>全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
思うに、聖書の解釈で自分と違うものは全てサタンの手先としているのではないですか?だから同じ聖書を信じる人であっても、解釈の齟齬からサタン呼ばわりしてるだけではないですか?
他人を否定する事で自分を肯定しようとするのは、同じ理屈で自分が否定されます。そのようなものは真理とは言えません。自分が否定される理屈を自分で作り出しているからです。
>調べると異教にルーツがあることが分かります。
>由来は4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスだというのが一般的です。
カトリックも聖書をベースにしているはずですが。自分以外は全てサタン呼ばわりしているだけですね。実質同じなら異教として否定するべきではありません。サタン呼ばわりするのを撤回するべきです。
そもそもキリスト教をサタンと関連するからと否定したのだから、聖書単独では宗教足りえないはずですが。何教をベースとして異教呼ばわりしてるのでしょうか。矛盾しています。
>論拠をお示し下さい。
論拠も何も、君がキリスト教をサタンと関連するからと否定したではありませんか。
>神は復活しません。先ず父なる神エホバを滅ぼせません。
はて。そうすると人間を滅ぼす理由はありません。同罪報復によれば滅ぼされたら滅ぼして良い事になります。神が滅びないのなら人間を滅ぼす道理がありません。
>日本の法律では
窃盗と税務は関連がありません。凶器を没収出来るのは法定されているからです。死刑執行は殺人罪になりません。これも法定されています。
十戒には日本の法律は記載されていません。何が言いたいのですか?十戒に盗むなとあるのだから神も盗んではいけません。自由意思を認めたのだから神を否定しても神は文句は言えません。しかし滅ぼすと言う。全く辻褄が合いません。やはり矛盾しています。
否定したら即滅ぼすというのも飛躍のしすぎです。聖書が教え導くべきです。従わなかったら滅ぼすとはとんでもない教師がいたものです。まあサタン聖書なのだから矛盾していても仕方ないでしょう。
>何の答えを求めていますか。聖書から回答します。
これに回答していません。
>>252
>>サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
>多くの人がここで悩みます。私の場合、遠回りをした為に20年以上を理解に要しました。自由意志、そして神の公正さについて、深く考察してみて下さい
プログラミングをする際、バグを生じないようにしますよね。万一バグが生じたら書き直すものです。
神もバグを生じないよう、自分の理想とするプログラムを作れば良い。しかし神に反するプログラムはずっと残ったままだし、布教をするキリスト教を任せるという不始末もしている。神を否定した人間を滅ぼすとしているのに、神を否定するサタンは滅ぼさないばかりか助長させている。神とはサタンなのですか。とっても不思議ですね。
>自由意志とは何ですか。神は自由意志をお与えになりました。
自由な意思活動の事だと思いますが。違うのですか?
そもそもなぜ人間にだけ自由意思を与えたのでしょうか。現代では動物にも自由意思が認められていますが。エサを選択していますよね。聖書からお答えください。
>実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
では何処が実質違うのか具体的に示して頂けますか。
>思うに、聖書の解釈で自分と違うものは全てサタンの手先としているのではないですか?だから同じ聖書を信じる人であっても、解釈の齟齬からサタン呼ばわりしてるだけではないですか?
例を挙げて話しましょう。聖書の何処にマリア崇敬が薦められているのかお示し下さい。
>由来は4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスだというのが一般的です。
狼は羊の皮を被ります。より深く調べて下さい。何故トナカイを使うのですか、何故トナカイは空を飛ぶのですか。聖書の何処に、その由来が見つかりますか。
>カトリックも聖書をベースにしているはずですが。自分以外は全てサタン呼ばわりしているだけですね。実質同じなら異教として否定するべきではありません。サタン呼ばわりするのを撤回するべきです。
先の聖母マリア崇敬を聖書から擁護出来ますか。
カーリーさん、そろそろ具体的な話をしませんか。
>そもそもキリスト教をサタンと関連するからと否定したのだから、聖書単独では宗教足りえないはずですが。何教をベースとして異教呼ばわりしてるのでしょうか。矛盾しています。
先ず聖書が何を教えているか見てみたいと思います。
申命記6:4-5
聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです。 あなたは,心を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければなりません。
神はエホバであると書かれています。
以下の通り、律法学者の質問に答える際、イエスご自身、同聖句を引用されました。
マルコ12:29-30
イエスは答えた。「第一はこうです。『聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバであり, あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない』。
対して律法学者はこう答えます。
マルコ12:32
律法学者は言った。「先生,『神はただひとりであり,そのほかにはいない』と,真理に沿ってよくおっしゃいました。
この律法学者の発言も以下の申命記の聖句に基づいています。
申命記4:35
エホバこそ真の神であることをあなたが知るためです。そのほかにはいないのです。
イエスは彼の回答が合っていると認めます。
マルコ12:34
イエスは,この人が的確に答えたのを見て,「あなたは神の王国から遠くありません」と言った。
つまり神は一人だけであり、エホバだけだということです。
パウロも父なるエホバだけが神であり、子であるイエスは神と区別して「主」と述べています。
コリント第一8:4-6
神はひとりしかいないことを知っています。 多くのものが「神」や「主」と呼ばれており,天や地のさまざまな神が信じられていますが, 私たちには父であるひとりの神がいて,この方によって全てのものがあり,私たちはこの方のために存在しています。また,ひとりの主イエス・キリストがいて,この方を通して全てのものがあり,私たちはこの方を通して存在しています。
イエスは主であり神でないことを確認しました。では崇拝すべき対象は誰でしょうか。
ルカ4:8
イエスは答えた。「『あなたが崇拝すべきなのはエホバ神であり,この方だけに神聖な奉仕をしなければならない』と書いてあります」。
イエスのこの答えは下記の聖句が基になっています。
申命記10:20-21
あなたの神エホバを畏れなさい。この方に仕え,しっかりと付き,その名に懸けて誓うべきです。 この方こそあなたが賛美すべき方で,あなたの神であり,
続きます。
イエスは主であるが神ではなく、また崇拝すべきは唯一の神であるエホバだと聖書で確認しました。
カーリーさんが提起した異教の話に戻ります。色々な異教やギリシャ哲学の要素が、世のキリスト教会には混ざっています。先の確認事項を踏まえた上で、今回はマリア崇敬を考えてみます。
確認出来た通り、イエスは神ではないので、マリアは神の母ではありません。また崇拝はエホバだけが対象であり、マリアに捧げるものではありません。
マリアは信仰のある素晴らしい女性でした。しかし崇敬の対象ではありません。マリアを讃えた女性にイエスはどう反応したでしょうか。
ルカ11:27-28
イエスがこれらのことを話していたところ,群衆の中からある女性がイエスに大声で言った。「あなたを産んで乳を飲ませた女性は幸福です!」 しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」
イエスは「その通りです。私の母を讃美しなさい」とは言いませんでした。
これらの聖書の教えに反して、イエスの死の約400年の後、西暦431年のエフェソス公会議にて、マリアはテオトコス(神の母)と宣言され、特別な立場が与えられました。
さてエフェソスとはどの様な土地だったでしょうか。以下の聖句にも記録されている通り、女神アルテミス信仰が盛んな都市でした。
使徒19:34-35
みんなからいっせいに叫び声が起こり,彼らは約二時間もの間,「偉大なのはエフェソス人のアルテミス!」と叫びたてた。最後に,市の記録官が,群衆を静めてからこう言った。「エフェソスの皆さん,エフェソス人の都市が,偉大なアルテミスと天から降ってきた像との神殿を守護する者であることを知らない人がいったいいるだろうか。
女神信仰の盛んな土地でした。世のキリスト教は女神的要素を取り入れることで、改宗のハードルを下げ、信者を増やしました。教義を曲げることで、勢力を拡大しました。権力が真理より優先されました。つまり背教行為です。
>論拠も何も、君がキリスト教をサタンと関連するからと否定したではありませんか。
背教したキリスト教会、そうでないキリスト教会があります。その教会の教えと聖書の教えとを照らし合わせると見極められます。
>はて。そうすると人間を滅ぼす理由はありません。同罪報復によれば滅ぼされたら滅ぼして良い事になります。神が滅びないのなら人間を滅ぼす道理がありません。
掟の話をするのであれば、等価の法則だけでなく、以下も予め定められていました。
創世記2:17
しかし,善悪の知識の木の実は,食べてはならない。それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである」。
申命記30:19-20
私は今日,天と地を証人にして,あなたの前に,命と死,祝福と災いを置きました。あなたは生きるために,命を選ばなければなりません。あなたもあなたの子孫もです。 すなわち,あなたの神エホバを愛し,神の言うことを聞き,神にしっかり付くのです。
>窃盗と税務は関連がありません。凶器を没収出来るのは法定されているからです。死刑執行は殺人罪になりません。これも法定されています。
上記の通り、滅びも制定されていました。
>十戒には日本の法律は記載されていません。何が言いたいのですか?十戒に盗むなとあるのだから神も盗んではいけません。自由意思を認めたのだから神を否定しても神は文句は言えません。しかし滅ぼすと言う。全く辻褄が合いません。やはり矛盾しています。
司法者には司法権があり、法に則して行うならば、窃盗や殺人罪にならないという論旨です。
>否定したら即滅ぼすというのも飛躍のしすぎです。聖書が教え導くべきです。従わなかったら滅ぼすとはとんでもない教師がいたものです。
そうです。その為に神は長らく待っているのです。
ペテロ第二3:9
エホバは約束を果たすのが遅いと考える人もいますが,そうではありません。神は,一人も滅ぼされることなく,全ての人が悔い改めることを望んでいるので,皆さんのことを辛抱しているのです。
>これに回答していません。
>サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
>真の愛や信仰には自発性が必要です。強制されては本当の愛も信仰も無い。神は天使や人間に自由意志を与え、本当の愛や信仰を持つ機会を与えて下さいました。
サタン(天使の一人)やアダムが神への反逆に自由意志を誤用しても、独裁者の様に反逆者を即処刑とせず、公正に物事が証明されるまで、時間を取って忍耐されることにしました。
(その間、私達は悔い改め、自らを変革する時間も得ました。)
神は邪魔されているのではなく、全てを完全に愛と公正に満ちた方法で行う為、邪魔を一時的に許していると言えます。
>プログラミングをする際、バグを生じないようにしますよね。万一バグが生じたら書き直すものです。 神もバグを生じないよう、自分の理想とするプログラムを作れば良い。
例えるならば、プログラマーへの反逆さえ許したプログラムを敢えて書かれました。
>現代では動物にも自由意思が認められていますが。エサを選択していますよね。聖書からお答えください。
動物もエサの選択位はします。そもそも本能は優れた知恵です。しかし動物に理性はありません。
ペテロ第二2:12(抜粋)
本能的に行動する,理性のない動物