>>77
>列王記上 5:16(マソラ写本 5:30)
そのほか、ソロモンには工事の責任を取る監督が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮した。(新共同訳 5:30)
歴代誌下 2:17
そのうち七万人を荷役の労働者、八万人を山で石を切り出す労働者、三千六百人を民を働かせるための監督とした。
>列王記上 9:23
ソロモンの工事に配置された監督は五百五十名で、工事に従事する人々の指揮をとった。
歴代誌下 8:10
ソロモン王の配置した監督は二百五十名で、人々の指揮をとった。
代官の分類の仕方が異なっているようです。歴代下は非イスラエル人の代官3,600人とイスラエル人の代官250人を区別しているのに対して、列王記上は現場監督3,300人と、もっと高位の長たる監督550人を区別しているものと思われます。どちらの場合も代官を務めた人の総数は3,850人でした。
>列王記上 7:26
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は二千バトもあった。
歴代誌下 4:5
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は優に三千バトもあった。
別の訳では、この様になっています。
歴代下4:5
そして,その厚さは一手幅であり,その縁は杯の縁の造り,すなわちゆりの花のようであった。入れ物として,それに入ったのは三千バトであった。
原語のヘブライ語では次のように理解する余地があるのです。歴代下は神殿の水盤の最大容量、すなわち入り得た水量について述べているのに対して、列王上は、その水盤に日ごろ入っていた水量を記録しているということです。つまり神殿の水盤に最大容量いっぱいまで水を入れることはなかったのです。容量の3分の2だけ水を入れるのが習慣だったようです。
>列王記下 8:26
アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 22:2
アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。
一部写本に見られた誤写の様です。シリ訳の22が正の様です。
>>78
>列王記下 24:8
ヨヤキンは十八歳で王となり、三ヶ月間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 36:9
ヨヤキンは八歳で王となり、三ヶ月と十日間エルサレムで王位にあった…。
同上で、シリ訳の18が正の様です。
容量の話をしているのだから、入っていた量の話だという解釈は無理があるのでは?
結局、聖書には間違いがありますよね。神の言葉によって導かれたものであればミスはありえないはず。にもかかわらずミスがあるということは神は真理ではないか、聖書は神の言葉によるものではないかのどちらかです。
しかし、神が真理でないということは、キリスト教における神の存在と矛盾するので、ありえない。よって聖書は神の言葉によるものではなく、人間から出たものだといえる。
人間から出たものなので、真理ではない。