ハッキリ言ってしまえばスマホでボタンひとつで出来ることは多くなったが、それはあくまで端末を通して閲覧する側が垂れ流されてる情報にアクセスしやすくなっただけで、君が言う文化資本と言うものの程度が個人の人間において上がったわけじゃないと思うね。インスタントラーメンやら缶詰め食って文化的と思ってるようなもん。そのインスタントラーメンやら缶詰めは作る側の技術やら知恵が集積されてるものであって食う側はそれをただ単に茹でたり開けたりしてるだけ。それらとスマホポチポチしてる様は似たようなもんだ。それで文化的って思えるんだからビックリする。情報に流され溺れてる側だろむしろ。
スマホによってパソコンが淘汰されるかどうかは、はじめから論点にしていない。
手軽さについて反論すると、スマホの手軽さはクオリティを代償とする必要があるという考えをこちらは持ってる。
小さな画面によって迫力に欠けたり、一画面ごとの文字が少なすぎて非効率だったり、スピーカーが貧弱だから音響で感動できなかったり。
もちろん教養へたどり着くまでのハードルは低いに越したことはないんだけど、今のように外へ出る必要が減ってる時に、モバイル性がどれだけ関係あるのかについても疑問がある。
>>8 で食事で例えられてるのがけっこう感覚として近くて、カロリーメイトの利便性は美食の素晴らしさを凌駕しないという考え方なのよね。こっちは美食という教養を得るのが大事だって話をしてるわけだから。