押すと【100万円】が手に入るボタンがあります
ただし、ボタンを押すと【何もない空間】にワープして【五億年】そこで過ごさなければなりません
五億年後、その五億年間の【記憶は消去されます】
あなたはボタンを押しますか?
※【何もない空間】では意識がはっきりしており、死んだり眠ることはできません
今更ですが誤字りました。
意義→異議。補完されてるとは思いますが一応。
指摘が遠回しすぎる上に分かりづらいので噛み合わないの覚悟でもう一度言わせてもらうと、五億年後記憶を消すという絶対条件がある時点で
ボタン押す人はA
五億年間過ごす人はB
100万円もらう人はA
なんですよ。
コレA→A→Bだと思われがちなんですけど、自分という存在を連続した記憶の集合だと考えると、異空間で五億年間過ごしたBは前後のAとの記憶の相互関係も時間のつながりも切れてるんですね。
最終的にBは(Aだと思い込んだ)別人、Aは自分自身となるんです。
だからAだけの視点でみていけば【ポチッ→100万】は成立するんですよ。
あと五億年間をどう過ごすかとかは別にいいんですよ。過ごすのは別人なんで。
>13番目さん
『空間に立ちいった瞬間から記憶を消されるまでの自分』は自分である。
↑この主張は分かります。
記憶を消されたときに別人になりますけど、確かに途中時点では自分なのかもしれません。
ただ、
『自分ではない別人が100万円を受け取る』
↑これには納得できないんですよね。
【ボタンを押した時の自分】は母の腹から出てきて育ってきた、誰が何と言おうと紛れもない自分ですし、その自分と連続した記憶と時間を共有した【100万円を手にした自分】は明らかに【ボタンを押した時の自分】の続きです。
五億年空間を過ごした人間は所詮、消滅することを前提とした人物です。
記憶を【100万円手にした自分】に繋げることができない時点で、別人になります。
本当の自分とすり変わることは無いかと。
>18番目
あなたの考えは最もストレートで、一般的な押さない派の意見だと感じます。
要するに、【五億年間】に重きを置いているわけですよね。
僕は【五億年後】に完全に視点を置いて意見しているので、相容れない所があるかもしれません。
あえて【五億年間】に僕の視点を向けて言うなら、
「記憶が消えるのだから別にいい」
ということになります。
押さないという意見の貴方、本当に【記憶の消去】を具体的にイメージできているでしょうか。
貴方の理解度的に五億年ボタンの
元ネタの漫画はご覧になっている(またはだいたいの内容を知っている)と思います。
アレ、五億年間の描写がきっちり描かれてますよね。
だから『主人公が五億年後記憶を消された』とナレーションされても、第三者である読者的には五億年間の記憶を消去できていないわけです。
それと同じように第三者視点が外れず、五億年間の記憶が残るようなイメージがついているのではありませんか。
結局は今この瞬間画面の前にいる自分は連続した記憶の集合であり、その集合から除外されたものは自分ではなく、起こらなかったこととほぼ同義です。
極端に言えば、五億年ボタンを押すことで『自分』が体験する時間は【0時間】ということです
>20番目
五億年空間での時間は現実世界とは異なった時間の流れなので、現実世界に存在する一本の自分を形成する連続した時間とは、また違うという解釈をしてほしいです。
そもそも『五億年空間』自体、ボタンを押した人のためだけに作られる空間です。
その人の五億年空間の記憶が消えるとなれば、誰からも認識されていないという観点からでは『存在しなかった』空間になります。
二重基準について。
ボタンを押す人をAとして、五億年間過ごす人をBとして、100万円ゲットする人をCとします。
僕はこの場合『B』は単独で別人。
AとCが連続した記憶であるとしています。
理由は至って単純で、記憶の消去(存在の消去と同義)の対象がBのみであるからです。
生まれるーAーCー死ぬ
このようなラインができます。
Bにも自分であるという意識はあるでしょうが、AもCも【Bを自分だと認識していない】んです。
この生まれてきて死ぬまでの大筋のラインが自分なわけですから、BをAとCと対等にして自分と呼ぶことはできません
また、『連続した記憶の集合が自分であり、消去されたものは自分ではない』という僕の持論への指摘についてですが、
赤ん坊の時の記憶は別に『消去』されたわけではなく『忘れた』だけです。
僕は脳とかに詳しくないのでよく分かりませんが、赤ん坊の時に母親を認識したりするのですから、少なからず赤ん坊時代から今まで残っている情報はあるはずです。
五億年空間は全てがリセットされるという、オカルト的な記憶の消去ですから、『記憶にない』という意味でも本質的に違います。
仮に反論されてもそれに対して反論しようがないってことが言いたいんだけど。
意見交換も何も最初から押す派の論理も押さない派の論理も分かりきってるから。
AやらBやら別人設定とかして変にややこしくなってるけど、結局のところ押す派の論理はどうせ記憶が吹っ飛ばされるならどうでもいいやってことだからね。
正確には記憶だけじゃなくてすべてがボタンを押す前の状況に戻るという設定だけど。
だから極端な話、ボタンを押したら百億年拷問され続けますっていう設定でも押す派の論理でいえば押しちゃうわけ。
現時点では押す派は私と>>1だけしかいないけど。
逆に押さない派は5億年過ごすっていう地獄の「実体験」を重視してるっていうだけの話。
記憶が消えようがそういう怖い体験をしたという事実は変えようがないんだから押さないってことでしょ。
大多数はおそらくこっち。
2chとかでも同じよなスレ見たことあるけどやっぱり大多数がこっちだったしこのスレでもこっちの人が多いね
記憶を重視するか、実体験を重視するかという単純な価値判断の相違におさまってしまう。
あなたは林檎が好きか嫌いかを問うてるようなもの。
雑談としては面白いけど議論としては正直微妙。
押す押さないにとどまらずもっと発展させれば面白いとは思うよ。
結局は記憶か実体験かどちらを重視するかって話だから。
バーチャルリアリティーの話とかにもつながってくるし。
これは実体験をないことにしてしまう話だったけど、実体験をまるであったことにしてしまう話だったらどうなるんだろうね。
まず押すのか押さないのかはっきりしていない時点で価値観も糞もないんだが。
>>32をもう少し読み見込んでほしい
百万だとか五億年だとか具体的な数字を飛び越えてもっと一般化させて書いてるから。
この話って数字に目が行き過ぎると本質見失いかけるからね?
あと原作読んでる人と読んでない人とでは解釈が変わってくるからとりあえず原作読んだほうがいいと思われる。
本来ならば>>1に参照として原作のURLを貼っておくべきなんだけどな
このスレの誰かが動画のURL出してたから読んでみるといいよ
>>サビヌキさん
要するに5億年を体験する分身(別人)が可哀想だから押さないってことですよね。
『押したら世界のどこかの誰か一人が五億年過ごす代わりに100万円手に入るボタン』と同じようなものだと解釈しているのでしょうか。
それ故の「ノーリスクと考えるのは浅すぎる」とするなら納得できないこともないんですけれど…
そのへんの道歩いてる人(別人)と自分の記憶から一部的に除外された記憶(別人)は、同一線状にあるとはあまり思えませんね。
やっぱり別人と言っても自分から派生した記憶ですし、生命と言える存在なのかも微妙ですし、可哀想だと言われてもあまりイマイチピンときません。
ノーリスクとは言いづらいですが、自分への身の危険無しに100万円手に入るならやっぱり押したいなぁ…って感じです