>>322
>>326
>しかし誤解を避ける為に言うと、聖書は聖書です。たとえ分かりやすい版、誤解を招く版でも、何も無いよりは助けになります。
>どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです
>全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
>それ以外の点では、聖書の内容は忠実に継承されました。完璧ではありませんが、少なくとも実質問題が全く無い程度であることは写本研究者の一般的な見解でしょう。
@聖書は誤解を招くものである
Aしかし神の名が違うだけで実質同じであるという
B聖書の教え自体は何ら変更はない。教え自体は何ら誤解を招くものではない。しかし誤解を招くという。
C教派によって忠実さに差があると見ているようだ。しかし聖書は誤解を招く内容ではないので差は無いはずである。また、誤解を招く版だとしても、聖書の内容は神の名以外は実質問題が全くないので、聖書は初めから誤解を招くものだという事になる。教派によって忠実さに差があるとしても、それは元々の聖書がおかしいという事になる。
よって聖書は真理を語っていない。
>>実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
>では何処が実質違うのか具体的に示して頂けますか。
>サタンつまりデビルには「反逆者」という意味があります。神が反逆者にしたのではなく、サタンは自分の意志で反逆し、デビルつまりサタンになりました。
ご自身でこのように説明していますよね。混ぜっ返すようなことはしないで頂きたい。
>狼は羊の皮を被ります。より深く調べて下さい。何故トナカイを使うのですか、何故トナカイは空を飛ぶのですか。聖書の何処に、その由来が見つかりますか。
>先の聖母マリア崇敬を聖書から擁護出来ますか。
聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
>私たちの神エホバはただひとりのエホバであり, あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない
「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
>イエスは彼の回答が合っていると認めます。
イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
>つまり神は一人だけであり、エホバだけだということです。
イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。イエスは「「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。 」これは>>261で指摘した事です。
>イエスがこれらのことを話していたところ,群衆の中からある女性がイエスに大声で言った。「あなたを産んで乳を飲ませた女性は幸福です!」 しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」
>イエスは「その通りです。私の母を讃美しなさい」とは言いませんでした。
イエスは母より神の言葉を守る人をより幸福だとしているだけで、母を否定していません。母を賛美するなとは言っていません。マリア崇敬は否定していません。
また十戒では「父母を敬え」とあります。マリアを敬うのは何ら間違いではありません。
>マリアは信仰のある素晴らしい女性でした。しかし崇敬の対象ではありません。マリアを讃えた女性にイエスはどう反応したでしょうか。
よってこれは明らかに矛盾します。聖書は偽だとする証明がまた出てきました。もう終わりにしましょう。聖書は矛盾しています。真理など語っていません。
@〜Cの件に関して、例えで説明します。
写本の歴史的観点でより正確な聖書(新世界訳):
「床を掃除しなさい」と山田先生が言った。
名前が称号に置き換えられてしまったが、内容は実質的に同じ聖書(その他の殆どの聖書訳):
「床を掃除しなさい」と先生が言った。
後者では先生が誰だか分からなくなりました。山田先生だか加藤先生だか曖昧になりました。文脈を研究しないと誤解を招きます。
(神がエホバかイエスか分かりにくくなった状態)
しかし「床を掃除しなさい」という指示は同じです。この意味で、後者でも実質は同じと述べました。後者でも、何も無いよりはよっぽど良い情報です。
そして前者でも後者でも、先生の指示に忠実かどうかは、床を掃除するかで分かります。
(同じ様に、聖書の教えに従っているかどうかで、偽の教会を見分けることが可能です。)
>聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
キリスト教徒にとって、聖書は神の言葉です。聖書を正とせず、教会の教えを正とするならば、教会組織を神よりも上に置いていることになってしまいます。
>「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
文脈から、「あなた」は「私たち」の一人です。
>イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
キリスト教徒とは、イエス・キリストに従う者、です。そうであれば、イエスが言ったことを正とするでしょう。
>イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。
イエスが、エホバは「私たち」そして「あなた」の神と述べています。これはイエスだけでなく、イエスに従う人々(キリスト教徒)も真剣に受け止めるべきことです。