当時の人々は「実績」を未だ記憶していました。
何故、古代の人は長寿だったのか。当初、アダムは完全な体を持っていました。アダム自身の罪により、その体は不完全になりました。歪んだ型から作られる型が徐々に歪んでいく様に、世代を追って不完全さは増大していきました。言い換えると、古代の人は後代よりも未だ完全に近かったのです。
(一方で近代の寿命が延びているのは、栄養と医学によります。)
更に余談ですが、以下の聖句の通り、ノアの時代の大洪水の前は、雨が降らず、水が天を覆い、空気は水分を多く含んでいました。宇宙からの有害な光線から守られていたのかもしれません。
創世記1:7
そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。
創世記2:5-6
エホバ神は地に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである。ただ,霧が地から立ち上って地の全面を潤していた。
>歳を取ると細胞にガタがくるので、900歳なんて癌だらけですよ。
細胞は常に再生しています。
体が完全にされる時、病自体が無くなります。
イザヤ33:24
そして,「わたしは病気だ」と言う居住者はいない。その地に住んでいる民は,自分のとがを赦された者たちとなるのである。
現代科学で理解出来ないことにつき、謙遜な科学者は全否定はしないでしょう。当代の科学が覆された事例は多くあると、歴史から知っているからです。
続きです。
>あくまで観測者や当事者が新たな事実を発見したに過ぎない。 我々は物事を極めて感覚的、主観的に捉えている。その中に絶対的な客観的事実が介入する余地はない。
確かに人は主観的に世界を捉えています。しかし認識していなかった段差は※主観世界の外※にあり、主観世界に外から作用して調整をもたらしました。つまり主観世界は全てではない。その外があり、それが客観的真実です。
例えば或る静かな部屋、これは主観世界です。しかし本当に静かなのでしょうか。ラジオを持ち込んでみましょう。すると空間はニュースや音楽で満ち、うるさくなります。静かに※思えた※部屋の空間には、実は音楽やニュースが飛び交っていた。これが客観的真実です。ラジオを持ち込み、主観世界に認識される前から、それは真実でした。主観世界が捉えられるかどうかに関わらず、客観的真実は存在します。