>>649
海「私が、妹。ね……」
あぐ「誇太郎さんが何を考えているのか、私もよくわからないのよ」
柳沢は戸籍を取得している私に何か危険を感じたのか。まぁ、あのアパートの部屋を半年以上も空きにしていたらさすがに誰かしら不審に思うよなぁ。捜索とかかけられたら面倒だし。だから、私は……。
海「でも、所詮。妹っていうのは戸籍上でしょ。実際の妹じゃあないんだし」
何故か雪村家の人間として扱われることとなった。
海「住所は……、この研究所ではないんだね」
あぐ「私の家の住所ね」
海「ふぅん」
私たちは広げられた私の戸籍を見ていた。
あぐ「あ、海ちゃんは11月10日が誕生日なのね」
海「あー、そういえばそうだった。それがどうかしたの?」
あぐ「私の妹と1日違いだなぁって思って」
海「妹?」
雪村あぐりはこくりとうなずいた。
あぐ「そう。すっごくかわいい妹なんだよ。年齢は海ちゃんと同じ」
海「雪村さんってシスコンなの?」
そう聞くと、彼女は不満そうな顔をした。
海「え、何。あ、シスコンって言葉が気に食わなかったとか?」
あぐ「……そうじゃなくて。せっかく姉妹になったんだから、私のことは『お姉ちゃん』でいいのよ」
海「は、はぁっ⁉」
ダサい! なんで姉でもない人を「お姉さん」呼びしなきゃいけないんだよ!
あぐ「私もあなたのことはこれからは、『海』って呼ぶからね」
雪村あぐりは私の不満そうな顔を見ていたのか、見ていても無視したのか。勝手に話を進めていった……。
☆
研究所につれてこられて、1年4か月がたった。
海「何これ」
あぐ「今日は海の誕生日でしょう? だから、プレゼント」
渡されたのは、ネックレスだった。チャームがマカロンなのは、気にいったけれど。
海「私にあげるより、あぐりさんは妹がいるんでしょう? その人にあげたら?」
そう言うと、あぐりさんは不満そうな顔をしながら言った。
あぐ「妹のプレゼントはもう決めてあるわ。それから、私のことは」
海「うぅ〜、お姉ちゃん、ね」
あぐ「そうです」
あぐりさんは満足そうにうなずいた。
実験は、相変わらず過酷だった。ただ、最近は実験時間が短くなったのを感じる。
おそらく、薬品が投与されるたびにアレルギー反応がでているのが原因だと思うのだけれど。
>>674「希望の時間」
あぐ「ごはんだけど……」
海「いい……、いらない」
私は口をおさえながらなんとか言葉をしぼりだした。本当は気持ちが悪くて返事なんかできる状態じゃない。胸がむかむかする。
研究員A「この薬品の投与はそろそろよしたほうがよろしいかと……」
柳「本命に投与する場合の計算をしとけ」
A「はい」
首の後ろにある発信機に謎の細胞が入った液体がはめ込まれたのは、それから4か月後。研究所にやって来て1年8か月――3月のことだった。突如として、私の研究は中断となった。本命が手に入ったらしい。
ある日外から帰ってくると、あぐりさんがため息をついて待っていた時があった。
海「どうかしたの?」
あぐ「……柳沢さんに、ここで専属で働くように言われたの」
海「ふぅん」
そういえば、あぐりさんはどっかの中学の教師をやってるっていつだったか言ってたっけ。
海「教師の仕事はどうなるの?」
あぐ「やめることになると思うわ」
海「⁉」
あぐりさんはいつも楽しそうに教師の仕事について話していた。私はそれをただ、適当に聞いていただけだった。あぐりさんが楽しそうにしているのは、悪い気はしなかった。それに、毎回テスト問題を作るのを隣で見ているだけでも、私は当たり前の日常のように思えて、楽しかった……。
海「どうやったら、続けられるの?」
あぐ「え?」
海「だって、あぐりさん。教師の仕事好きなんでしょ?」
あぐ「……好きだけど、仕方ないわ。これは決められたことだから」
あぐりさんらしくない笑い方をされて、私はいささか不満だった。
その夜、私は色々と考えた。
柳沢にお願いしたところで、きっと私の気持ちはあいつには永遠に届かない。あいつにとって、周囲の人間全てがモルモット同然。そんな奴に人間が当たり前に抱いている感情が理解できるはずがない。
あぐりさんはそれが「当たり前の運命」と考えているようで、きっといくら言っても「仕方ない」と続けるだけだろう。
だったら……。
次の日
海「あぐりさん!」
あぐ「? どうしたの、海……」
私はあぐりさんが部屋に入ってきた瞬間、彼女に勢いよく声をかけた。
海「私、あぐりさんが教師をしている学校に行く!」
あぐ「え、えぇ⁉」
海「そうしたらさ、私の監視をするためにあぐりさんは学校に残らなきゃいけないでしょう? 私は勉強できるし、あぐりさんは学校に残れるし、一石二鳥だよ!」
あぐりさんはぽかんとしていた。
あぐ「で、でも。椚ヶ丘は入試もけっこう大変なのよ。受かるのすら難しいわ」
海「そんなの、あぐりさんが教えてくれるでしょ! 私も頑張るからさ!」
あぐりさんの目がうるんで、すぐに笑顔があふれたのはそのときだった。
あぐ「ふふっ。ところで、海。私のことは……」
海「お、お姉ちゃん、ね」
あぐ「そうよ。さ、椚ヶ丘に受かりたいのなら早速勉強を始めましょう」
海「え、今すぐ⁉」
あぐ「当たり前よ」
あぐりさんの笑顔が見られただけでも、私は嬉しかった。
☆
現在
海「あぐりさん……お姉ちゃんに教師の仕事を続けてほしくって、私は椚ヶ丘への受験を決心したんだ。ただ、大好きな人の笑顔が見たくて。受験中は大変だったよ。嫌いな数学はやらなきゃいけないし。お姉ちゃんは私が数学苦手なの知ってて、数学やらせるし。『国語をやりたい』って言っても『この問題が終わってからね』って笑顔で一蹴されたこともあった」
雪村先生の話をしているときの海は、どこか楽しそうだった。
彼女はちらりと茅野に目をやった。
海「あかり……。私はあなたのお姉さんに救われたんだ」
茅「………」
海「……でも、私はそんな彼女を裏切った。最低、最悪の人間なんだ……」
え?