>>28 最後の一行、うん、そうだな。その手の輩や「同じ板のムジナでありながら自分だけは正常」って顔してるやつよりかはまだ「ひ」のほうが好感持てるわ。
ただ、俺は「そもそもアンチ、悪口なんかしない奴」が一番立派だと思うのでそこら辺でちょっと彼と食い違うかね。
>>27 >悪口 + 個人の特定性 という要素〜
ここはわかりやすい。悪口の対象が自分だとわからないなら言われてないのと同じ。>>10にしたって作品を経由して信者を攻撃しているのであって、信者を直接攻撃しているわけではないしね(こういう解釈で合ってる?)
ここからは全く関係ない話
>>26に書いてある「運営にとっては損でしかない」葉っぱからアンチ板が消えたのはこれに尽きると思う。ラスト2年くらいはサポート板のアンチ板絡みの依頼は対応かなり杜撰だったし、倫理道徳以前に管理が面倒になったからとかあるんじゃないですかねー
@
>(こういう解釈で合ってる?)
あってるが、それは側面的な理解だと思う。俺の言いたいことは、「悪口を受けて傷つく」という厳密なプロセスを理解しないとわからないかもしれない。
あまり厳密すぎる話は好きじゃないが、一応、自分の考えを提示しておくために、論証しておく。
まず悪口を言われて傷つくプロセスについてだが、一般論的には、
悪口を言われる
↓
その人間の心が傷つく
というのがよく言われるものだが、実際にはこんな単純ではなく、
悪口を言われる
↓
その悪口が多かれ少なかれ自分に当てはまるものだと自覚する
↓
その自覚が、「他者もその悪口が自分に当てはまると思うかもしれない」という不安の根拠になり、
↓
他者の中の自分が、悪口通りの評価になってしまうと、「他者から不当な扱いを受けるかもしれない」「自己の社会的な位置付けが底辺へ下落してしまうかもしれない」という恐怖の心理が働く。
※ここでいう底辺は、誰からも求められず、不快だと避けられる社会的位置。
↓
そして、不安に駆り立てられた人間は、
悪口を言った相手に反論して、言い負かして名誉を回復しようとしたり(回復するかどうか別)、
相手にも悪口を言って、相手もまた自分と同じ社会的位置付けまで引きずり落としたり、
所属する集団から逃げたり、といった行動へ出る。
どちらもできなくて、最悪の場合、自殺を選ぶ人間もいる。※厳密さを追求するため補足するが、ここでいう「選ぶ」は、決して自由意志に基づくものではない。
→Aへ続く
A
「他者から不当な扱いを受けるかもしれない」「自己の社会的な位置付けが底辺へ下落してしまうかもしれない」
こうした不安や恐怖の心理が作用する状態になることを、「傷つく」と呼ぶ。
そしてここまでから、導き出される傷つく条件というのが二つ。
一つは、悪口を言われて傷つくプロセスの中には、自己を認識する他者の存在が必ずあること。
もう一つは、悪口という評価を下された自己を、他者が認識すること。
決して「悪口を言われた」だけで傷つくわけじゃない。必ず他者がいて、それを他者が認識することで、傷つくのだ。
しかし、悪口を言われた自分を、そもそも認識する他者がいなければ、どうか。
ネット掲示板の場合、基本的に他者はリアルの自分を特定することができない。
特定ができなければ、認識もできない。
ネット掲示板で得られるのは基本的には、せいぜい「掲示板上での名前」「文体」「アイコン」などといったもので、リアルの自分は特定できない。
だから、個人の特定性の観点を除いて、ネット掲示板で悪口を言われたとしても、リアルの自己を他者が認識できないのだから、
リアルの自己の評価が脅かされず、傷つかないと言える。
このことについて、おそらく>>30では、「悪口の対象が自分だとわからないなら言われてないのと同じ」と表現したのだろう。
しかし、リアルの自分を特定されなくても、傷ついたことがあると言う人もいるかもしれない。
それは、ネットで創り上げた架空の自己と、そのネットの自己を認識するネットの他者という虚構があったからで、
傷ついたのは、ネットの自己の方である。
だが一般人は、あくまで ネットの自己 < リアルの自己 という優劣性を含んでいることを強調させてもらう。
たとえ、ネットの自己が傷ついたとしても、修復能力は早く、短期的で、さらにはゲームのサブデータみたいに消しては創りというやり直しが効く。所属団体もリアルと違って、容易に変えられるし、自分自身で容易に団体を創ることさえできる。
だから、一般人にとっては、ネット掲示板等で創り上げたネットの自己が、悪口によって毀損されても、永久性はないと言える。
あくまで>>12で示したように、ネットの掲示板の悪口は短期的暴力性である。
したがって、ネットでの作品や作品の信者に対する攻撃もまた、短期的暴力性であり、それぞれの自己が永久的な損害を被ることはない。
※ネットが舞台となる歌い手や配信者は、リアルの自己 = ネットの自己という等式が成り立ち、優劣はないから、彼らに対するアンチは、永久性があるのかもしれない。
兎にも角にも、そういうわけで結論としては、ネットでのアンチにおいて、単なる悪口は短期的暴力性であり、永久性はない。
そして悪口とは短期的暴力であり、修復が効き、むしろ人間にとって必要な活動なのだという次にの段階に続く話は、>>23や>>27なんかの上記で散々述べた。
一方で、単なる悪口ではなく、個人の特定性が加わった場合の悪口は、
悪口を言われるリアルの自己と、その自己を認識(特定)できる他者という関係性が成り立ち、
その結果、そのリアルの自己の社会的位置付けを永久的に毀損しうる可能性があるから、してはならないことになる。
そんなわけで、>>12の主張や>>27に移行する。