スマホが増えたからパソコンが淘汰されるということはない。
要は適材適所であって、それぞれに需要があるから両方作られている。
あと、大画面だからいいってのはまた違う気がする。
どこでも手軽に見れるのがスマホの利点な訳だから、コンパクトになるとはいえ鞄ひとつ持たなきゃいけないパソコンに比べればどこでもぽっと出せるから、そこを引き合いに出してパソコンの方が優れてるってしちゃうのは、どうもナンセンスな気がする。
スマホによってパソコンが淘汰されるかどうかは、はじめから論点にしていない。
手軽さについて反論すると、スマホの手軽さはクオリティを代償とする必要があるという考えをこちらは持ってる。
小さな画面によって迫力に欠けたり、一画面ごとの文字が少なすぎて非効率だったり、スピーカーが貧弱だから音響で感動できなかったり。
もちろん教養へたどり着くまでのハードルは低いに越したことはないんだけど、今のように外へ出る必要が減ってる時に、モバイル性がどれだけ関係あるのかについても疑問がある。
>>8 で食事で例えられてるのがけっこう感覚として近くて、カロリーメイトの利便性は美食の素晴らしさを凌駕しないという考え方なのよね。こっちは美食という教養を得るのが大事だって話をしてるわけだから。
この議論で、文化資本の定義って重要な立ち位置なの?
重要なのであれば、ちゃんと定義したほう良さそうだよね。
そもそも文化資本は資本なんだから、教養なんかの芸術的な知識とか感性とは別モノ。
>>11を読む限り、論点は文化資本ではなく高品質な娯楽を享受できるのはどちらか?ってことっぽい。
スマホとPCのどちらがエンターテイメントを楽しめるか?という問いであればPCだと思うよ。