>>82
容量の話をしているのだから、入っていた量の話だという解釈は無理があるのでは?
結局、聖書には間違いがありますよね。神の言葉によって導かれたものであればミスはありえないはず。にもかかわらずミスがあるということは神は真理ではないか、聖書は神の言葉によるものではないかのどちらかです。
しかし、神が真理でないということは、キリスト教における神の存在と矛盾するので、ありえない。よって聖書は神の言葉によるものではなく、人間から出たものだといえる。
人間から出たものなので、真理ではない。
>ヘロデ大王の没年は紀元前4年ですから、紀元前三年以降では聖書の記述と矛盾してしまいます。また、住民登録の時期とも合いません。
ヘロデの死の年代につき、諸説ある様です。詳しくはこちらをご参照下さい。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/1200002000?q=%E3%83%98%E3%83%AD%E3%83%87+%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%B9%B4%E4%BB%A3&p=par
>ノアの箱舟とギルガメッシュ叙事詩では書かれた時期が全然違う。細かいところまで一致しているうえ、時期も大きく違うのですから、新聞の報道に例えるのはナンセンスです。
作詞や作劇のほうが近いと思いますが。常識的に考えて、盗作ではないでしょうか。異なる点があっても同じような記述が多数あれば盗作では?
確かに大洪水が史実で無ければ、盗作と考えることが出来ます。
つまり、ギルガメシュ→創世記
しかし大洪水が史実であれば、史実に基づき、別々の書き物が書かれたというだけで、盗作にはなりません。
つまり
史実→ギルガメシュ
史実→創世記
類似の大洪水の話は、ギルガメシュより古いシュメール神話にも登場します。更に中国やアステカ族、インカ族、およびマヤ族の神話にも登場します。これは史実として世界的な大洪水があり、人類の記憶に刻まれたことを示唆しています。
更にこれらの話に類似点が多いことは、元々同じ土地にいた人々が世界各地に散っていったという聖書のバビロンの塔の記述に、むしろ信憑性をもたらしています。
>>83
>容量の話をしているのだから、入っていた量の話だという解釈は無理があるのでは?
訳に踊らされてはいけません。英文欽定訳では2000バトが入っていた、と書かれています。容量という語は出てきません。
And it was an hand breadth thick, and the brim thereof was wrought like the brim of a cup, with flowers of lilies: it contained two thousand baths.
>結局、聖書には間違いがありますよね。神の言葉によって導かれたものであればミスはありえないはず。にもかかわらずミスがあるということは神は真理ではないか、聖書は神の言葉によるものではないかのどちらかです。
神の言葉である聖書とは、厳密に言えば神からの霊感であり、その霊感により記された「原本」です。
写本には誤写はあり得ます。訳本には誤訳があり得ます。今、例えば私が写したり訳したりすれば、無意識でも意図的でも間違えかねない。同じことです。
原本は失われているが、残された写本や訳本から原本を見定めています。これだけしかエラーが見つからないので、かなりの精度で写本され、原本の内容が保持されていると逆に考えられます。
その原本に誤りは無く、神の言葉だと信じています。