>>711「誓いの時間」
いつまでもこんなところにいたら、気分が悪くなりそうだ。そう思って、私はそっと地上にでた。外は暗かった。雨粒がぽたぽたと頭の上に落ちてきた。私は急いで近くにあった橋の下に移動した。
あぐりさんが言っていた、「あかりを助けて」あれはいったい何なのだろう。妙に心に引っかかった。でも、所詮は夢。そのくらいで片づけられる気がする。
あぐ「中学校生活を全力で楽しんでほしいの」
全力で、楽しむ……。
密かに、学校にはいつか通ってみたいと思っていた。でも、そんなの永遠に叶わないとも思っていた。それに、今さら学校に通ったところで何の意味もない。だって、私が学校に通うと決めた本来の目的は、あぐりさんに教師の仕事を続けてほしかったからだ。
あぐ「あかりを、助けて……」
声が、よみがえった。というか、隣で聞こえたような気がした……。私は、また涙を流した。
海「ごめん、なさい……。ごめんなさい……」
謝ることしかできない。でも、その謝る方向がどこに向ければいいのかもわからない……。
海「どうすれば、いいの……。あぐりさんは、私にどうしてほしいの……?」
「死者と会話ができたなら」そんな一文を何かの本で読んだことがある。まさに、今の私はそれだった。私は、何をすればいいんだろう。
A「いたぞ!」
海「⁉」
まずい、見つかった。
私は急いで走りだした。
逃げなきゃいけない。どこまでも、どこまでも、行くあてもないまま。でも、どうして逃げなきゃいけないんだろう。柳沢の言葉から察するに「死神」はもう研究所にいないことはわかっている。それなのに、どうして……?
頭がだんだん痛くなってきた。意識も朦朧としている。休もうにも、休む暇さえない。私の体力は限界だった……。
☆
現在
海「発信機がある限り、私は永遠に自由にはなれない。そして、私は気づいたんだ。たとえこの学校を卒業してもまた行くあてがなくなる。目的もなくなる。だから、私は未来がわからないんだ。描けないんだ。自分がどうなりたいのかもわからない。自分が、何になりたいのかも。学校、卒業したら、また私は以前の生活に逆戻りだ。私の考えからするとね、未来も希望もない。そんな中で生きるくらいなら、いっそ地球が爆破してもかまわなかった……」
海……。
海「でも、色々と後悔してこの世からいなくなるくらいなら……」
☆
私があのときあぐりさんの言葉をしっかり聞いていれば、「死神」の名前に怯えていなければ、あぐりさんを救うことができたのかもしれない。
海「雪村、あかり……」
そうだ、彼女はどうしたんだ? あぐりさんがいなくなったら、彼女はどうなるんだ? 雪村家の家族構成をしっかり聞いたことはなかった。ただ1つ。雪村あかりという妹がいるということ以外は。
もしかして、雪村あかりは本当に。何か危ない目にあってるんじゃ……。「あかりを助けて」あの言葉の意味は、もしかして……。
海「ごめんなさい、気づいて、あげられなくて……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。私が、絶対に、絶対に、助けるから。私の命に代えても、絶対に……、雪村あかりを、助けるから……っ」
私はゆっくりと立ち上がった。雨は依然、激しく降り続いている。頭も、痛い。きっと、首の後ろの発信機につけられた変な液体のせいだ。それでも、そんな状況でも、立たなくてはいけない。
あぐ「中学校生活を全力で楽しんで」
あの言葉を、胸に抱いて。
私は、椚ヶ丘中学校へと向かった。
椚ヶ丘中学校
浅野理事長が理事長室に入ると、窓が開いていることに気付いた。
理(閉め忘れか)
外では雨が降り続いている。カーペットには雨水の染みが広がっていた。
理「?」
窓のサッシに、人影が見えた。
海「あなたが、椚ヶ丘の理事長先生だな」
理「君は?」
海はサッシに足をかけてそこに座った。
海「ここの中等部に転入予定の、海」
理「ああ、雪村海さんか」
海「違う。今は改名して、本郷になった」
(私に、雪村の姓を名乗る資格なんてない……)
理事長は海を見ながら言った。
理「何しに来たのかな?」
海「私を、E組に移させてほしい」
理「? 一体、何が目的で? 君は一応、A組に所属するということが決まっているんだが」
海「じゃあ、どうしたらE組に移させてくれる?」
理事長は海の目を見た。彼女の目の奥には、炎が揺らめいているように見えた。雨が降っても、決して消えることのない炎が。
理「やれやれ。今年は一体何人の生徒がE組に転入してくるのやら」
海「?」
理「いや何、こっちの話です。そうだな、E組に入るには条件がある。君もうちに受験をしてきたのだから知ってはいるだろう」
海「ああ。成績が悪かったり問題行動を起こすとE組行きだと聞いた。何をすればいい」
理「いや、もうすでにやっているので問題はない」
海「?」
理事長は黙ってカーペットを指さした。
理「不法侵入。挙句、部屋を雨水まみれにしたという素行不良さに免じて、本郷海さん。君は本日をもってE組行きだ」
海「そう。ありがとう。あと、私。5月まで学校には来ません。それだけ伝えたくて来ました。それじゃあ」
海は窓を閉じると、そこから飛び降りた。
☆(海side)
4月から学校に行かなかった理由は簡単だ。雪村あかりの居場所を探さなくてはいけないからだ。いったい、彼女がどこに住んでいるのかも。今、何をしているのかもわからない。
それに、引っ越しの準備もしておきたかった。あのアパートに帰ったところで、柳沢たちにはすぐに見つかる。引っ越しても変わらないとは思うけれど、なるべく学校に近い方がいいだろう。学校にいれば仮に私が柳沢に捕らえられても、何日も行方知れずになった場合、学校側も黙ってないだろう。何かしら行動を起こしてくれるに違いない。
理事長とはときどき連絡をとった。制服採寸もしていなかったから、それの打ち合わせなど。
「死神」に傷つけられたときの傷は、まだ完全に消えてはいなかった。傷を目立たなくさせるためには、男子の制服のほうがいいだろう。けれど、男子の制服を着るんだったら男子らしくい続けなきゃいけない。だったら、髪を切らなきゃ。
私はウェストバッグからナイフを取りだして、いつもポニーテールにしている髪を根元から切ろうとして、止まった。
いつだったかの、あぐりさんとの会話を思いだす。
あれは、私が髪のあまりの長さにうっとうしくなって、ナイフで髪を切ろうとしたときのことだ。そのとき、あぐりさんが部屋に入ってきてギョッとした顔で「何してるの!」と大声で叫んだのだった。
海「え、あ、いや……。髪を切ろうと思って。でも、ちまちま切るのが面倒だからいっそのことザックリやろうかと思ってたの……」
あぐ「そうだったのね……。あぁ、びっくりしたわ。てっきり自殺をしようとしているのかと思って」
海「やだよ、そんな痛そうなこと。誰がするか」
私は髪を切るのは今度にしようかと思って、ナイフをバッグにしまった。
あぐ「どのくらい切るの? 私が切ってあげようか?」
海「あ、本当に? じゃあ思い切り短くして。うーん、首の後ろが見えるくらいに」
あぐ「そ、そんなに⁉ もったいないわ、海はせっかく髪がきれいなのに」
海「はぁ? そんなの何の得もしないし」
あぐりさんが、ほめてくれた髪……。それに、首の後ろには発信機がある。これを見られてしまったら……。
海「切るのは、よそうかな」
私はまた、ナイフをバッグにしまった。
そしてそれからしばらくして。結局、4月が終わっても雪村あかりの居場所はつかめなかった。