>>585
その日から私は、海と名乗った少年とよく遊ぶようになった。
と言っても、ブランコを漕ぎながら話したり、彼の学校の宿題を横目にしながら本を読んだり。そういう日々が続いただけだったけれど。それでも、私はその時間が好きだった。
渚「どうしてジャンヌはさ、着物ばかり着てるの?」
海「洋服がないからだよ。小さいころからずっと和服ばかり着ていたから、これのほうが逆に落ち着く」
渚「そうなんだ」
彼の宿題を見ながら、私は、そういえば小1以来、勉強をしていないことをふと思い出した。「死神」より強くなるためならと、ある程度の知識は備えてあった。でも、所詮は並み程度だ。
海「勉強って楽しい?」
渚「あんまり楽しくないよ。そりゃ、正解したら楽しいけどさ。ジャンヌは学校に行ってないの?」
海「うん……。家庭の事情でね、行ってないんだ」
渚「なんかごめん……」
海「別に気にしてないし。だったらさ、海。私に勉強教えてよ」
渚「え⁉ 僕、教えるの下手だよ?」
海「大丈夫、下手でも理解はできるよ」
渚「えー、本当に大丈夫かな」
海「それに、君の宿題をいつも横目で見ているからだいたいわかるようになってきたし」
そう言うと、彼はひどく驚いた顔を見せてきた。あまりの間抜けな顔に、私はケラケラ笑った。
渚「理解できてるなら、教える必要はないんじゃ……」
海「人間は学ぶために生まれた生き物なんだよ。学ばなくてどうする」
渚「ジャンヌは、今どきの小学生があまりよく使わない言葉を使うよね。本当に11歳なの?」
海「今年で12歳」
渚「あ、じゃあ同い年なのか」
今さらなような気もしたけど、そういえば私。彼には自分のことをほとんど話していない。話したところで理解もできないだろうけれど……。
海と名乗った少年と、たくさん遊び、学んでいくうちに、気づいたら夏になっていた。
海「え、今日が誕生日なの⁉」
渚「うん……」
私が「誕生日はいつなの?」という何気ない一言で、その日は始まった。
今は夏休み中。それでも少年は、いつも通りの時間に公園にやってきた。
海「わ、私、何も用意してない……」
渚「え、いいよ。そんな! ぎゃ、逆にジャンヌはいつなのさ」
海「まだずっと先だよ。11月の10日」
渚「じゃあ、僕のほうがお兄さんだね」
ムッ。えらぶってるようで、なんかむかつく。
私は彼の両頬を両手でつねってのばしてやった。
渚「いだい、いだい、いだい〜」
海「うるさい、バカ。しばらくやられてろ」
手を放してやると、少年は自分の頬を痛そうにさすっていた。真っ赤に腫れてる……。私はその顔を見て、クスクス笑った。
渚「う〜、ジャンヌはらんぼーすぎる」
海「うっせ」
本心で会話をすることが、いつの間にか大好きになっていた。
そのとき、朗らかな曲が流れた。少年の持っている携帯電話からだった。
渚「あ、塾の時間だ」
海「もうそんな時間なのか。それじゃ、また明日ね」
渚「うん。また明日」
少年は公園を去る。
ふと、いたずらをしたくなった。
海「おい、海!」
渚「え?」
私は振り向いた彼の前髪をあげて、その額にキスをしてやった。
渚「⁉」
海「あははっ、誕生日プレゼント。喜んで受けとっとけよ」
渚「あう、あう……」
何か言いたそうに、顔を真っ赤にしている彼を、私は笑いながら見つめていた。
海「じゃあね、また明日!」
渚「え、あ、う……」
☆
渚はいったい何をされたのか理解できず、しばらく茫然とそこに立ち続けていた。
少女は、もういなくなっていた。
渚「あ、塾に行かなきゃ」
渚は停めておいた自転車に近づいた。
明日、どういう顔で会えばいいんだろう。きっと彼女はいつも通りの顔で、自分の前に現れるだろう。そう考えると、ますます顔の火照りが激しくなってくる。
渚「うぅ〜」
そのとき、彼は気づいていなかった。
後ろからやって来る、人の気配に。
渚「⁉」
体がふわりと浮き――いや、持ちあがり、足をじたばたさせても動けない。顔の正面に布が現れ、そこにある匂いを至近距離でかがされる。
遠のいていく意識、頭がぼぅっとしてきた。
渚(誰……?)
☆
現在
皆「誘拐された⁉」
僕はこくりとうなずき、海を見た。
海「全ては、巧妙に仕組まれた罠だったんだ……」
>>587「罠の時間」
夕飯の支度をしていると町内放送が流れた。
そういえば、窓を閉め忘れてた。
私は窓を閉めようと手をかけて、そこで止まった。
放送「……オレンジのシャツに紺色のズボンを履いた、〇〇小学校6年生・潮田渚くんが、本日17時頃。行方が分からなくなりました」
オレンジのシャツに、紺色のズボン……。本日、17時頃……?
その時間は、私が少年と別れた時刻だ。それに、服装は……。
私はハッとして、急いで家を飛び出した。
何故、少年が……渚が行方不明になった⁉ どうして、彼が塾に行く時、一緒について行ってやれなかった⁉
考えてる暇なんてない! ともかく、急いで彼を見つけなきゃっ!
最後に彼を見た公園に立ち寄った。変わっているところは、特にない。渚が愛用している自転車がまるで捨てられたかのように放り出されている以外は……。
たしか、この公園には防犯カメラがあったはずだ!
私はウェストバッグからノートパソコンを取り出して、急いでカメラのデータベースをハッキングして侵入した。
どこかに、あるはずなんだ。少年が連れ去られた時の瞬間が、この画面のどこかに……。
海「見つけたっ!」
大きな男が少年を羽交締めにし、布をかがせ……おそらくは薬品でも嗅がされたんだ。そして、そのまま走ってどこかへ。直後、画面の端には黒いワゴン車が走り去っていくところだった。
わかったのはここまでだ。あとはどうする? きっと警察も動いている頃だろう。となると、このカメラ映像は当然チェック済みのはずだ。彼らより先に見つけられれば……。
海「せめて、携帯の番号だけでも聞いておくんだった!」
でも、絶対にあきらめない。大事な仲間を……友だちをさらっておいて!
海「きっと、黒いワゴン車はところどころに、町のいたるところにある防犯カメラとかに写っているはずだ……」
私は自転車に鍵がささっていることを確認すると、急いでそれに乗った。一刻の猶予もない。車の走って行った先に、早速防犯カメラがあった。それをハッキングしてはワゴン車を探すという、地道な作業だった。正直、もたもたしてなぞいられない。でも、こうすることでしか、助けられない!
海「だいたいの見当はついた」
あとは……。
ウェストバッグから眼鏡を取り出した。眼鏡のモダンといわれる部分をはずすと、そこはUSBになっている。それをパソコンに挿して防犯カメラで見た全ての映像を送り込む。完了すると急いでそれを抜き、モダンをつけなおした。顔に装着すると、眼鏡の右レンズにさっき見た映像が流れてきた。
準備完了。
無事でいてよね、渚!
☆(渚side)
目を開けると、そこはとても暗かった。いや、暗いんじゃなくて、きっと目隠しをされてる。耳には……ヘッドフォン。うるさい音楽がガンガン響いて、逆に頭が痛くなってくる……。叫ぼうにも、布が巻かれていて口が動かない。手足も拘束されている。
じたばた暴れても、何も起きないし、変わらない……。
これからどうなってしまうんだろうか……。