>>329
@〜Cの件に関して、例えで説明します。
写本の歴史的観点でより正確な聖書(新世界訳):
「床を掃除しなさい」と山田先生が言った。
名前が称号に置き換えられてしまったが、内容は実質的に同じ聖書(その他の殆どの聖書訳):
「床を掃除しなさい」と先生が言った。
後者では先生が誰だか分からなくなりました。山田先生だか加藤先生だか曖昧になりました。文脈を研究しないと誤解を招きます。
(神がエホバかイエスか分かりにくくなった状態)
しかし「床を掃除しなさい」という指示は同じです。この意味で、後者でも実質は同じと述べました。後者でも、何も無いよりはよっぽど良い情報です。
そして前者でも後者でも、先生の指示に忠実かどうかは、床を掃除するかで分かります。
(同じ様に、聖書の教えに従っているかどうかで、偽の教会を見分けることが可能です。)
>聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
キリスト教徒にとって、聖書は神の言葉です。聖書を正とせず、教会の教えを正とするならば、教会組織を神よりも上に置いていることになってしまいます。
>「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
文脈から、「あなた」は「私たち」の一人です。
>イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
キリスト教徒とは、イエス・キリストに従う者、です。そうであれば、イエスが言ったことを正とするでしょう。
>イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。
イエスが、エホバは「私たち」そして「あなた」の神と述べています。これはイエスだけでなく、イエスに従う人々(キリスト教徒)も真剣に受け止めるべきことです。