体罰問題の裏テーマというか、根本的な問題と呼ぶべきところは、糞餓鬼を甘やかし野放し養育している保護者に責任があると俺は思っている
おそらく、今の保護者達の世代が義務教育を受けてた当時は教師による厳しい体罰や理不尽な教師の体罰にも耐えて成長し、教師を恩師などと絶対的な指導者と崇めるべき存在として教育されてきた
その反動が保護者の立場になった今、爆発し始めているのであろう
そんな形成逆転な風潮の中で育つ糞餓鬼達は教師に限らず大人をナメて成長を遂げていく
だから糞餓鬼は教師に対しても開き直った態度で接し、その保護者達も今まで逆らえず我慢してた思いを学校側にぶつける
そして今に至っては、教師を崇めてた時代なんか知らない者達が保護者の立場と成り子育てをする
またそんな形成逆転な風潮は教師側の方も然り
生徒にナメられてきた教師を目にして教育を受けてきたものだから…生意気な糞餓鬼の態度にも対処の仕方を知らない
そんな風潮から教師も生徒も保護者も三者三様にストレスが溜まり、ある日、プッツンと切れたものが問題を起こす
それが教師による体罰問題だったり…
保護者達の養育放棄だったり…
児童間のイジメだったり…に発展しているんだと思う
その時だけしのげればいいとか、一方向性だけできればいいとかの短期的利益を最適化すればいいってなら体罰は極めて有効なんだ。
だけど長期的にみたら不利益の方が遥かに上回る。
結局使い捨て前提だろう。
>今の保護者達の世代が義務教育を受けてた当時は…
いや違う、それは“今の保護者(=ゆとり)”のもう一つ上の世代だったと思う。
まぁ、俺の考えは>>65で示した通りで、体罰問題は教育の質の向上とか…そんなカンタンな問題じゃないんだと思うけどね