>>220
>ではキリスト教は何の効果も無いという事ですね。
偽りのキリスト教を全否定する訳ではありません。利他主義など、聖書の一部の教えは継承されましたから。
しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。紛い物となり、聖書真理やキリスト教徒に関して、多大なる誤解や混乱を招いています。
>神の王国こそが万能である。しかしキリスト教は万能ではない。
万能という語が適切かは分かりません。神の王国は全てを解決します。しかし、そこに至るには聖書の教えを当てはめ、自己変革が必要です。つまり受け身だけで成立するものではなく、能動的な努力も必要です。
>キリスト教を国教としている国が成功していないからです。
彼等が成功していないから世のキリスト教が万能でない、という論旨ではなく、世のキリスト教の大半が聖書に即していない、よって神の王国と比較するのは間違っている、という論旨でした。
>誰も神の王国を見る事は出来ないという。ならば事実として存在する事は出来ない。誰も確認出来ないからです。であるならば明白な説得力は無い事になる。
神の王国は将来実現されるものです。ですから今は見ることが出来ません。存在することが出来ないのではなく、将来に存在する様になる、というのが聖書の教えです。
その実現を信じるかどうかは、信仰に関わることです。聖書は信仰を以下の様に定義しています。
ヘブライ11:1
信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
盲信でなく確信であることを示しています。沢山の考察や検証、実感を経て、確信に至ることが出来ます。
>多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。
つまりアナタの支持する「エホバ…」だけが正統である…みたいな認識なのでしょうかね?
>そこに至るには聖書の教えを当てはめ、自己変革が必要です。つまり受け身だけで成立するものではなく
あー、一回死んでそこから甦るという超チートな能力を有する者にしか神の王国は見れないワケですもんね;
ムダにハードル高過ぎな気がします。
>存在することが出来ないのではなく、将来に存在する様になる、というのが聖書の教えです。
「投資(信仰)をすれば将来的には絶対に儲かる」と言う詐欺集団みたいな理屈っぽいですが…まぁ、本気にする人なんかも居るんでしょう。
>信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
要するに「絶対に損はさせません、元本保証の安全確実な投資です!」…みたいな煽り文句なんでしょうね。
…てゆーか、これまで連綿と綴られて来たアナタの回答のどこに“真理”という絶対の普遍性に繋がる要素があるんですか?
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。
なぜすり替えられたのでしょうか。それは聖書が偽だからです。真に聖書が正しければ偽など生じません。よってすり替えられる事はありません。
>神の王国は全てを解決します。
そのような事実はありません。説得力がありません。
>神の王国は将来実現されるものです。
聖書が偽なので永久に実現されないと思います。これは信仰ではなく聖書が偽だという理由からです。
ごくごく狭い範囲、例えば家庭レベルでは神の王国は実現できるでしょう。しかしさらに大きなレベルでは実現できないでしょう。なぜなら聖書は偽だからです。真に正しければ万人に通じます。偽なので聖書を信じている人だけにしか通じません。聖書を信じている人の間だけ、神の王国は実現できるでしょう。
>論理的一貫性を持って議論しています。
君は「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。
君の論理の根拠は聖書だけです。しかし聖書は所詮は思想の寄せ集めであるので、矛盾を生じます。矛盾を指摘するとアドホックな言い訳をしたり、自分で考えろとしています。論理などどこにもなく、議論になりません。
>何言語で入手可能か、何部発行されたか、は別の話です。
普及の話でしょう?何部翻訳されたかが別の話なら、翻訳数での君の反論は自分で否定するという事ですか?
>検証していませんが、私の使用している新世界訳は翻訳数では世界一かもしれません。
この話です。それと君の使用している新世界訳はサタンにすり替えられていないとは検証していませんよね。「その聖書は真実の聖書なんですよね?」に対する回答ですよね?すり替えられているかもしれない聖書を信奉する動機って何ですか?すり替えられていない聖書ってどこにあるのですか?どうやってすり替えられていないと確認するのですか?
>エホバの名が残されたか、或いは神や主という言葉で置き換えられたか、これが一番の違いです。消された版では神が誰を指すのか不明瞭になりました。しかし、実質的な内容は変わりません。
エホバの名が残された、又は神や主という言葉で置き換えられたらサタンにすり替えられたものではない?そんな改ざんなどサタンなら容易でしょう?しかしサタンにすり替えられても実質的な内容は同じ?どういう事ですか?サタンはキリスト教信者なのですか?
>聖書が完全に失われた、或いは実質的に原文をたどれない程度に歪められたのであれば、サタンの勝利でしょう。現実はそうではありません。
サタンがすり替えたのに中身は実質同じという。そしてサタンの勝利ではないという。すり替えに成功しているのに、全く別の内容になってはいないから勝利ではないとは。その場しのぎの言い訳にしか聞こえません。
>神の存在を否定しているのですか。奇跡を否定しているのですか。或いは両方でしょうか。
君の反論を全否定しています。以て君の言う神や奇跡を否定しています。君の神は紛い物です。
>世のキリスト教と聖書の教えは同じではありません。
ではキリスト教と聖書は別であると。君の言うサタンのすり替え論から考えると、聖書を教えとしているキリスト教はサタンのすり替えが行われているという事になりますね。君にとってキリスト教は聖書の教えとは違う、サタンの手先という事になりますね。
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。>>221
>サタンの力が働いているので、紛い物が混じります。ここで各自の識別力が問われます。>>228
これらの証言と整合しますね。君はキリスト教をサタンの仕業と捉えている事になりました。
>また信じるだけでは救われません。信仰を生き方で体現する必要があります。
体現するのは結構ですが、真理でもない思想を押し付ける行為で救われるとは思えません。
そもそも真理だけがあれば救われるはずです。苦悩が無くなるからです。真理を使うとは、自分の苦悩を無くすという事です。内的な世界だけで完結出来るものです。
>では議論とは何ですか。あなたはこの掲示板で何がしたいのですか。
>また、あなたの理屈で言えば、私にとって私は正しく、あなたは反論出来なくなってしまいます。
少なくとも自分の思想を押し付けるものではありません。
議論とは意見をすり合わせ、落着点を見出すものです。君は聖書が真理であるという意見から一貫して動きません。すり合わせも何もありません。
そしてそのような態度の人を否定する事は出来ます。君のしている事を真似しているだけで足りるからです。なので私は君に対して否定出来ます。
>お互い健全に批判したり、築き上げるのでなければ、このやり取りは双方に時間と労力の無駄となります。
君はアドホックな言い訳を重ねて歩み寄りの姿勢を示していません。健全な批判をしていません。聖書こそ真理と最上の位置に置いているので築き上げる行為もしていません。君は最初から無駄な事をしています。
>>>180から始まった伊藤さんとのやりとりです。
ええですから>>229からは読み取れませんと反論しています。