>>12
>根拠のない悪口は短期的な暴力性はあっても、個人情報流出みたいな永久的な暴力性はない。
スマイリーキクチ中傷被害事件って知ってる? 「スマイリーキクチは女子高生コンクリ事件の共犯者だ」という根拠のない悪口が、事実化されて、事務所が否定しても収まらずキクチ自身の仕事にまで影響した。この誹謗中傷は警察沙汰になるまで、10年もの間続いていた。永久的にとまでは言わずとも、他人の人生を長期間に渡って侵害できる力はあるよ。
それに、短期的な暴力だから軽いということもない。誹謗中傷で自殺に追い込まれた人なんか、その好例。
>上っ面だけのクソみたいなやり取りを、掲示板ですらしなくちゃならないのか?
別に本音を好きなだけ言える場所は確保されてるよ。5chに行くなり、鍵垢作るなりしたらいいじゃん。
>>14
>こっちからすれば全然問題ではないし、社会規模で考えてみても、全くこれっぽっちも問題じゃない。
まず君自身がどう感じるかなんて全く問題ではない。次に社会規模で考えてみて問題ではない、とする根拠がわからない。木村花さんが誹謗中傷を受けて自殺した件が一時期何度も何度も報道されていたのに、それでもって社会規模で問題ではないと考えるのは無理がある。
>逆に悪口や陰口が一切ない世の中を想像してみろよ。そんな社会、どう考えても抑圧されてる。誰にも優しく、誰に対しても配慮する、そんな仏みたいな人間で埋めつくされた社会とか、逆にきもすぎ。
誹謗中傷する側はそう思うかもしれないけど、誹謗中傷される側はむしろ後者の方を望んでいる。議論をするのなら自分の立場だけでなく相手の立場に立って双方向から思考しましょう
>どれだけルール設けて、どれだけ人間の悪いところを抑圧しても、結局は人間なんだから、ある程度の暴力性ってやつは必要になるんだよ。
では暴力性が社会的に良い方向に働いた事例を提出してみてください。
>>15
むしろ、人間の本質は悪(欲望に感嘆に負けてしまうほど心が弱い)から、それを礼儀や法律で矯正しようとするのが自然な考え。根本的に解決できないから何もしない、というのは、傘を差しても濡れるから傘を差さないと言ってる人間と同レベルの発想。
スマイリーキクチの事件についてだが、これは悪口という要素で、人を自殺に追い込んだ。という一見単純な構図になっているが実は違う。
悪口 + 個人の特定性 という要素によって成り立っている以上、永久暴力性が濃厚に介在していることがよくわかる。つまり、短期的暴力が永久的なものに転化する可能性は高いという論証には全く使えない材料。
許されるのは、悪口と何度も言っているだろ。文章をよく読め。
>> 別に本音を好きなだけ言える場所は確保されてるよ。5chに行くなり、鍵垢作るなりしたらいいじゃん。
これはその通り。正論すぎる。
>> まず君自身がどう感じるかなんて全く問題ではない。
まずこっちという言葉が表すのは、「俺という一人称的な意味で使ったわけではない。こっちという言葉は、自分を含む嫌がらせや悪口を言うアンチ側という意味で使用した。
文脈上、相手は「人叩いて悦に浸る可哀想な奴らに、なりたいと思うの?」という加害者(アンチ)すらもダメになるという、主張に対する答えでもある。
>> 社会規模で考えてみて問題ではない、とする根拠がわからない。木村花さんが(略
現実の個人特定性という濃度の高い永久暴力性が介在している事件である以上、悪口禁止の根拠にはならない。
>>誹謗中傷する側はそう思うかもしれないけど、誹謗中傷される側はむしろ後者の方を望んでいる。議論をするのなら自分の立場だけでなく相手の立場に立って双方向から思考しましょう
これは正論すぎる。
しかし、被害者と加害者とは明確にすることはできない。時間的に見れば、被害者と加害者の双方の性質をおおむね人間は有する。したがって加害者を語ることは一般人を語ることと等しいのではないかと屁理屈付けておく。
>>では暴力性が社会的に良い方向に働いた事例を提出してみてください。
まず人類の歴史。暴力性があったおかげで、対立が生まれたり、議論が生まれたり、あるいは暴力のおかげで、ここまで社会は発展できた。
そして、暴力性を行使した大勢の人間の心はその時、満たされていること。
暴力性とは、贈与論にあるように、極めて明確なメッセージであること。特に赤ん坊や幼い子供はこの暴力性を頻繁に駆使して、保護者やお友達に訴えかけ、ある種の社会的コミュニケーションをとる。
それから暴力性を行使した幼稚園生から高齢者に至るまで、暴力性という過ちがあるおかげで、反省という行為に取り組める。
まだある。暴力性は明確であり、加害者と被
害者という明確な区別を作り出せること。これは社会秩序の可視化にとって大きなメリットととなる。
悪口や皮肉、揶揄といったものは、ラップの文化面や、政治・報道の領域で強い役割も果たしていると言える。
それから、悪口陰口を言って愚痴を吐くことで親友や友達、ネット友達などの絆を高める効果もあるんじゃないか。(これは人はなぜ悪口を言うのか?という書籍の内容にあるから参考にさせてもらった)
90年代まで単純な暴力という序列化手段によって、いわゆる不良と呼ばれる多くの少年少女たちの居場所を提供してきたこと。
暴力性によって正義は理屈付けられたり、裏付けられたり、正義について論証・再補完してくれる。今みたいな感じで。