議題はスレタイ通り。
ちなみに、俺は実在すると思う。
いないけどいてほしい派
3:ホラーな匿名さん◆UY:2017/06/14(水) 23:19 ID:xTI >>2
いないと思う理由は?
自身に干渉されたことがないから、軍事転用の都市伝説すら聞いたことがないから
5:all-A◆2g:2017/06/15(木) 00:01 ID:uwQ いると思います。
理由
母がそれに関する力を少し持っているからです。少しとはいえ、常人からすれば『なんでそんなことが分かるの?』と聞きたくなる程度の力です。
テレビ番組の心霊特集で悪い霊(黒い影等)が映った映像を見るとたまに頭を痛めたりするそうです。つまらない嘘が嫌いな頑固者であるため、嘘をついている可能性は低いです。
そして、また心霊特集のテレビ番組関係ですが、動画のオチが流れる前に『こうなるんじゃない?』と、オチを言い当ててしまうことです。
例えば……
『墓場に肝試し感覚で立ち寄ろうとした男。嫌がる友達を無理矢理付き添わせ、さらには自分より先に行かせようとする……
フェンス(?)に手を掛けた男の友達の手を何者かが触った。
数ヵ月後、男の友達は事故によって死んだ……偶然か?祟りか?』
動画やそれの説明によればこんな内容でした。
母は、『フェンス(?)に手を掛けた男の友達の手を何者かが触った』という展開を動画が始まり10秒後ぐらいに言い当てました。
あてずっぽうとは考えづらいです。動画を最後まで見ていないうちは『男の友達の目の前に顔が映り混んでくる』可能性だって『気の触れた女性のような霊が襲いかかってくる』のかもしれなかったのですから。
そして最後に、母が死んだ愛犬の霊を見たと証言したからです。
母は、運悪く愛犬の死に際に立ち会えずみんなよりも少し後に愛犬の亡骸にお別れの言葉を伝えなければならなかったからです。
その日から3日後、トイレに入っていたときに足のような物をドアの隙間から見たそうです。母は『私が戻ってきた』と勘違いして話をかけたそうです。そうしたら、その足が動き、母の目には確かに見えたそうです。
『白い足が四本、遠ざかっていくであろう様子』を。母は、愛犬がお別れを言いに戻ってきてくれたと思い泣いたそうです……
母に力があっても、私自身はそんな力はないだろうと思っています。『見えた……』と、勘違いしたことは何回かありますが……
しかし、私は信じています。理由は単純です。
身近な人間がここまで色々話してくれたら、疑う気すら起きないからです。
かなりめちゃくちゃな文になってしまいましたが……所々察しながら読んでくださると幸いです
7:ドヤ顔 (ノ ゜Д゜)ノ:2017/06/15(木) 00:16 ID:x4M まぁ、突然の寒気とかたまに起こったりと俺もするしなぁ…
事実、三才の頃に白い足が天井から見たのを今でもはっきり覚えてるわけだし…
ということで俺は要るんじゃないかなとは思うね。
おぉ、信じている人って意外と多いのな。
9:all-A◆2g:2017/06/15(木) 00:59 ID:uwQ まあ、無限に広がるこの次元。何があったって不思議はないですよ。パラレルワールドだって証明されつつあるんですから。ましてや、人間がAIだっていう人だっているんですから。神様だっているのかもしれないし。可能性も無限大です。
幽霊の5万や10万、いなくはないと思いますよ。
俺がどうも昔から幽霊ってのを信じられないのは、俺が仮に幽霊になったらトンネルとか墓場とか辛気臭いところに留まらずに
毎日映画館とか女湯とか入り浸るに決まってるのに、そういうところで幽霊に会ったなんて話は聞かないからなんだよな
>>10
確かに、「娯楽施設に幽霊が〜」って話は聞いたことがないな。
幽霊っていたら人類に利益もたらすよね、科学とかの方面から。
そんな都合の良いものあるかしらないけど
>>10-11
幽霊はどこにでもいますよ。私たちの第六感が弱すぎるのと光の力が強すぎるので見えづらくなるだけです。
それに、幽霊になって出てくる人は成仏できないでいる魂であるはずです。
なぜ彼らにとって『成仏すること』が大切なのかはわかりませんが、
・成仏するためにさ迷う
→一人では無理かも……?
→仲間を求める
→光や生気が強いと集まらない
→暗闇等に集まる
→墓地とかに溜まっていく……
ということだと思います。
フィルムカメラだった時代、一般家庭向けに
売られているフィルムの感度は規格で決まっていて
もっとも標準的な物が「ISO-100」と呼ばれる物だった。
安価なコンパクトカメラも本格的な一眼レフカメラも
「写ルンです」が出た時も当然ISO-100なのであった。
カメラの普及により心霊写真も知られる様になった。
当時のフィルムの感度100は決して性能が良いとは言えず
特に夜などの暗所での撮影性能は絶望に等しかったのだった。
そこで別途ストロボを炊いて撮影することになった。
知っての通り、ストロボの閃光は眩しいほどの強い光だ。
そんな強い閃光に照らされても心霊写真は写った。
つまり、光が強くとも幽霊は写る(見える)。
ISOじゃなくてASA(アーサー)100ってやつだね(笑)
16:ドヤ顔 ( -.-)ノ ・゚゚・。:2017/06/16(金) 14:59 ID:x4M じゃぁ俺はこれをあげようかな。
○幽霊に自我は無い説
自我が無いからとりあえず仲間が集まってる所(墓場等)に行く可能性を上げてみる
○ならなぜ住宅街や家、公共施設でみられるのか?
それは少量の自我で人に会いに行けたのではという考察
だから幽霊自体に自我は無いから映画館や女風呂に行かないのではないかと考えます。
または
○実は自分の体がある場所、死んだ場所の周辺にしか動けない説
ってのもありそうだけど…
>>16
>>実は自分の...
地縛霊ってやつだね。
心霊スポットで目撃されている幽霊の多くはそれだろうね。
もしくは自分が映画館や女風呂に入ると皆気味悪がるのを知ってるから近付かないのは幽霊間の暗黙の了解って可能性もあるけどね…
19:ななし◆xU:2017/06/17(土) 09:09 ID:PSo >>10
>>11
地元の神社で霊感持ってて巫女さんやってる年上のお姉さんがいるんだけど、その人が言うには、地縛霊とか悪霊じゃない限りはトイレとか廃ビルには幽霊は少ないらしい。
もっとコンビニとかゲーセンとか本屋とか娯楽施設とかに結構幽霊って溜まってるらしいぞ、死んだあとでも寂しかったりするかららしい、女湯とかはわからんが。
テレビとかで心霊スポットにトンネルとか暗いジメジメしたところをうつされるのは、人が好んで近づかない、本能的に近づきたくないって感じるから。
不快=バケモノとかいそう→化物=幽霊ってな感じらしい。
自分で書き込んだあとに言うのもあれだけどさ、これが本当なら心霊スポットとかで撮されるところって悪霊とか地縛霊ってことになるからやばいのかね。
21:ドヤ顔 ホィ(ノ゚∀゚)ノ ⌒:2017/06/17(土) 13:12 ID:x4Mあー>>19の言う事を考えるともしかしたら気持ちの強さ(恨み、憎しみ、会いたいという気持ち)によって見える見えないとかも関係しそうだな
22:嚮音◆S2:2017/06/17(土) 14:23 ID:35A 状況は知りませんが、
人によって違うでしょうね。
霊感があって見えちゃう人はいる、
体験した事が無い人はいない、と
>>21
それは生き霊も同じやね
いると思うなら物理的に証明してみてよ
宗教で地球は神が作ったとか思ってるやつもいるんだからwwwwwwwww
ていうかこういう思想が生まれるのも全部宗教と都市伝説が悪い
幽霊かどうかはわからんけどもしその存在が高次元のものなら我々が知覚できる3次元の物理現象で証明する方法はないのよね。
葉っぱ天国のスレッドを読んでても書き込んでる人の顔は見えない、みたいな。スレッドを読んでいるだけじゃその書き込みが本当に人間が書き込んだものなのか証明する手立てがない。例えるならそんな感じ。
幽霊は確実に実在している。
ただし、それは自然科学領域にではない、別の領域の特定の意味の中に現れる。したがって、実在していない、とは言いがたい。
よく実在論で取り上げられるのが、物理的に自然科学的に、というニュアンスが強いけれど、実在論とは、自然科学という一つのエリア以外のものもまた対象になりうることを忘れてはならない。
自分たちが見ているおよそ現実と呼ばれるこの世界は、宇宙とは異なる。そもそも、宇宙とは自然科学領域のごく小さな、無限の空間でしかなく、世界とはそれよりも大きい。なぜなら、あらゆる領域を含む全体領域を指すからだ。その領域の中には、宇宙も含まれる。当然である。
それで存在とは、その世界の中に現れることそのもののことであるから、やはり幽霊は存在していると答えるのが妥当。そういう意味では、神も存在しているし、悪魔だって存在している。
実在とは、自然科学の意味だけではなく、そういう意味でも使われる。
>>26
>実在とは、自然科学の意味だけではなく、そういう意味でも使われる。
ここが少し腑に落ちない。そのように定義している文献を提示してほしい
>>27
これ読んで始めて自然科学の意味をググッたクチだけど自然科学では無いものとして挙げられてた形式化学の項目にこんなのがあったよ
以下Wikipediaから引用
『形式科学は経験的内容を欠いた概念的なシステムだが、それは現実世界との関係が全くないというわけではない。その関係というのは、形式的主張はすべての想像しうる可能世界で成立するということである(論理式を参照)。』
……小難しくて何言ってるかいまいち分かってないけど的外れだったらごめんね
>>28
うーんつまりは、形式科学は実験や観察ではなく、論理によってなりたつもの。つまり数学みたいなものだと言うことですよね。
それだと、論理的には成立し得ない(多分)幽霊や悪魔、神は存在しないことになりますね。
ということは、その記述だと不十分ですね
>27
そのように定義したのはマルクスガブリエルで、詳しくは「新実存主義」や「なぜ世界は存在しないのか」という本を読んでみてほしい。彼は形而上学や認識論、構築主義を超えて、実在論について、ポジティブで有意味な主張をしている。そして現代の、哲学よりも科学が優位してしまった結果のニヒリズム(ニューロン構築主義や物理理論に基づく人間観)も批判した。
>28
確かに小難しいから、少し柔らかく崩してみた。
『形式科学は経験的内容を欠いた概念的なシステムだが、それは現実世界との関係が全くないというわけではない。その関係というのは、形式的主張はすべての想像しうる可能世界で成立するということである』
↓
『論理学などの形式科学は、現実世界で行えない実験を行える性質だが、それは現実世界と関係してないわけではなく、関係している部分は少なからずある。
その部分とは、論理的に成立し得る可能的世界(上文の実験に該当)が、この現実世界の中で、言語的(=思考的かつ想像的) に行われる部分であり、言語とは現実の産物である。したがって関係してないとは言えない』
権威を借りるのならばこの主張は、ウィトゲンシュタインも同じように語った。彼は論考の中で、可能世界を論理空間、この現実世界を、世界と称した。そして、論理空間は、世界の中に言語(=思考や想像)として姿を現し、世界もまた、可能性の一部として論理空間に包括されると、双方が入り組んだものとして特徴付けた。
ただ、今ここで問題となっているのは、存在するとはどういうことなのか?(=実在論)であり、invincible氏が、物質的に存在していないものを、実在するとはっきり言うのは難しいのではないか?という疑問そのものである。
だから、上記の議論は存在することはどういうことなのか?という疑問には明確な答えを与えてくれないような気がする。
>>29
気になったことがある。「論理的には成立し得ない」とはどういう意味?
>>30
付け加え
そもそも、ウィトゲンシュタインは世界・論理空間を前提的に存在するものとして扱っている。だから、ウィトゲンシュタインがやったのは世界の在り様を捉えること=形而上学である。彼は存在することの意味について明らかにしてくれていない。だから、もにもにさんが提示してくれたのは、「現実(事実の総体)と可能性(成立し得る事柄の総体)の関係性」についてであって、「実在論」ではない。
なるほど。成立と実在ってまた意味が変わってくるんだね。>>28ちょっとわかった気がする。教えてくれてありがとう
そしたら物事の状態として『実在しない』けど『存在が成立する』っていうケースはあるのかな?
>>30
資料のご提示、ありがとうございます。未読のため、今度買って読んでみようかと思います。
また、もう一つ質問があるのですが、そのガブリエル氏の主張は、本流の考え方なのでしょうか。
>>31
いや、論理的には説明できないだろうから成立しないと言ったのですが、考えてみればどうも正しいとは言えないようなので、撤回します。
>>33
「物事の状態」とは??
ハイデガーは、この世界を多元的に捉えた。つまり、この世界はすべての領域の領域なのであると捉えた。
ここから、物事の状態として存在しないが、存在が成立するっていうケースっていうのは、自然科学という一つの対象領域内には存在していないが、例えば○○文学、社会学、メルヘンだとか別の対象領域内には存在しているものってことだと思うよ。
社会主義に神は存在していないが、資本主義に神は存在するみたいな捉え方でいいですかね
37:もにもに:2021/01/10(日) 21:05 ID:48o >>33レスの相手まちがえた。28じゃなくて>>30のログさん宛てだった。失礼
>>35私が『物事の状態』って言ったのはオバケが【いるかいないか】ということを暗に指したつもりだよ。たとえ実在しなくても存在が成立すれば【オバケはいる】と言えるんじゃないかと思ったんだけど、例えてくれたモノを見る限りこのスレッドの議題からは逸れてしまうのかも。
>>34
本流です。マルクスガブリエルが行った、現代社会のネガティブな思想に対する批判の根底にあるのが、彼が理論構築した「新しい実在論」だからです。ただ、ガブリエルは色々な哲学者(スピノザ、ルソー、カント、ライプニッツ、ハイデガー、フーコー、チャーマーズなど挙げきれない)の考え方を徹底的に批判して、受け入れる部分と受け入れない部分を明確に分割し、新しい実在論確立の糧としました。
>>38
なるほど、それは大した人ですね。ありがとうございます。
>>36
資本主義や社会主義といった経済学の対象領域に、神が属することができるかどうかはわからないです。ぼくの知識不足ですね。
ただ、例えば宗教学という対象領域の中には存在していますし、例えば創作という対象領域にも存在しているでしょう。ただし、神という概念(定義)にもよります。神が世界全体の原理としての意味の場合、ガブリエルは神はどこの対象領域にも属さないので、その存在を否定します。
>>37
確かにスレ題からは逸脱してるかもしれない。
「いるか、いないか」はどこで?っていうのが重要です。実在論は、常にどこに?という問いのもとに成り立っている。
例 )
神は存在する→どこに?
地球は存在する→どこに?
宇宙は存在する→どこに?
それから実在論とは、様々な考え方がある。
例えば自然主義といって、その中で、物質的に存在していないもの、感情や思考などといったものは、全て脳神経的なものに還元され、それゆえ、それらは全て科学的に存在しなければならないという実在論もあるし、全ては何もかも人間の認識から構築されるもので、認識の背後にあるものは何もない無、空虚であるという実在そのものを否定する主張もある。
そして、このスレが暗に意味する「存在する」とは、自然科学領域内においてである。そうすると、自然科学の領域には幽霊は存在しない、になる。
ただ、自然科学領域内という設定をなくすと、幽霊は、精神病、怪談とかの別の対象領域の中に存在することになる。
>>40
すみません、例が悪かったです。
>ただ、例えば宗教学という対象領域の中には存在していますし、例えば創作という対象領域にも存在しているでしょう。
それは存在であって、実在とは異なると思います。例えば私が、「ハイキング中のドイツ人にソーセージを投げつけられた」という作り話をしたとき、ハイキング中のドイツ人は作り話の中では存在するものの、実在はしていないでしょう。
>>42
これは言葉の意味についての問題だと思われます。というのも、実在には二つの意味があります。一つ目の意味は日常用語で、自然科学領域内に存在すること、物質的に存在すること、を実在と言っています。実際に存在すること=地球上・宇宙上・その他物質的場所のどこかに存在すること、です。
二つ目の意味は、ガブリエルが言うように、ある対象領域内に存在していることを実在と言います。そもそも、実在とは、現実に有る物のことで、ガブリエルは「なぜ世界は存在しないのか」の中で、現実=世界=対象領域の全体領域と提示しています。そこで、ある対象領域の中に存在することは、特有の実在性を有する、とも言っています。
なので、そういう意味でぼくは実在の言葉を使いました。ただし明らかに一般的ではないのは、承知してます。存在すると言った方が正しかったですね。
俺の婆ちゃんがマジで霊感強い人で、体験談とかも聞かせてもらったことがある。婆ちゃんが子供の頃、誰もいない2階で毎日ドタドタ走り回る幽霊がいて、ある日突然それが階段下ってきて風呂場に水貰いにきたって話聞いた時からずっと信じてるわ。本物の人のはあまりに信憑性がありすぎるんやなって。
45:蒼鳥◆MY:2021/01/14(木) 16:49 ID:t.M 私は信じたい派なのだが、
脳のレビー小体に異常が起こると幻聴や幻覚を見ることは明らかになっている。
レビー小体認知症で調べると結構出てくるはず。
認知症じゃなくても、なんらかの異常がそこに起これば、結果的に幽霊を見たという現実が本人には起こり得るのでは?
それとは別に私自身も音を聞くことはあるし、知り合いの住職さんもめちゃ見える人だから
信じてはいるのだけど…。疾病の場合も多そうというイメージ。
死んだ人が復活・蘇生することはあります。
イエス様は死後に復活なされ、ラザロは死後に蘇生されています。
またモーセの十戒(モーセの律法)で有名なモーセや預言者エリヤは死後に関わらず、イエスの前に霊的存在として現れました。
しかし原則として、死んだ人がこの世に現れることは以上の例外を除いてありません。
ただし、元天使長ルシファーこと悪魔サタンや、それに従い堕落した天使……即ち悪霊(アクリョウではなくアクレイ)たちはこの世に存在します。
つまり悪魔や悪霊は存在するということです。
https://m.youtube.com/watch?v=wwynR2a4OGE
↑
幽霊について、キリスト教の福音主義的な立場の先生による解説です。
>>47
キリスト教に入信したら、もれなくおまけに天使と悪魔までついてくるとかそのおまけいらないんだけどw
>>48
キリスト教とりわけ福音派の立場としては、悪魔は実際にいるわけで、イエス・キリストの福音を信じたから悪魔が存在することになると言った相対的なものではありません。
悪魔は仏教徒だろうとイスラム教徒だろうと無宗教の方々など関係なしに、全人類を脅かす者として存在しているのです。
というのが福音派の考えです。
>>49
そう考えている人の中の固有の事実として悪魔や天使がいるんだろ。
目の前で怒ってる現象に対する命名法の違いぐらいなもんよ。
キリスト教的にはこう考えますとかね。