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椚ヶ丘中学校
浅野理事長が理事長室に入ると、窓が開いていることに気付いた。
理(閉め忘れか)
外では雨が降り続いている。カーペットには雨水の染みが広がっていた。
理「?」
窓のサッシに、人影が見えた。
海「あなたが、椚ヶ丘の理事長先生だな」
理「君は?」
海はサッシに足をかけてそこに座った。
海「ここの中等部に転入予定の、海」
理「ああ、雪村海さんか」
海「違う。今は改名して、本郷になった」
(私に、雪村の姓を名乗る資格なんてない……)
理事長は海を見ながら言った。
理「何しに来たのかな?」
海「私を、E組に移させてほしい」
理「? 一体、何が目的で? 君は一応、A組に所属するということが決まっているんだが」
海「じゃあ、どうしたらE組に移させてくれる?」
理事長は海の目を見た。彼女の目の奥には、炎が揺らめいているように見えた。雨が降っても、決して消えることのない炎が。
理「やれやれ。今年は一体何人の生徒がE組に転入してくるのやら」
海「?」
理「いや何、こっちの話です。そうだな、E組に入るには条件がある。君もうちに受験をしてきたのだから知ってはいるだろう」
海「ああ。成績が悪かったり問題行動を起こすとE組行きだと聞いた。何をすればいい」
理「いや、もうすでにやっているので問題はない」
海「?」
理事長は黙ってカーペットを指さした。
理「不法侵入。挙句、部屋を雨水まみれにしたという素行不良さに免じて、本郷海さん。君は本日をもってE組行きだ」
海「そう。ありがとう。あと、私。5月まで学校には来ません。それだけ伝えたくて来ました。それじゃあ」
海は窓を閉じると、そこから飛び降りた。
☆(海side)
4月から学校に行かなかった理由は簡単だ。雪村あかりの居場所を探さなくてはいけないからだ。いったい、彼女がどこに住んでいるのかも。今、何をしているのかもわからない。
それに、引っ越しの準備もしておきたかった。あのアパートに帰ったところで、柳沢たちにはすぐに見つかる。引っ越しても変わらないとは思うけれど、なるべく学校に近い方がいいだろう。学校にいれば仮に私が柳沢に捕らえられても、何日も行方知れずになった場合、学校側も黙ってないだろう。何かしら行動を起こしてくれるに違いない。
理事長とはときどき連絡をとった。制服採寸もしていなかったから、それの打ち合わせなど。
「死神」に傷つけられたときの傷は、まだ完全に消えてはいなかった。傷を目立たなくさせるためには、男子の制服のほうがいいだろう。けれど、男子の制服を着るんだったら男子らしくい続けなきゃいけない。だったら、髪を切らなきゃ。
私はウェストバッグからナイフを取りだして、いつもポニーテールにしている髪を根元から切ろうとして、止まった。
いつだったかの、あぐりさんとの会話を思いだす。
あれは、私が髪のあまりの長さにうっとうしくなって、ナイフで髪を切ろうとしたときのことだ。そのとき、あぐりさんが部屋に入ってきてギョッとした顔で「何してるの!」と大声で叫んだのだった。
海「え、あ、いや……。髪を切ろうと思って。でも、ちまちま切るのが面倒だからいっそのことザックリやろうかと思ってたの……」
あぐ「そうだったのね……。あぁ、びっくりしたわ。てっきり自殺をしようとしているのかと思って」
海「やだよ、そんな痛そうなこと。誰がするか」
私は髪を切るのは今度にしようかと思って、ナイフをバッグにしまった。
あぐ「どのくらい切るの? 私が切ってあげようか?」
海「あ、本当に? じゃあ思い切り短くして。うーん、首の後ろが見えるくらいに」
あぐ「そ、そんなに⁉ もったいないわ、海はせっかく髪がきれいなのに」
海「はぁ? そんなの何の得もしないし」
あぐりさんが、ほめてくれた髪……。それに、首の後ろには発信機がある。これを見られてしまったら……。
海「切るのは、よそうかな」
私はまた、ナイフをバッグにしまった。
そしてそれからしばらくして。結局、4月が終わっても雪村あかりの居場所はつかめなかった。
5月。私は椚ヶ丘中学校3年E組にやってきた。
烏間先生という、実は防衛省の人だと自己紹介をした彼は、私に。ある依頼をしてきた。
それは、月を三日月に変えて地球を滅ぼすと脅迫している謎の生命体を暗殺する依頼だった。
海「暗殺、ですか…」
私はポカンとした。
まさか、ここに来てまで「暗殺」という単語を聞くとは思わなかった。そうか。理事長がE組に対して言葉を濁していたのはこういうことだったのか。
烏「その暗殺対象者がもうそろそろ来るはずだ」
烏間先生が言い終わらないうちに、校舎の外で激しい爆発にも似たような音が聞こえた。
海「何ですか、あれは」
烏間先生が困ったように眉をひそめて、
烏「あれが、暗殺対象者だ…」
そして、職員室の窓がガラッと開き、そこから黄色い頭の超生物が現れた。
どうして、こいつが……。「死神」がE組に……? 顔も形も随分変わったけど、間違いない。こいつは「死神」だ。
殺「ヌルフフフ。ようこそ、あなたが転校生の本郷海さ……」
私は気が動転して……、そこから先のことはあまり良く覚えていない。気づいたら、職員室で寝転がっていた。
柳沢はたしか「『死神』は椚ヶ丘にいる」と言っていた。これはそういう意味だったのか。
烏「大丈夫か?」
海「はい、すみません……」
殺「にゅぅ……」
見違えた。なんで、こんな未確認生物になっているのかは理解できなかった。もしかしたら、柳沢の実験で頭のネジが飛ばされたのかもしれない。
烏「とりあえず、お前は待機だ」
殺「にゅやぁ⁉ 何故ですか⁉ 私だけのけ者だなんてひどいですよぉ……」
ビ「いったい何の騒ぎよ、朝から騒々しいわね」
この、声……。
職員室のドアが開かれ、そこに現れたのはイリーナ先輩だった。再会するのは約3年ぶりだ。彼女は私の姿を見るなり、目をみはった。私たちは互いに顔を見合わせてしばらく茫然としていた。
烏「イリーナ、彼は本郷海。このクラスに転校してきた生徒だ。本郷さん、彼女はイリーナ・イェラビッチ。E組で外国語を教えているがプロの殺し屋でもある」
海「……よろしくお願いします」
私は頭をさげた。彼女は私を見てしばらく沈黙していたけれど、やがて「ええ、よろしく」と言った。
まさか、先輩がいるとは思わなかった。
あぐ「中学校生活を全力で楽しんで」
あの言葉が再び耳に木霊した。
そうだね、せっかく入れたところだもの。かつて、あなたが教師をしていた場所で、私は本校舎の生徒としてではなく、E組の転入生としてこのクラスに行くことを選んだ。その選択はきっと間違っていない。
あぐ「あかりを、助けて……」
絶対に、助ける。自分の命に代えても、絶対に。雪村あかりを助ける。
あぐりさん、あなたが私にくれた言葉。私はこの教室で学び続ける限り絶対に忘れない。
たとえ、この学校を卒業して、また以前のように行くあてもないままモルモットとして過ごすことになったとしても。
あなたが、私に勇気をくれたから。私は、あなたのために。全てをなげうってでも頑張れる。
教室が見えてきた。教壇に立つとみんなが私に注目していた。
このクラスメイトが、あぐりさんの生徒……。
ちょっと緊張したけれど、勇気を持って。
海「はじめまして、本郷海といいます。よろしくお願いします」