平均的な学校と比べ、一コマの授業時間が長い白羽学園では、合間の休み時間も多少長めに取られている。次の授業で使用する教材を机上に並べ、不備がないか再三確認してもかなりの時間が余るほどだ。随分ゆとりのある休み時間を、成績優秀者の集まりであるA組は揃って勉学に有効利用しているのかというと、実はそうでもない。
方や、天賦の才だけで高度な知識をいとも簡単に理解する者。方や、血が滲むような努力を以てA組の座にかじりついている者。あるいはそのどちらでもなく、何かしらの特例によってA組への在籍を許されている者も存在するかもしれない。現在の成績に至った背景が個々によって違えば、休み時間の使い方も必然的に多様化する。よって天下のA組も、他のクラスと比べればさほど変わらない教室風景となるのだ。
閑話休題、A組教室の休み時間にて。椎哉は自分の席に座ったまま、しきりに鉛筆を紙上で動かしていた。傍から見れば自主勉強をしているようにも見えるが、よく観察すると時折自分の手帳に目を移しては電卓を叩いている。そんな彼の違和感に気を引かれ、声をかける同級生がいた。
「おや、北条副会長。何かご用でしょうか」
「そういう訳じゃないんだけど、さっきから何を計算してるのかと思ってね」
「これですか? 前回の期末考査の平均を割り出していたんですよ。次の考査もそろそろ迫ってきていることですし」
「前回って、安部野君が前にいた学校での成績?」
智は首を傾げた。つい先日まで学園を休学していた彼も、椎哉が新年度からの転入生であることは百合香からの情報で知っている。ならば椎哉が言う「前回」とは、彼が前年度まで通っていた学校での最終考査なのだろうと予想した。しかし、ここは地方でもトップレベルの進学校。椎哉の出身校がどこかまでは把握していないが、並大抵の高校のテストでは、この学園での考査の対策材料にはなり得ないはずだ。
そんな彼の疑念に気付いたのか、椎哉は手帳の一ページを開き、智に見えるようにして掲げる。その罫線上には人物名、クラス、そして五教科の点数と思しき数字とその合計が、上から下までびっしりと埋まっていた。
「いいえ、前回というのは『白羽学園の前年度最終期末考査』のことです。生徒会たるもの、生徒の皆さんの成績の推移を把握し、より効率的な学力向上の助力に努めなければいけないでしょう?」
「生徒の皆さんって……まさかこれ全部、全校生徒の前回の点数かい?」
「ええ。精密なデータを得るには、正確な値が必要不可欠ですから」
言いながら椎哉は手帳を智に見せたまま、もう数枚ページをめくる。新たに開かれたそこにもやはり、生徒一人一人の成績が同じように綴られていた。
(続く)
(>>165-170と>>172の放課後、かつ>>173、>>175、>>177とこの話がほぼ同時と仮定しての話です)
赤みが混ざり始めた夕暮れ空を背景に、天に向かって高々とそびえ立つ白羽学園の学び舎。その一角、音楽室から聞こえてくるのは、多数の管楽器による騒々しい音色。恐らく吹奏楽部が個人で、あるいは楽器別に各々練習をしている真っ最中なのだろう。そんなことを思案しながら、剣太郎は校舎の、音楽室がある辺りをぼんやりと見つめていた。
かつては広報部に所属していた剣太郎だが、昨年執り行われた強制廃部によって、現在はどの部活にも所属していない。また、いたずらに学園やその周辺街を徘徊すれば、別の生徒にいちゃもんをつけられ、理不尽な恫喝や暴力を受けてしまう。学園に残る理由などなく、得られるものもなければマシな方。ゆえに終礼のホームルームが終わり次第、誰からも声をかけられないようにして速やかに逃げ帰る。それが現在、学園中から迫害されている剣太郎の、日常的な放課後だ。
――もしも、風花百合香が広報部を潰さなければ。あるいは部長の千明が、処刑制度や百合香に対する取材を諦めていれば。自分は今でも、部員たちと新聞を作り続けていられただろうか? 今のようなみすぼらしい思いを味わうことなく、青春の一ページを綺麗な思い出で飾れていただろうか? 溢れんばかりの後悔に塗れた仮定は、いつしか過去の情景を剣太郎に想起させていた。
◆ ◆ ◆
「部長、そろそろ深追いはやめた方がいいんじゃないですか?」
「そうですよ! このままじゃ俺ら全員、生徒会に処刑されてしまいます!」
広報部が強制廃部となる数週間前。青ざめた顔の部員たちが必死の剣幕で、千明に詰め寄る光景が部室内で見られた。当時はまだ百合香直々の声明こそなかったものの、部活動の妨害や度重なる嫌がらせなど、明らかに広報部の動向を良く思わない存在からの脅迫をじわじわと受けていたのである。遠回しの通達とはいえ、声なき牽制をそこまで受ければ、通常の人間は身の危険を察して自らの活動を自重するものだ。だが残念なことに、千明の精神は良くも悪くも非常に丈夫であった。
「大丈夫だって! 向こうに気付かれる前に、バーっとネタ集めてガーっと記事書いてダーっと配布すればいけるいける!」
「そういう次元の問題じゃないんです! 俺たちの取材先に先回りしてくるような奴ら相手に、先手を取れるわけないでしょう? あいつらはこっちの考えを見通してるんですよ!」
「何でも調べたがる部長の悪癖は私たちも分かってます。でも、その弊害が広報部自体にも降りかかったとしたら、部長は責任を取れるんですか?」
「あー、責任かあ……。それ言われると確かに辛いな」
生徒会側からの度重なる牽制にも負けず、処刑制度や百合香周辺の独自調査を続けてきた千明。その核心にこそ触れられてはいないが、今や彼女は百合香の目論見を、部外者の中では恐らく最も真相に近い形で知る存在となっていた。だからこそ、制度の犠牲者が強いられる処刑内容の凄惨さも十分承知している。その上で広報部を率いる者としての責務を引き合いに出されると、流石の千明も閉口する他なかった。
言葉に詰まってそのまま数分。いつもは喧噪の中心である千明が黙り、部室内にもしんとした静寂が下りる。普段はアットホームな部活内の雰囲気に馴染み切っていた部員たちは、慣れない緊迫感に身を固くしつつ、それでも無意識に共通の期待を千明へ向けていた。彼女が自分の無謀さを自覚し、百合香の機嫌を逆なでするような取材をやめてくれると。
それからようやく考えがまとまったのか、千明は天井を仰ぎ見ていた頭を部員たちの方に向け直す。――直後、向きを戻したばかりの頭の前方に、合掌した両の手を勢いよく差し出した。
「すまん、責任は取れない! でも取材をやめるのも無理だわ!」
「はあ!? 部長、それ正気で言ってます!?」
「うん正気。マジ正気。真っ当なたっぷりSAN値で考えた上でこの結論よ」
「じゃあ部長は、自分のせいで広報部が潰されていいとでも!?」
「まあ、ものすごく端的に言ったらそうなっちゃうな」
「ふざけんな!!」