>>580「出会いの時間」
殺し屋をやめると、そうロヴロ先生とイリーナ先輩たちに言っても彼らは何も言わなかった。
ビ「日本に戻ったら?」
海「え……?」
日本……。「死神」に殺されかけて以来、一度も足を踏み入れなかった。そこでは今、私を探すために国が総力をあげているそうだから。
それに、正直……。
ビ「いいから、戻りなさい。きっと見えないものが見えてくるはずだから」
海「見えない、もの……」
☆
日本に戻り、アパートを借りて1人暮らしを始めた。
家賃とかは……、かつて仕事をしていたときのお金とか、あとはロヴロ先生たちの仕送りで賄うことにした。
学校には、通わなかった。
あぁ、やっぱり思った通りだ。
日本は、平和すぎる。平和すぎて、気持ちが悪い。
小学生の下校時間を見計らって、私は公園に行き、ブランコを漕いで1人で過ごしていた。
?「はぁ……」
ため息が聞こえてそちらを向くと、そこには髪の長い子がいた。
同い年に見える……。女子、か? 女子の服着てるし。でも、男子に見えるのは何故?
私はよく、男装をして潜入することもあった。それでたぶん、女子と男子の見分け方はだいたいできるようになっていた。
海「ねぇ、そこの。君だよ、髪の長い……」
渚「え?」
まるで、「え、僕に話しかけてるの?」みたいな顔をされた。お前以外いないだろと、私はあきれる思いでとりあえず質問をした。
海「あんた、男なの?」
渚「⁉」
ひどく驚かれた。
あ、もしかして違ったのかな。
海「悪い。気にすんな」
渚「……男だけど」
海「あ、そうなの? 女装してる趣味を持った小学生だなんて、珍しいね」
渚「こ、これは母さんの趣味……って、趣味じゃないか」
海「母さん?」
私が首をかしげると、彼は説明してくれた。
渚「うん。僕の母さんはもともと、女の子が欲しかったんだ。でも、産まれてきたのは僕で……。それで、せめて女の子らしい格好をさせてあげようって……」
私は眉をひそめた。なんていうか、不快……。
海「やめてって、言えばいいじゃない。そんなに嫌なら」
渚「お、怒ったら怖いもの……」
海「はぁ? あんた、男のくせに意気地なしなんだね」
渚「なっ!」
少年は心外だという顔をしつつ、私の言う通りだとも思ったのだろうか。そのまま静かになった。
私はクスッと笑った。
渚「?」
海「ううん、何でもない。こういう奴もいるんだなって、思っただけ。お前、名前は?」
渚「え? あ、しお……」
海「あー、やっぱなし。そうだ、偽名名乗ってよ」
渚「ぎ、めい?」
海「自分の名前じゃない名前。なんでもいいよ、芋虫でも、アリでも」
渚「い、芋虫……」
正直、本当の名前を聞いてしまったら、そいつに情が湧いてしまう。
なんでもない、ウソの名前を名乗られた方がずっといい。この先も、思い出さずにいられる。
渚「じゃあ……、えーっと……」
少年は、必死に考えているようだった。その顔が、なんだか面白くて、楽しくて、私はずっと笑っていた。
渚「海、かな……?」
海「⁉」
渚「え、どうしたの?」
海「あ……、ううん。なんでもない。そしたら私は、ジャンヌって名乗るよ」
渚「それって、フランスを救ったっていう……」
海「へぇ、知ってるんだ」
渚「一応、受験生なんで」
うん? 受験生?
海「あんた、中学生なの?」
渚「いや、小6だよ。今年、受験して私立の中学に行くんだ」
海「へぇ……」
こいつ、なんか面白いかも。
海「ねぇ、海」
渚「?」
私は立ち上がった。
海「君、学校終わったらここに来てよ。私、待ってるから。うーん、受験生だからそんな会えないかもしれないけどさ……」
渚「いいよ! 学校終わったらここに来るんだね」
海「いいの?」
渚「うん!」
それが、私と渚の出会いだった。
その日から私は、海と名乗った少年とよく遊ぶようになった。
と言っても、ブランコを漕ぎながら話したり、彼の学校の宿題を横目にしながら本を読んだり。そういう日々が続いただけだったけれど。それでも、私はその時間が好きだった。
渚「どうしてジャンヌはさ、着物ばかり着てるの?」
海「洋服がないからだよ。小さいころからずっと和服ばかり着ていたから、これのほうが逆に落ち着く」
渚「そうなんだ」
彼の宿題を見ながら、私は、そういえば小1以来、勉強をしていないことをふと思い出した。「死神」より強くなるためならと、ある程度の知識は備えてあった。でも、所詮は並み程度だ。
海「勉強って楽しい?」
渚「あんまり楽しくないよ。そりゃ、正解したら楽しいけどさ。ジャンヌは学校に行ってないの?」
海「うん……。家庭の事情でね、行ってないんだ」
渚「なんかごめん……」
海「別に気にしてないし。だったらさ、海。私に勉強教えてよ」
渚「え⁉ 僕、教えるの下手だよ?」
海「大丈夫、下手でも理解はできるよ」
渚「えー、本当に大丈夫かな」
海「それに、君の宿題をいつも横目で見ているからだいたいわかるようになってきたし」
そう言うと、彼はひどく驚いた顔を見せてきた。あまりの間抜けな顔に、私はケラケラ笑った。
渚「理解できてるなら、教える必要はないんじゃ……」
海「人間は学ぶために生まれた生き物なんだよ。学ばなくてどうする」
渚「ジャンヌは、今どきの小学生があまりよく使わない言葉を使うよね。本当に11歳なの?」
海「今年で12歳」
渚「あ、じゃあ同い年なのか」
今さらなような気もしたけど、そういえば私。彼には自分のことをほとんど話していない。話したところで理解もできないだろうけれど……。
海と名乗った少年と、たくさん遊び、学んでいくうちに、気づいたら夏になっていた。
海「え、今日が誕生日なの⁉」
渚「うん……」
私が「誕生日はいつなの?」という何気ない一言で、その日は始まった。
今は夏休み中。それでも少年は、いつも通りの時間に公園にやってきた。
海「わ、私、何も用意してない……」
渚「え、いいよ。そんな! ぎゃ、逆にジャンヌはいつなのさ」
海「まだずっと先だよ。11月の10日」
渚「じゃあ、僕のほうがお兄さんだね」
ムッ。えらぶってるようで、なんかむかつく。
私は彼の両頬を両手でつねってのばしてやった。
渚「いだい、いだい、いだい〜」
海「うるさい、バカ。しばらくやられてろ」
手を放してやると、少年は自分の頬を痛そうにさすっていた。真っ赤に腫れてる……。私はその顔を見て、クスクス笑った。
渚「う〜、ジャンヌはらんぼーすぎる」
海「うっせ」
本心で会話をすることが、いつの間にか大好きになっていた。
そのとき、朗らかな曲が流れた。少年の持っている携帯電話からだった。
渚「あ、塾の時間だ」
海「もうそんな時間なのか。それじゃ、また明日ね」
渚「うん。また明日」
少年は公園を去る。
ふと、いたずらをしたくなった。
海「おい、海!」
渚「え?」
私は振り向いた彼の前髪をあげて、その額にキスをしてやった。
渚「⁉」
海「あははっ、誕生日プレゼント。喜んで受けとっとけよ」
渚「あう、あう……」
何か言いたそうに、顔を真っ赤にしている彼を、私は笑いながら見つめていた。
海「じゃあね、また明日!」
渚「え、あ、う……」
☆
渚はいったい何をされたのか理解できず、しばらく茫然とそこに立ち続けていた。
少女は、もういなくなっていた。
渚「あ、塾に行かなきゃ」
渚は停めておいた自転車に近づいた。
明日、どういう顔で会えばいいんだろう。きっと彼女はいつも通りの顔で、自分の前に現れるだろう。そう考えると、ますます顔の火照りが激しくなってくる。
渚「うぅ〜」
そのとき、彼は気づいていなかった。
後ろからやって来る、人の気配に。
渚「⁉」
体がふわりと浮き――いや、持ちあがり、足をじたばたさせても動けない。顔の正面に布が現れ、そこにある匂いを至近距離でかがされる。
遠のいていく意識、頭がぼぅっとしてきた。
渚(誰……?)
☆
現在
皆「誘拐された⁉」
僕はこくりとうなずき、海を見た。
海「全ては、巧妙に仕組まれた罠だったんだ……」