>>259
>君も結論ありき→こじつけの論理をしています。君の論理は脆弱となります。よって真理足りえません。
こじつけではありません。論理的一貫性を持って議論しています。
>翻訳数が世界一にも関わらず、普及していないとはどういうことでしょうか。矛盾しています。
何言語で入手可能か、何部発行されたか、は別の話です。また現代では聖書がダウンロード出来るので、部数の概念が以前より希薄になりました。
>実質同じ?悪魔によってすり替えられたという話ではなかったのですか?矛盾しています。
エホバの名が残されたか、或いは神や主という言葉で置き換えられたか、これが一番の違いです。消された版では神が誰を指すのか不明瞭になりました。しかし、実質的な内容は変わりません。
>サタンによってすり替えられた偽が普及しているという話でしたが。矛盾しています。
聖書が完全に失われた、或いは実質的に原文をたどれない程度に歪められたのであれば、サタンの勝利でしょう。現実はそうではありません。
>奇跡なんてありません。万物を神が与えたのだから全ての事象は神の御業によるものです。起こって当然のものは奇跡ではありません。
神の存在を否定しているのですか。奇跡を否定しているのですか。或いは両方でしょうか。
>つまり、キリスト教を信じる人はキリスト教によって救われる、という話ですね。
世のキリスト教と聖書の教えは同じではありません。
また信じるだけでは救われません。信仰を生き方で体現する必要があります。道具を持っていても役に立たず、使って初めて役に立つのと同じです。
>議論の余地などありません。 私にとって私は正しい。よって君は間違えている。君はこれに反論が出来ません。
では議論とは何ですか。あなたはこの掲示板で何がしたいのですか。
また、あなたの理屈で言えば、私にとって私は正しく、あなたは反論出来なくなってしまいます。
お互い健全に批判したり、築き上げるのでなければ、このやり取りは双方に時間と労力の無駄となります。
>完成までに時間がかかる、への反論でしたよね。そのような議論は確認出来ませんでしたが。進化論と妊娠はどこでどう繋がっていたのでしょうか。>>229からは進化論の文脈すら見えませんが。
>>180から始まった伊藤さんとのやりとりです。
>はて。人間が神に反逆して肉食を始めたとありますが。肉食を是とする聖書は神に反逆する書なのでしょうか。
説明不足でしたね。すみません。
当初、世界は草食に作られました。その後、反逆した人間が肉食を始めました。しかし神は肉食を許されました。そういう経緯での話です。
>その神から許可を得てした行いに対し、神は否定出来ません。当然過ぎるほど当然の話です。何をしても良いと許可を得たのだから神を唾棄しても神は否定出来ません。
自由とは何か?先のペンの例えを深く考察してみて下さい。
また以下の聖句の通り、神は許可をしていません。自由意志と共に、誤用してはいけないという命令も与えています。
創世記2:16-17
エホバ神は人にこう命じた。「庭園の全ての木の実を満足するまで食べてよい。 しかし,善悪の知識の木の実は,食べてはならない。それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである」
>絶交に対して滅ぼすというのは道理ではないという話です。ただの脅迫に成り下がっています。
ペンをくれた友人に絶好状を書き、更にそのペンで友人の目を刺すなら、絶交されても文句は言えないでしょう。そこに脅迫はありません。
>答えが無いから悩むという話です。
多くの人が聖書に答えを見つけました。
>では聖書は真理を説いていないという事です。真理は各人の悩みに任せているのだから「聖書こそ真理」は矛盾を生じています。
任せていません。聖書は教え、導いています。
不毛な議論が続くようでしたら、とりあえず今はお互い時間と労力を別のことにあてた方が良いと思います。
>論理的一貫性を持って議論しています。
君は「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。
君の論理の根拠は聖書だけです。しかし聖書は所詮は思想の寄せ集めであるので、矛盾を生じます。矛盾を指摘するとアドホックな言い訳をしたり、自分で考えろとしています。論理などどこにもなく、議論になりません。
>何言語で入手可能か、何部発行されたか、は別の話です。
普及の話でしょう?何部翻訳されたかが別の話なら、翻訳数での君の反論は自分で否定するという事ですか?
>検証していませんが、私の使用している新世界訳は翻訳数では世界一かもしれません。
この話です。それと君の使用している新世界訳はサタンにすり替えられていないとは検証していませんよね。「その聖書は真実の聖書なんですよね?」に対する回答ですよね?すり替えられているかもしれない聖書を信奉する動機って何ですか?すり替えられていない聖書ってどこにあるのですか?どうやってすり替えられていないと確認するのですか?
>エホバの名が残されたか、或いは神や主という言葉で置き換えられたか、これが一番の違いです。消された版では神が誰を指すのか不明瞭になりました。しかし、実質的な内容は変わりません。
エホバの名が残された、又は神や主という言葉で置き換えられたらサタンにすり替えられたものではない?そんな改ざんなどサタンなら容易でしょう?しかしサタンにすり替えられても実質的な内容は同じ?どういう事ですか?サタンはキリスト教信者なのですか?
>聖書が完全に失われた、或いは実質的に原文をたどれない程度に歪められたのであれば、サタンの勝利でしょう。現実はそうではありません。
サタンがすり替えたのに中身は実質同じという。そしてサタンの勝利ではないという。すり替えに成功しているのに、全く別の内容になってはいないから勝利ではないとは。その場しのぎの言い訳にしか聞こえません。
>神の存在を否定しているのですか。奇跡を否定しているのですか。或いは両方でしょうか。
君の反論を全否定しています。以て君の言う神や奇跡を否定しています。君の神は紛い物です。
>世のキリスト教と聖書の教えは同じではありません。
ではキリスト教と聖書は別であると。君の言うサタンのすり替え論から考えると、聖書を教えとしているキリスト教はサタンのすり替えが行われているという事になりますね。君にとってキリスト教は聖書の教えとは違う、サタンの手先という事になりますね。
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。>>221
>サタンの力が働いているので、紛い物が混じります。ここで各自の識別力が問われます。>>228
これらの証言と整合しますね。君はキリスト教をサタンの仕業と捉えている事になりました。
>また信じるだけでは救われません。信仰を生き方で体現する必要があります。
体現するのは結構ですが、真理でもない思想を押し付ける行為で救われるとは思えません。
そもそも真理だけがあれば救われるはずです。苦悩が無くなるからです。真理を使うとは、自分の苦悩を無くすという事です。内的な世界だけで完結出来るものです。
>では議論とは何ですか。あなたはこの掲示板で何がしたいのですか。
>また、あなたの理屈で言えば、私にとって私は正しく、あなたは反論出来なくなってしまいます。
少なくとも自分の思想を押し付けるものではありません。
議論とは意見をすり合わせ、落着点を見出すものです。君は聖書が真理であるという意見から一貫して動きません。すり合わせも何もありません。
そしてそのような態度の人を否定する事は出来ます。君のしている事を真似しているだけで足りるからです。なので私は君に対して否定出来ます。
>お互い健全に批判したり、築き上げるのでなければ、このやり取りは双方に時間と労力の無駄となります。
君はアドホックな言い訳を重ねて歩み寄りの姿勢を示していません。健全な批判をしていません。聖書こそ真理と最上の位置に置いているので築き上げる行為もしていません。君は最初から無駄な事をしています。
>>>180から始まった伊藤さんとのやりとりです。
ええですから>>229からは読み取れませんと反論しています。
>>326
>しかし誤解を避ける為に言うと、聖書は聖書です。たとえ分かりやすい版、誤解を招く版でも、何も無いよりは助けになります。
>どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです
>全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
>それ以外の点では、聖書の内容は忠実に継承されました。完璧ではありませんが、少なくとも実質問題が全く無い程度であることは写本研究者の一般的な見解でしょう。
@聖書は誤解を招くものである
Aしかし神の名が違うだけで実質同じであるという
B聖書の教え自体は何ら変更はない。教え自体は何ら誤解を招くものではない。しかし誤解を招くという。
C教派によって忠実さに差があると見ているようだ。しかし聖書は誤解を招く内容ではないので差は無いはずである。また、誤解を招く版だとしても、聖書の内容は神の名以外は実質問題が全くないので、聖書は初めから誤解を招くものだという事になる。教派によって忠実さに差があるとしても、それは元々の聖書がおかしいという事になる。
よって聖書は真理を語っていない。
>>実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
>では何処が実質違うのか具体的に示して頂けますか。
>サタンつまりデビルには「反逆者」という意味があります。神が反逆者にしたのではなく、サタンは自分の意志で反逆し、デビルつまりサタンになりました。
ご自身でこのように説明していますよね。混ぜっ返すようなことはしないで頂きたい。
>狼は羊の皮を被ります。より深く調べて下さい。何故トナカイを使うのですか、何故トナカイは空を飛ぶのですか。聖書の何処に、その由来が見つかりますか。
>先の聖母マリア崇敬を聖書から擁護出来ますか。
聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
>私たちの神エホバはただひとりのエホバであり, あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない
「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
>イエスは彼の回答が合っていると認めます。
イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
>つまり神は一人だけであり、エホバだけだということです。
イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。イエスは「「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。 」これは>>261で指摘した事です。
>イエスがこれらのことを話していたところ,群衆の中からある女性がイエスに大声で言った。「あなたを産んで乳を飲ませた女性は幸福です!」 しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」
>イエスは「その通りです。私の母を讃美しなさい」とは言いませんでした。
イエスは母より神の言葉を守る人をより幸福だとしているだけで、母を否定していません。母を賛美するなとは言っていません。マリア崇敬は否定していません。
また十戒では「父母を敬え」とあります。マリアを敬うのは何ら間違いではありません。
>マリアは信仰のある素晴らしい女性でした。しかし崇敬の対象ではありません。マリアを讃えた女性にイエスはどう反応したでしょうか。
よってこれは明らかに矛盾します。聖書は偽だとする証明がまた出てきました。もう終わりにしましょう。聖書は矛盾しています。真理など語っていません。