廊下を歩きながら、会長と璃々愛は若干抑え気味の声で話をしていた。会長から事情を聞いた璃々愛は、複雑そうな顔をしている。
「……で、それを飲んじゃったの……」
「ごめんなさいね。せっかく用意してもらったのに……それにしてもあの子、頭高くない?」
「どうする会長、処す? 処す?」
どこぞの将軍の様なやりとりを繰り広げる会長と璃々愛。会長はにこやかに微笑んではいるものの、表情には珍しく疲弊が見え隠れしていた。資料の作成の為に印刷室へと入ると、百合香は溜息をついて椅子に座り込む。憂い気な会長の姿に、璃々愛まで元気を無くしていく。
「……気に入らないわ……これじゃあ私の計画が台無しよ。せっかくあの文芸部を潰してしまうチャンスだったのに」
百合香が弱音を吐くのは久しい事であった。というよりも、百合香の計画が邪魔されるという事自体が滅多になかったのである。
璃々愛はそんな百合香の顔をしばらく見つめると、やがて出来る限り明るく振舞って言う。空元気に過ぎないものだったが、それでもその声は華やかに響いた。
「大丈夫だよ、かいちょー!」
百合香の手を強く握ると、その目をしっかりと見つめる。
「このまま文芸部の好きにはさせない。アタシがいずれちゃんと潰してあげるし! かいちょーに逆らう奴らは、みーんなアタシが始末してあげるんだから!」
璃々愛の笑顔を会長はしばらく自信の無さそうに見つめていたが、やがてゆっくりと微笑み返すと言った。
「ありがとう、璃々愛ちゃん。……神狩さんも璃々愛ちゃんも××××も味方してくれて、私は幸せね」
明るい笑顔から一変、璃々愛は怪訝そうな顔をした。
「かいちょー、またそいつの話?」
百合香はくすくすと笑い、立ち上がって印刷機に向き合う。
「役に立つのよ、あの子? ……そうね、そろそろ活躍してもらおうかしら」
(>>123の直後、>>124と同時期くらいの話です)
「白野さん、戸塚さん! お二人とも大丈夫ですか!?」
「はい、大丈夫です。ええと……アデラ先輩、でしたっけ」
デマの真偽とその出所は曖昧にしたまま、百合香が璃々愛を連れて消えた後。未だに緊張冷めやらぬ恵里と亜衣の元に駆け寄ってきたのは、黒や茶ばかりの人混みでは一層目立つ天然の金。英国からの留学生アデラ・ヴァレンタインの名は、別学年の生徒の間でも有名だった。
アデラは二人の体や顔色を観察し、怪我や精神的ダメージが見受けられないことを確認すると、ほっと安堵の息をつく。それから未だに騒々しい周囲を見渡してから、パンパンと手を叩いた。恵里と亜衣に侮蔑的な目線を向けていた生徒たちの注目がアデラに移る。
「皆さん。学園が貶められるような情報が流れてお怒りなのは分かります。しかし感情に任せて、何の根拠もなしにお二人を責めるのはおやめください」
「で、でもアデラちゃん! 確かに文芸部の一年がデマを流したって、生徒会が……」
「生徒会の証言なら全て鵜呑みにすると? いくら信頼しているからといって、彼女たち名義の情報が常に正しいと判断するのは軽薄ですよ!」
「はあ? お前、会長が嘘ついてるっていうのか!?」
「そのような色眼鏡がいけないと言うんです。風花先輩が嘘つきかどうかは今の論点ではありません」
飽くまで問題は生徒たちの先入観であり、百合香を悪者に仕立て上げる意図はない。アデラが置いた前提は、しかし無意識下で百合香を妄信している生徒たちにはぬかに釘であった。彼女がいばら率いる風紀委員会の一員であるため炎上こそしないものの、彼らとアデラの間に剣呑な空気が漂い始める。そんな一触即発な二者の間に、挟まれる口があった。
「残念ですね、ヴァレンタインさん。僕たちがあなたの信頼に値しない存在だったとは」
「安部野先輩まで何を言っているんですか? 問題はそこではないと言っているでしょう。それにあなた……」
「ええ、存じております。全面的な信用を置いていただけないのは生徒会として非常に遺憾ですが、それはそれ。他者からの情報を頭から信じ切ることの是非については、僕も同意しましょう」
生徒会である椎哉が口にしたのは、不敬に対する叱責ではなく、意見の限定的な賛同。アデラの言動を反逆だと定義するものとばかり思っていた生徒たちは、彼の予想外な対応に思わず耳を疑った。一斉にどよめく生徒たちを一瞥し、椎哉は言葉を続ける。
「進学校の生徒である以上、皆さんは利発な方々であるはずです。それなら得た情報の信憑性を自分の力で調べ直すことなど、造作もないでしょう。まさか事実確認なんて初歩的なことを怠るなど、白羽学園生として恥ずかしい真似はいたしませんよね?」
学園の名前を引き合いに出され、生徒たちの大多数が言葉を詰まらせた。自分たちに反抗的なアデラの言い分を支持したのは気に喰わない。しかしここで彼に反論すれば、自分が事実確認もできない愚者だと主張することになる。そうなれば白羽学園に、延いてはその生徒会長である百合香に恥をかかせかねない存在だと、他の生徒に見なされてしまうだろう。
剣呑な様相が鳴りを潜め、気まずい静寂がその場に満ちる。やがて椎哉の論破は不可能だと断念した生徒たちは、一人また一人と人混みから離れていった。悪意に満ちた視線から解放され、恵里と亜衣はようやく緊張を解く。だが一方アデラは椎哉に、傍からでも分かるほどの疑いの目を向けていた。
「安部野先輩。あなたは一体何がしたかったんですか」
「何が、といいますと?」
「風花先輩と文芸部一年のみなさん、どちらを支持するつもりだったのかということですよ。風花先輩の味方であれば、そんな怪我だらけの顔で結城さんを止めなければ良かった。文芸部の味方であれば、その怪我が片原さんによるものだと説明すればよかった。なのにあなたはそのどちらも行わず、曖昧な物言いでその場しのぎをしているようにしか見えませんでした」
(続く)