>>270
>君は「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。
聖書は万人にとって真理であると考えています。
>君の論理の根拠は聖書だけです。しかし聖書は所詮は思想の寄せ集めであるので、矛盾を生じます。
聖書は神の言葉と信じています。矛盾と思える点が誤解であることを説明しています。
>普及の話でしょう?何部翻訳されたかが別の話なら、翻訳数での君の反論は自分で否定するという事ですか?
新世界訳は比較的新しいものです。累積部数では最多ではないでしょう。
>それと君の使用している新世界訳はサタンにすり替えられていないとは検証していませんよね。「その聖書は真実の聖書なんですよね?」に対する回答ですよね?すり替えられているかもしれない聖書を信奉する動機って何ですか?すり替えられていない聖書ってどこにあるのですか?どうやってすり替えられていないと確認するのですか?
原文が見つかっていない為、完璧な写本は特定出来ません。しかし様々な写本の比較的から、高い精度で原文が復元されています。より原文に近いという意味で、新世界訳は素晴らしいと思います。しかし完璧ではないでしょう。
そもそも翻訳という作業自体、原文から必然的に乖離をもたらします。言語毎に構造や音、ニュアンスが異なります。また時代を経ると、言葉は変化します。
>エホバの名が残された、又は神や主という言葉で置き換えられたらサタンにすり替えられたものではない?そんな改ざんなどサタンなら容易でしょう?しかしサタンにすり替えられても実質的な内容は同じ?どういう事ですか?サタンはキリスト教信者なのですか?
先程引用した箴言3:5で比較してみましょう。
新世界訳版聖書
心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。
新改訳版聖書
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
後者では神の名が置き換えられています。しかし教えの本質は同じです。
>サタンがすり替えたのに中身は実質同じという。そしてサタンの勝利ではないという。すり替えに成功しているのに、全く別の内容になってはいないから勝利ではないとは。その場しのぎの言い訳にしか聞こえません。
上記の例で、聖書の教えは実質同じではありませんか。
(違いは主が何を意味するかが曖昧になりました。本当は父エホバを指しているのに、子イエスを指していると勘違いする可能性があります。)
>原文が見つかっていない為、完璧な写本は特定出来ません。→より原文に近いという意味で、新世界訳は素晴らしいと思います。
何だか;‥もはや主張そのものがムチャクチャですよね?
「見た事も無い人の顔にそっくり」みたいな理屈ですよ、ソレ…。