ちなみに言っておくけど経済的な問題を解決できる方法があったとして、それで実際に競馬をなくせたとする。
その時、競走馬が今度は馬刺の為に繁殖されるようになったとしたらそれはそれでむず痒い気持ちになる。
そもそもの話生き物というのは他の生き物の命を犠牲にしないと生きていけない。
だから食用なら仕方ないじゃないか、と言う人がいるけど、そもそも馬刺なんかなくったって別に人間は他にいくらでも食べられるものはある。
それは必要というより需要があるだけで「仕方ない」と言う割には結局「馬がかわいそうだろ!競馬は止めるべきだ!」と言っていたのと大きく矛盾してしまう。
競馬を否定するのなら馬刺も否定しなくちゃいけなくなるし、馬刺を否定するなら牛や豚などの家畜も全て否定するヴィーガンにならなくちゃいけない。いや、それどころか生きとし生けるもの全ての命を徹底して尊重しなくちゃいけなくなる。
かといって「じゃあもう全部セーフってことでww」というのも極端すぎる。
動物愛護を考えるということはそこら辺の線引きを考えることからは逃げ切れないということなんだよなぁ...。
何今更分かりきったこと言ってんだよwこのスレたてた奴に賛同して競馬に反対してる奴以外全員分かっとるわそんなことw
俺は反対派だけど>>66の点では>>1さんとは違う立場ってことになるよ。
食は必要だけど馬刺は必要とは言えないって立場だ。
だから「競馬はダメだけど馬刺ならOK」ってのには賛同しかねる。
競馬を否定するなら馬刺も否定されるべきだけど、馬刺を否定したら全ての家畜まで否定しなくちゃいけなくなってそれはさすがに困るから、じゃあその線引きってどうするべき?っていうところで俺は今絶賛考え中だよ。