――この学園は、女王に支配されている。
【主な内容】
生徒会長によって支配されカースト、いじめなど様々な問題が多発した白羽学園(しらばねがくえん)。生徒会長を倒し、元の学園を取り戻す為に生徒達が立ち上がった……という話です。
【参加の際は】
好きなキャラを作成し、ストーリーに加えていただいて構いません。
ただし、
・チートキャラ(学園一〇〇、超〇〇)
・犯罪者系
・許可なしに恋愛関係や血縁関係をほかのキャラと結ばせる
は×。
また、キャラは「生徒会長派」か「学園復活派」のどちらかをはっきりさせてください。中立派もダメとは言いませんが程々にお願いします。
キャラシートは必要であれば作成して下さい。
【執筆の際は】
・場面を変える際はその事を明記して下さい。
・自分のキャラに都合の良い様に物事を進めないように。
・キャラ同士の絡みはOKです。ただし絡みだけで話が進まないということの無いように。
・展開については↑のあらすじだけ守ってくださればあとは自由です。
・周りの人を不快にさせないように。
(続き)
「やだこれ、黒百合じゃないの。冗談でもお見舞いに持ってくるような花じゃないわよ」
「すみません。一緒に贈られていたメッセージカードによると、どうやら僕と同じ学園の生徒が持ってきたもののようですね」
「ああ、そういえばうちの同僚が言ってたわね。白羽の制服を着た派手なピンク髪の子が、真っ黒な花を持って歩いてたって。まさかとは思うけど、その子が?」
「なるほど。そんな派手な色の人を見間違えるとは思いませんし、おそらく彼女が届けてきたもので間違いないでしょう」
「いやあねえ。いくら進学校の生徒でも、こういう一般常識を弁えてないのは最近の都会っ子って感じだわ」
「あまり酷い物言いはいけませんよ。その女子生徒が偶然、花に対しての知識がなかっただけかも知れません」
この看護師は、良くも悪くも正直な性分なのだろう。椎哉が嗜めるのも構わずに、彼女は花束の贈り主への嫌悪感を隠そうともしなかった。もしここが白羽学園の真ん中であれば、会長派の生徒たちによって容赦ない処刑が下されていたかもしれない。そんな白羽の暗黒面を知ってか知らずか、看護師は花束を手に取ると自分の小脇に抱える。
「どちらにせよこんなものが置いてあるなんて縁起が悪いし、私が片付けておいてあげるわよ。もしピンクの子がまた来たら、あたしが適当言っておいてあげるから」
「……ありがとうございます。実は僕も心苦しかったので、助かります」
心苦しいのは、贈り主の好意を無碍にすることか。それとも姉の病室に悪意の花を放置することか。椎哉は明言しなかったが、彼の意思を汲み取った看護師は、自分に任せろと言いたげな笑みを見せる。
「さーて。面会時間もそろそろ終わりだから、さっさと帰ってご飯食べて寝なさい。明日も学校でしょう?」
「ふふ、まるで母親みたいな物言いですね。それでは、千明をよろしくお願いします」
「やっだあ、どうせまたすぐに来るくせに何言ってんのよ!」
堅苦しい椎哉の挨拶を、うるさいくらいの声量で笑い飛ばす看護師。彼女の言葉に彼は苦笑じみた表情を浮かべるも、二人の様子は中睦まじい親子のようであった。
(今回出てきた看護師には少々伏線を仕掛けているので、登場させることがあればABNに一声かけていただけると助かります)
翌朝。8時に始まる朝学習の10分前の昇降口には、生徒達がわらわらと集まっていた。
この時間帯だと、A組の生徒達は既に席に着いて授業の予習や先日の復習に励んでいる。しかしC組やD組の生徒達は、彼等の様にそこまで厳しいスケジュールを送っていない者が大半だ。
恵里と亜衣もまた、例外ではなかった。彼女達も他の生徒と同じ様に、会話に花を咲かせながらのんびりと靴を履き替えている。
「おはようございます、白野さんに戸塚さん」
不意に後ろから声をかけられ、雑談に興じていた二人は思わず肩を跳ね上げた。慌てて上履きにしっかりと足を入れると、顔を上げて声の主を見返す。
「あっ……ば……ヴァレンタイン先輩?」
「アデラで構いませんよ、皆そう呼びますから」
そう言って、二人の前でアデラは微笑んだ。
「昨日はごめんなさい、余計なことをしてしまったみたいで……大丈夫でしたか、お二人共?」
「いえ、気にしないでください! 先輩が庇ってくださったおかげで、あたしも恵里も処刑されずに済んだんですし……」
昨日のあの一騒動の後、アデラは周囲をもう一度説得し直しなんとかその場を収めたのだった。勿論不満気な生徒達も少なからずいたのだが、風紀委員長が例の月乃宮いばらだという事もあり、彼等は渋々身を引いたのだ。
「そうですか……なら良かった」
「そ、それより先輩……確か、B組でしたよね? 朝の学習は……」
「ああ、それなら。私は生憎夜型でして、朝はどうしても早起きできず……夜に必要な勉強は全て済ましてしまうのです、暗記には夜の方が向くと言いますし」
彼女の言葉の流暢さは、やはりとても英国人とは思えない程のものだった。口を開けばすらすらと言葉が流れていくその様は、アナウンサーでも志望しているのかと思わせてしまう。
「そうだったんですか! ご立派ですね、ちゃんと夜に」
「ちょっと失礼」
亜衣の言葉を、一人の男子生徒の声が遮った。聞き覚えのない静かな声に、三人は振り返る。
ひょろっとした痩せ型の男子生徒が、こちらを見据えて微かに微笑んでいた。日に焼けていない肌とその体型が、いかにも病弱という雰囲気を醸し出す。その顔を見るなり、アデラは青い目を大きく見開いた。
「ぶ、部長……!? あの、お身体は……」
「もうすっかり大丈夫だよ。華道部の方はどう? 昨年から皆に任せっきりだったけれど」
「はい、お陰様で……」
部長と呼ばれたその生徒は、一年生の恵里と亜衣にとっては見覚えのない人物だった。だが周りを見廻すと、辺りがやけにざわついている。恐らく彼は上の学年の間では有名人なのだろう。
「なら良かった。ところで、安部野君はいるかな」
「私は今日は見ていませんが……何かご用事が?」
「いや」
そこまで言うと生徒は一旦顔を背け、コホコホと咳をする。弱々しい咳がますます彼の病弱な雰囲気を強めた。ある程度呼吸を落ち着けてから、再びアデラに向き直った。そして若干声を潜めて言う。
「怪我したって百合香から聞いたから。ちょっと心配でさ」
「あの、アデラ先輩……あの方は?」
生徒が去った後に、恵里はアデラに問う。
「……彼は私の部の先輩なんです。元々お身体が弱かったのですが、昨年の2月に体調を崩してしまって……しばらく休学されていたのですよ。彼こそが華道部の部長、北条智さんです」
「へえ、華道部の……その、北条先輩は生徒会長とお知り合いなんですか?」
「百合香」という単語に反応した亜衣が、アデラに問いかける。
アデラは少し困った様な表情を浮かべた。しばらく頬に片手を当てた後、微かに溜息を吐いて話し出す。
「そうでした……一年生のお二人は彼を知らないんでしたね。彼はこの学園の……生徒会長に恋心を燃やす、副生徒会長なんです」
アデラの発言に、同時に「えっ!?」と声を出す二人。
入学当初から密かに語られていた謎の副生徒会長の存在。その正体は、つい先程まで自分達の目の前にいた男子生徒だったのだ。
まさか、彼が噂の副生徒会長だったとは――。
アデラはやはり重苦しそうな表情をしていた。それに気付いた二人は最初こそ頭に疑問符を浮かべていたものの、徐々にその理由を察し始める。
副生徒会長、ましてや会長に恋する人物。となれば、自分達に協力するという事はまず有り得ないだろう。百合香と連絡も取り合っていれば、当然反逆者の事も知っている筈だ。彼が復活派の敵となる未来は、とても避けられそうにもない。
「……生徒会の中でも、彼はかなり穏和な人物です。直接処刑に加わることもほとんど無いようですし……ただ、協力はしてもらえないでしょうね。彼はいつも言っていますから……『百合香の為なら何だってするよ』、と」
SHRの始まりを告げるチャイムが鳴る。
だが三人は、しばらくその場を離れはしなかった。
(>>142の朝から)
『はーい、彩美さんどうされましたー?原稿なら受け取りましたよー』
「ふみちゃんオハヨー。いや、次の打ち合わせしたいなぁと」
『……えええ、早くないですか⁉もう⁉』
「アハハ。今日できる?」
『今日は……あ、大丈夫です。10時から第二会議室でお願いしますー』
「りょーかい、じゃあバイバイ」
『失礼しまーす』
「さて、準備するとしよう」
自室で一人呟いたのは彩美だった。
打ち合わせは10時からなのでまだ時間はあるが、もう少し構想を練っておきたかった。なんの構想かというと、勿論次の小説について。
樹という人物に関する実話を基に書こうと決めたのが数日前。当事者であったおかげでネタはすぐにまとまってしまった。
そういうわけで出版社の担当さんに連絡した訳だが……。
「……さすがにアレをそのまま書くわけにはいかないなー」
問題が一つあるのだ。
あれこれ自問自答しながら時間を浪費していると、いつの間にか家を出る時間。
担当さんにも聞いてみようと思い、とりあえず出かけることにした。
「物語にはハッピーエンドを入れるべきか、ですかー……」
「そーなのよ。ふみちゃんどう思う?」
「えええ、私ですかー?」
ここはとある出版社の三階。第二会議室という立派な名前こそあるものの、収容人数は多くて6人の小さな部屋だった。
そこにいるのは彩美と、ふわふわの茶髪とパステルカラーの服を着た女性。文香という名の彼女は、愛らしい見た目や緩く伸びる口調とは裏腹に、手際の良い仕事ぶりで評判だ。……どうやら彼女が担当した作家は締切を破れなくなるらしい。
「んー……今の段階ではちょっと分からないですねー。ストーリーやジャンルによります」
「そっかー、ちなみにどんな感じ?」
「……恋愛小説なら十中八九必要です。青春小説はある程度あった方がいいですねー。推理小説は解決がハッピーエンドだから置いといてー。えっと、ホラーはどちらでもアリじゃないでしょうかー?」
彩美は腕を組んで頷いた。そのまま自分の世界に入り込んでいく―――
(あー、彩美さん思考中?集中力すごいからしばらく待つかー)
文香は彩美を見てそう考えた。こんな時は他に手段がないのだ。
手元にあるのはあらすじと登場人物のリスト。
(男の子と父、母、妹、その友達と……女の人?あ、成長した男の子のカノジョ!ま、まさかの恋愛系ですかあ、彩美さん⁉文香さんは聞いてませんよー‼あらすじ読まないとー!)
慌てて紙をめくると、ライトグリーンのメモが挟まっていた。
一応これ、実体験なんでよろしくねー♪ 彩美
(な、なななんですとー⁉彩美さんの実体験‼超レアですー!)
文香は物凄い勢いであらすじを頭に入れていくのだった。
晃が法正と仲を取り戻してから翌日。
晃は、白羽学園のB組の前の廊下に呼ばれた。
そのために、朝時間から晃はB組前の廊下に法正と対面する。
「で・・・法正、用ってなんだ」
晃の一言に、法正は。
「別に・・・貴方にとってはどうでもいいかもしれませんがね・・・ただ、俺的には伝えたいから伝えるだけです」
「なんだよ?」
「実は俺と貴方・・・種違いの子ですよ」
・・・。
晃は一瞬固まった。
顔も違う、似ているところなど何もない。
しかし、一つだけ共通していた。
法正はやられたらやりかえす。
もちろん、晃もその精神を持っている。
つまり。
”負けず嫌い”
が一致していたのだ。
母親が同じというところが、負けず嫌いが同じで、昔は親近感の沸くような性格だったのだ。
「おいおいおいおい・・・・どういうことだよ!?」
「俺の父親は姓が一葉です。貴方の姓は松葉。しかしですね、母の旧姓は俺も貴方も、全て一致しています。名前に誕生日、身長に体重も。全て一致しています」
法正の一言に、晃は目がくらんでいた。
「おいおい、そりゃあないだろ・・・?」
「まぁ、なんにせよ、義理の兄弟です。だから、仲良くやっていきましょう―」
法正の一言に、晃は。
「ったく・・・友人どころか、それ以上じゃねーかよ・・・」
と言いながら、E組の教室へ向った。
―その影では。
「見つけたぁ・・・反逆者の弱点。」
そう呟きながら、スマートフォンの録音アプリを閉じる、一人の駒。
ピンク色の悪魔―。
>>137の続き
「ふふ、教えるわけないでしょう?
「…あっそう」
「他の人には言ッたノ?」
「いえ、言ってませんよ」
「フ〜ん、ジゃあモウいいヤ」
そう言って、出ていった。しなしなになったオダマキを置いて…。
≪花言葉≫
オダマキ 愚か
看護師という職業は多忙である。必要とされる知識や経験は膨大で、人命を預かる仕事である以上一切のミスは許されない。加えて緊急の呼び出しや患者の都合に振り回されることもしばしばあり、規則的な生活リズムを保つことさえ難しい。そんな看護師たちにとって、休憩時間というのは非常に貴重な憩いの時だ。
廊下からは見えづらいナースステーションの死角。備え付けのエスプレッソマシンで作られたコーヒーを啜りながら、中年看護師は全体重を椅子に預けてくつろいでいた。一端の女性としては流石にだらしない姿勢の彼女に、苦笑を浮かべながらすみれは声をかける。
「お疲れ様です、島江(しまえ)さん」
「あら月乃宮さん、お疲れ様。悪いんだけど、ちょっと聞くだけ聞いてくれる?」
「はい、なんでしょう?」
すみれの姿を認めるなり、空いている近くの椅子を引き寄せて手招きをする。島江に勧められた通り、彼女はその椅子にそっと腰かけた。
島江がこういう言い方をするときの話題は、決まって仕事や対人関係の愚痴だ。その話の内容自体に益はないが、心の中に溜まった鬱憤を他者に発散し同意してもらう行為は良いストレス発散になる。医療知識の一環としてそれを理解しているすみれは、二つ返事で島江の愚痴に付き合うことにしたのだ。
「月乃宮さんも知ってるでしょう? 意識不明の天本千明って子。あの子にお見舞いの花を持ってきた子がいたんだけど、その花がよりによってクロユリだったのよ!」
「そうなんですか。クロユリを持ってきた子の話は聞いていましたが、天本さん宛てだったんですね」
「酷いと思わない? 花の知識に疎い人でも、普通患者に黒い花を贈ろうだなんて思わないわ! しかもその子、白羽学園の生徒だっていうじゃない。それほど賢い頭の持ち主ならなおさら分かることだろうし、あのクロユリは絶対に確信犯よ!」
「白羽の生徒さんが? まさか、あんな立派な学園の子が……」
「学校の名前なんて関係ないわよ。あの年頃の子供って言うのは大体、何の力もないくせに自尊心だけは一丁前で、それなのに他者を敬うってことをしない。だからあんな不吉な贈り物だって、平気な顔で届けられたんでしょうね。そういう生意気で非情な生き物なのよ、あいつらは!」
「は、はあ……」
(続く)
(続き)
表情はにこやかな笑顔を保ちつつ、すみれは内心で「またか」と密かに溜め息を吐いた。
島江の子供嫌いの話はこれが初回ではない。というのも、彼女はどういうわけか子供、特に十代の少年少女を理不尽に嫌悪しているのだ。島江自身は常に朗らかで精神的にも丈夫という中々の人格者であるだけに、その致命的な一点だけを周囲は非常に残念がっていた。尤も職務上、患者たちの前で若者嫌いをひけらかすことはしていないため、仕事を妨げるような問題にはなっていないのだが。
けれども自分には、丁度十代の妹がいる。本人にその意図はないだろうが、大切な家族の一員を「あの年頃の子供」というカテゴリで一括りにして非難されるというのは、とても気持ちのいいものではない。島江の愚痴を否定するわけではないが、せめて妹の人柄だけは弁解したい。そう思って反論を紡ぎかけたすみれの言葉を、しかし島江は食い気味に阻止した。
「それに今は私が片付けちゃったけど、花にはメッセージカードがついてたの。その内容がね……」
「……えっ?」
――どうぞ安らかなお眠りを。白羽学園生徒会一同。
声量を絞った声で伝えられた言葉に、すみれは耳を疑った。喪中のような白黒デザインのカードに書かれていたという文章は、明らかに白羽学園の生徒会が千明の死を期待、祝福しているような内容。それが重体患者に相応しくない色の花に添えられていたとなれば、贈り主の悪意を疑う余地などない。
だがすみれは、その意図を理解はしても納得はできなかった。名門進学校と名高い、しかも自分の妹が通っている学園の生徒会が、いじめにも等しい所業を行っているという事実を彼女は飲み込めなかったのである。半ば呆然とするすみれに構わず、島江は思い出したように話題を続ける。
「そういえば月乃宮さん、あなたの妹さんも白羽学園の生徒だったわよね?」
「は、はい」
「生徒会が直々にあんな嫌がらせみたいな真似をしてるんだったら、その学園の風紀も高が知れてるはずだわ。そこんところどうなの? 学園について、妹さん何か言ってたりしない?」
「え……ええと……」
あの白羽学園が、実は生徒会ぐるみのいじめを黙認している問題校かもしれない。衝撃の推論で混乱冷めやらぬ頭を抱えながら、すみれは島江の回答に対する言葉を必死に模索するのだった。
燃えている
わたしのいえ
燃えていく
わたしのかぞく
燃えて、燃えて、燃えつづける
おねがい
わたしをおいていかないで……
行かないで
逝かないでよ
なんでいっちゃうの……
今からもう、ずっとずっと前。
私の両親は燃えきって、灰と煙と、焦げた骨になりました。
その時はまだ、私は独りじゃなかった。
兄がいた。私にとって唯一の、最後の家族。
花に詳しくて、勉強はできるけど運動はダメで。
いつも、何があっても笑ってて、とても優しくて。
あのヒトが大好きで、話しているとすごく嬉しそうで。
そんな兄も、死にました。
これで私は、独りです。
なんででしょう。
何か、悪いことをしてしまったのでしょうか。
なら、悪いのは誰ですか。
お母さんですか。 いいえ、お母さんはとてもいい人でした。わたしの憧れる、強い人でした。
お父さんですか。 いいえ、お父さんはとてもいい人でした。わたしの頼れる、大きな背中でした。
ならどうして、吹けば舞い散る燃えかすになってしまったのでしょう。
教えてくれますか。
わたしの大好きなお兄ちゃん。
すると、兄は言いました。
きっと、あっちで元気にしてるよ。
違います。わたしが求めるのは、お母さんとお父さんが死んでしまった理由です。
なのに、兄は答えてくれませんでした。
そうですか。ならいいです。
悪いのは、わたしなんだ。
そういうことにしておきましょう。
誰にも言わず、ひっそりと。
私は独り、決めました。
そして、兄は死にました。
『ブルースターの日に死んだお兄ちゃん。』序章より
「……実体験を他者目線で、か。うん、いいかもしれない」
戸塚彩美、執筆開始。
7月下旬、刊行予定。
「私は、特に……いばらも、学園のことはとても楽しそうに話してくれますし」
「楽しそうに?」
「え、ええ……風紀委員長として頑張ってるみたいですよ? 『皆仲が良いし仕事もやりやすい』って喜んでましたわ。生徒会の会長さん……百合香さん、だったかしら? 彼女とも仲が良いみたいでしてね。一度家に遊びに来たのだけど、美人で穏やかだし礼儀正しくて。とても悪い人には……いばらも付き合う友人はかなり選ぶタイプですしね」
あの妹さんが楽しそうにねえ、という言葉を島江は飲み込んだ。
すみれの妹、いばらとは彼女も面識がある。
しかし姉妹ながらその性格は正反対。愛想の良く優しげなすみれとは反対に、いばらは常に冷たく刺々しい雰囲気を醸し出していた。
決して態度が悪いことはなかったのだが、彼女の立ち振る舞いはどこか距離を感じさせるものがある。院内でもその姉妹の差は度々看護師達の話の種になっていた。
あのいばらが楽しそうに話すということは、学園や生徒会を相当気に入っているのであろう。……だがあのクロユリとカードを見た島江は、いばらもまたその類の人間だと疑わずにはいられない。ましてや彼女は風紀委員長。その様な立場の人間が生徒達の非常識な行いを見逃すとは考えにくい。彼女自身が生徒会ぐるみのいじめに加担している可能性も充分にあったのだ。
更に彼女が仲良くしているという生徒会長。あんな事をする学園の、しかも生徒会の会長と仲良くするなどとても考えられなかった。当の会長は一体何をしているのだろう。自分達と同じ学園の生徒があんな目にあっているというのに、心が痛まないのだろうか? この件に対して怒りを抱きはしないのだろうか?
「……いじめとか、本当に起きてないの? そこまで行かなくともトラブルとか」
「いえ、何も……大丈夫だと思いますよ。多分ただの悪戯でしょう、大方喧嘩でもした生徒がいたんじゃないでしょうか? いばらに注意するよう私からも言っておきますから」
そう言ってすみれは軽く微笑んだ。
悪戯で済まされる話じゃない、と言いかけた時、別の看護師が駆け込んでくる。
「月乃宮さん、電話……学校の生徒さんからみたいだけど」
「あら、妹かしら……ありがとうございます。すみません、失礼致しますね」
島江に申し訳なさそうに告げると、すみれはその場を後にする。紫色のバレッタが、照明の光を反射してきらりと光った。
「……やっぱり、妹さんも好きになれそうにないわ……月乃宮さん」
残された島江は、一人呟く。
「もしもし、姉さん? ごめんなさいね、仕事中に呼び出して」
「いえ、休憩時間だったから良いのだけど……どうしたの? わざわざ学校から電話するなんて。忘れ物?」
昼休みの学園は、いつも少し騒がしい。
一コマ65分の窮屈な授業から一時的に解放された生徒達は、背を伸ばし思い思いに自由時間を楽しんでいるのだ。ある者は会話に花を咲かせ、ある者は職員室に質問へ行き、ある者は何をするまでもなくぶらぶらとうろついている。
そんな中、月乃宮いばらは公衆電話の前に立ち、姉のすみれと話していた。携帯電話を使うという手を選ばなかったのは、あくまで風紀委員長としての立場の為だ。校則で一応は許されているとはいえ、校地内でスマートフォンを使うのはやり抵抗がある。その声は普段通り、非常に落ち着いていて冷たく静かだ。
「いえ、ちょっとね。……北条君、学校に来たわよ。もう大丈夫なの? 一応元気そうだったけれど」
「ああ、智くんなら……もう安心していいわ。大分調子も戻ったし、流石に体育とかはまだ見学してもらうことになるけれどね。風花さんとはどうだった? 会うのも久々でしょう」
「お互い嬉しそうだったわよ……安部野君とも挨拶したみたいだし。今年は副生徒会長を二人にして正解だったわね、北条君の身体の負担も大きいだろうから……まあ、風花さんにとっては北条君相手の方がやりやすいのだろうけど。あの人、風花さんの言うことには従うしね。自分の部が潰されたって何とも思わないんじゃないかしら」
「うふふ……確かにそうかもしれないわね。北条君、風花さんのことあれほど大好きなんだもの」
いばらの片手の十円玉は、次から次へと減っていく。最初は山積みになっていた小銭は、気付けば十枚程を消費してしまっていた。もっとも、普段から財布に万札が数枚入っている様な彼女にとって、こんな金額ははした金でしかないのだが。
すみれの声に若干微笑んだ後、いばらは一度周りを見渡した。顔付きを変えるとより声を潜めて言う。
「……クロユリの件、大丈夫だったの? 何か言われなかった?」
「……一応、ね。大丈夫、私が場を収めておいたから。貴方は何も心配しないで……面会なら私に言うように伝えておいてちょうだいな」
「そう……なら良かった」
いばらはそう言った後、軽く息を吸い込んだ。覚悟を決めた様な顔をすると、重い口ぶりで告げる。
「姉さん――そろそろ、花瓶の水の入れ替え時よ」
「……あれ?………ここは…ま、まさか…!?」
何で!私さっきまで自分の部屋にいたよ!?何でこんな所にいるの!?私が一番嫌いな所……。
「さぁ、今から裁判を始めます!」
あぁ、『今日』も始まった。『裁判』という名の処刑が……。今日……裁かれるのは、誰?
「うふふ…貴方は何をしたのか、分かってる?」
……また、濡れ衣を着せられたのか。どんどん排除する、自分にとって『邪魔な存在』を……。
全員参加の狂った『裁判』。また、生徒が、先生が―――
狂いだしたのはいつだろう?
学校で『裁判』が始まったのはいつだろう?
あの狂った人が会長になった日だろうか?
それともあの『事件』が起きた時からだろうか?
それとも―――。
『狂いだしたのは、いつ?』プロローグより
華藤 美咲、今月の最新作登場。
氷ノ宮 氷雪の最新作。
朝。上履きに履き替えながら雑談するD組の生徒たち。
なんでもない日常のワンシーン。
誰もが一度は耳にしたことのあるチャイム音が響く。
『文芸部員にお知らせー。本日放課後、部員会議を開くので、どんなに忙しくとも顔を出すことー。
繰り返し連絡しまーす。文芸部員は本日放課後、必ず会議に参加してくださーい。以上、文芸部長からー』
「……だってさー、亜衣」
「ん、りょーかい。一緒にいこ」
「はいはーい」
のんきに会話する部員。
これからの学園生活がどうなるのかも知らずに―――
白野恵里―――私と亜衣が部室に来た時は、既にほとんどの部員が集まっていた。
正面にホワイトボード、部員会議の大きな文字。
ざわつく室内、部員たち。議題はもう、分かっている。
今後の課題
どうすればいいのかなんて、誰も知らない。
部費をゼロにされたのに、焦ってなかった私達が悪いのだろう。
怒涛の五月はもう過ぎ去ろうとしている。
「全員、集まった?始めるよ」
笹川先輩が雑談を遮り口を開く。
「分かってるよね、今回のテーマはこれからどうやっていくか、について」
「……あ、あの。部費がストップするのは六月分から、ですよね?いいんですか?なんか、いつも通りなんですが……」
私と同じ一年生の人が質問を投げかけた。
「あ、それアタシも思ってた!」
「ああ、そういうのは全然大丈夫。三ヶ月くらいなら余裕だよ」
「……はあ?三ヶ月も?」
「意味わかんないし」
「いくらなんでもそれは……」
「奇想天外どころの話じゃないです」
「事実は小説より奇なり……」
「それな。さすが真帆ちゃん」
いっせいに始まるブーイングの嵐。うん、まあ……
私も、ソレはないと思った。
三ヶ月分て、どこから来たんですかそんなお金。
みんなの反応からみて、誰も知らなかったらしいし……。
「いやコレ本当だからね?嘘はつかないよ?とりあえずさ、落ち着いてって。ちゃんと話すから」
そう言って、笹川先輩は立ち上がった。マーカーペンを持ちホワイトボードに向かう。
部員たちはひとまず黙り、笹川先輩のことを見つめる。勿論、私も亜衣も。
「六月から三月まで、学園からの支給停止。他生徒及びその保護者、もしくは外部からの寄付も禁止。つまり、これからの活動費は自分たちで手に入れろ。これが生徒会長から言い渡されたことね。
ああ、廃部を防いだだけマシよ。あの百合香相手にね。
でさっきの話だけど、私が稼いだ今までのバイト代でしばらくはやっていける。だからその間に、資金稼ぎ頑張ってもらうからねっ!勿論、全員で!」
「……」
「笹川ちゃん無謀だねえ」
「ちょっと無理があるかな、と」
「うちらで稼ぐって、どーすんのよ」
「努力はしますが……」
そんなので、やっていけるわけがないと。
だれもが、そう考えてた。
……いや、正確には、笹川先輩と―――あともう一人を除いて。
「なーに?随分と暗い雰囲気じゃない。せっかくの里帰りだっていうのにさー」
初めて聞く、女の人の声。聞こえた先は、奥のドア。
「あ、彩美さんっ⁉」
「リアルでは久しぶりー真帆ちゃん。話は聞いたよ、協力しよっか?」
彩美さん……て、まさか?
思い当たることがあり、私は隣の亜衣にささやきかける。
「……ねえ亜衣。もしかしてさあ、あの人」
「……そのまさかだよ恵里。なんで来るんだし」
やっぱり。
突然現れたあの方は、私の親友と冷戦中のお姉さんでした。
「彩美さんお久しぶりです!」
「見たよーあの新刊。面白かった」
「次は七月の下旬だっけ?」
「相変わらず早いですねえ先輩」
三年生の先輩方が親しげに集まっていく。以前の部長とは聞いていたけど、ここまでとは……。
「えーっと、センセイ?なぜこちらに?」
先輩の一人が疑問をぶつける。すると、彩美さんはこう答えた。
「そんなの、可愛い後輩をヘルプしに来たに決まってるでしょ」
「「「「「ヤッタ―――――‼‼‼」」」」」
「ね、先輩たちなんであんな喜んでるの?」
「さあ?」
「強力な助っ人とか」
「だといいね!」
騒然となる部室。あとで確実に文句を言われるだろう。
っと、それは置いといて。
「……亜衣、大丈夫?」
沈んでいる亜衣に話しかける。そりゃあビックリだろうなあ。冷戦中のお姉さんが、部活に来たんだから。
「おおい、あーいーさーん?」
「今日はツイてないわ……」
「……じゃ、続きをドーゾ、現部長さん」
「はいはい了解しましたっと。
ゴメンねみんな。そこの人はあとで説明するから、会議に戻るよ。座ってー」
「「「はーい」」」
よくわからないが、とりあえず笹川先輩のほうに注目する。
ホワイトボードに書かれた、活動費調達の大きな文字。
「みんながそれぞれバイトするのもアリだけど、それじゃあ効率が悪いので。
文芸部らしい調達方法でいこう!」
「それって、つまり?」
「色々なコンクールに小説を応募したり、部誌の制作を拡大したり」
【いったんストップします】
「まずは確認から。
この中で、応募経験のある人は挙手」
笹川先輩に言われ、私は右手を挙げる。うなだれたままの亜衣も。
「……八割ってとこかな。よし、じゃあ次。
一次選考を通過した人?」
その後は二次選考、最終選考と続き、挙がる手の数はどんどん減っていく。
私は最終選考まで、亜衣は二次選考までで手を降ろす。
【またまたストップ】
「最終選考が一割……思ったよりも成績良いみたいだね。一安心。
では最後の質問。最終選考も通過し、賞を取った人はいる?」
私は最終選考で落ちてしまったので、少し落ち込む。通知が届いたときはうれしかったけど、後になってみれば、もう少しだったのにと、それしか思えなかった。
私の更に上をいく、最終選考を通った人は……
「三年が二名、二年も二名、一年が一人か……。
大丈夫。これならいける」
それをみた笹川先輩は不敵に笑う。
笹川先輩は、何を考えているんだろう。
前から知りたかった。
生徒会長に味方する理由、資金ゼロでも文芸部を続けたい理由。
よく分からない人だなあ……。
「OK 最初に言ったように、みんなには、創った小説をコンクールに応募してもらうよ。
手短に、ある出版社のコンクールが丁度期末テストの頃だから、当分はそれに専念してね。
で、ここでやっとゲストの登場ってわけ。彩美さん、あとは頼みました」
「あいよ。―――文芸部員のみんな、こんにちは。二年前、文芸部の部長やってた戸塚彩美。今は専門学校に行ってて、作家活動もしてるよ。いろいろとあって、ちょくちょく顔出すんでよろしくねー。あ、そこで死んでる亜衣の姉だよ」
「以上、最近売れ出し中の作家さんでしたっと。読んだことない?『朝顔の観察、現実的に進む恋心』とかさ。最近だと『四つ葉をみつけたおんなのこ』が刊行されたんですよね?」
「さっすが、アタリさ」
彩美さんの、ちょっと満足げな表情。笹川先輩と似ていた。
ていうか、さっき、『朝顔の観察、現実的に進む恋心』っていってた?それ……読んだ!
「あのっ、私、読んだことありますっ!」
思い切って少し大きめの声で言ってみた。みんなの視線が一気に集まってくる。
いつもだったらひるんじゃうけど、今はそんなこと気にしていられない。本に関することなら……全然平気!
「彩美さんの―――天色アオイさんの小説は全部!」
ちょっと、嬉しかった。好きな作家さんに会えたことじゃなくて、たくさん人がいる中で、離れたところにいる人に話せたことが。
私は、変わったのかな?他人からすれば当たり前かもしれないけれど、とても嬉しい、今の自分。
「アオイ……そっか、君は読んでくれてるんだ。お名前は?」
「え、えっと……?」
だめだめ、自分から話したんだから、きちんと答えないと。それにこの人は……あの、天色アオイさんなんだ!
「白野恵里、です!」
「ん、恵里ちゃん?もしかして亜衣の友達って子?次の小説に出てもらえない?名前は変えるからさ」
…………え、えええ⁉私っ!
「はーい彩美さーん、うちの子を勧誘しないでくださーい?」
あたふたしてたら、笹川先輩が止めてくれた。正直、ちょっとほっとしたよ……。
「あ、真帆ちゃんも出るからね?美紀ちゃんと風花ちゃんも出るんでよろしく」
……先輩方も?
「あー、なんとなく分かりました。つまり、実体験をってことですか?メインは誰にするんです?」
実体験……笹川先輩の?どうして私が?
「そんなの決まってんじゃん。アイツだよ?」
「ま、さか……。立ち直ったんですか?まだでしょう⁉なのにどうして
「真帆ちゃん、後でちょっと話したい。だから今は文芸部に専念してて。あたしは帰る」
「……っ」
「失礼しましたー」
そう言って、彩美さんは帰ってしまった。
「……」
「ま、真帆……?」
「……ごめん、取り乱した。もう大丈夫。
―――さ!気を取り直してジャンル確認から始めるよっ!」
部室の空気は一見明るくなったように感じた。
たぶん、みんな気を使ってる。
文芸部に暗い雰囲気は似合わないと。
そう言っていたのは誰ですか?
私たちに気を使っているようだけど。
逆効果だと気づいてますか?
あなたたちの過去には一体―――
何があったのですか?
【以上です。長々と失礼しました!】
「氷雪、早いよ〜。まだ書いてるのにー……………よしっ!終わったぁ〜〜!」
「よかったじゃん、あえかちゃん」
「麻美先輩、やっと終わったのにちょっと冷たいですよぉー」
「あえか、早く校閲に持っていかないと、明日締め切りでしょう?」
「氷雪、それ早く言って!」
今、私の部屋にいるのは、麻美先輩、和希先輩、氷雪の3人。私、あえかはたった今、出版予定の物語が書き終わったところだ。
「あえかちゃん、麻美はもうすぐコンクールだから、そのことでいっぱいなんだよ」
あぁー、だから上の空だったのか。
「ねぇ、あえか。ペンネーム、教えて」
「あ、そっか。今、氷雪と美雪以外知らないのか。えっと、『青島 美希』でーす!」
「分かったー。じゃあ、超楽しみにしてるよ!」
「えぇーー!そんなに期待しないで下さい!」
「じゃあ、時間だから帰るねぇ」
「あっ、私も帰るね」
「はーい、バイバーイ!また明日ー!」
先輩たちと氷雪は帰った。
「相変わらず、氷雪は書くのが早いなー。推理小説なんて結構めんどくさいのに。流石優等生」
「何で、捕まってるの?」
「――黒髪、黒い瞳…。そなたはどこから来た?」
言葉が違うのに、何で言ってることが分かるんだろう?
「どこって言われても……ここは【日本】ですか?」
「二ホンとは?」
え……。服装は完全に日本なのに!和服なのに!あっ、でも……髪と瞳が違う。こんな色日本人はありえない。
〔ちょっとストップ〕
〔止めてすみません!続き〕
「まぁ、いいだろう。私が面倒を見る。名前を言え」
「私は青井茉莉です」
「そうか。茉莉、くれぐれも会長に捕まらぬようにな」
え、何で?それが顔に出ていたのだろう、答えてくれた。
「会長は『処刑』という地獄のようなことをするからな。会長に逆らったらもう終わりだ」
もうすでに地獄のような生活が始まっていたことを、その時の私は気づいていなかった――
ある日の放課後。私白野恵里はある人物に呼び出され、屋上への階段を上っていた。
これから、何が起こるんだろう。呼び出しの手紙、差出人不明。理由も不明。
ほんの少し暗いこの空間に、靴音はよく響く。
私は―――
―――なーんてことはさらさらなくって、ここは普通の公園。
私は、木製に見せかけた金属のベンチに座っていた。近くには親友の―――もう親友って言っても、いいよね?―――亜衣もいる。
呼び出しを受けたというより、呼び出した側かな?
そうなんです。私たちは今、とある二人をお待ちしているのです。
超有名人のお二人ですよ。知らないという学園生はいないでしょうね。
「恵里っ、急いで、公園っ!」
いきなり言われた。驚いたどころの話じゃない。
慌てつつも問い詰めて問い詰めて、やっと分かった。
どうやら、準備が整ったようです。
ちょっと気になって、亜衣に質問した。
「どうやって呼び出したの?」って。
そしたらね、亜衣は、あっけらかんと笑ってこう答えた。
「んっとね、【ラブレターを渡すための、古典的で典型的な代表例】って言ったら通じる?」
つまり。先輩方の靴箱に手紙を仕込んできたんですね……。よく考えるなあ、亜衣は。
とにかく、【ラブレター】で指定した時間まであと10分をきった。
もう、後戻りできないんだ。
そう実感して、改めて事の重大さに気づいた気がする。生半可な決断でしていいことじゃない。みんなを、裏切ることになるかもしれない。
それでもいいの?私なんかに、そんな覚悟がある?
亜衣が計画者。私は協力者であり、共犯者であり、発案者だから。
いいですか?風花百合香生徒会長?
女王陛下には分からないでしょうね。
私たち下っ端の努力と結束力。
文芸部きってのグリム童話好きが教えてあげる。
物語をより感動的なハッピーエンドにするにはね、一度暗闇にいくといいんだって。
灰かぶり姫も髪長姫も白雪姫も人魚姫も、みんな暗いどん底から抜け出した。
なら、私たちも大丈夫。
暗闇なら、もう慣れたから。
私をE組に降格しますか?それは、私にとってただの里帰りですよ?
「……」
亜衣が小さく笑ったような気がした。
「……きっかり五分前行動ですか?白羽学園生として手本となりますね、先輩方」
「亜衣?」
「恵里、いこっ。賓客様のお出迎え!」
いつになく元気な亜衣が、少し羨ましい。
私も、慌ててゲストの方へ駆け寄った。
どうかこの想いが届きますように
(遅くなり申し訳ございません!続きになります)
「……もしかして、これ二人の?」
「正直、また処刑関係かと思ったんだがー?」
色白でかわいい先輩と、すっごい睨んでくる先輩。先日のことで一躍有名になった、板橋先輩と松葉先輩です。
今回のゲスト、御登場というわけ。
「初めまして、1年D組の戸塚亜衣です。こっちは―――」
「ぁ、白野恵里と申します……」
「ご丁寧にどうも。知ってるだろうけど私は板橋麻衣。よろしく」
「2−E、松葉。よろしくするつもりはないからな」
なんか……物凄い警戒されてるなあ。
こんな状況で、ひょうひょうとしていられる亜衣は何なの?
「で、こんな手を使ってまで私たちを呼び出した理由を教えてくれない?」
板橋先輩の視線は相変わらず厳しい。私は、黙ったまま縮こまることしか出来ない。
「……簡潔に言うとですね」
「協力者になりませんか?」
松葉先輩の顔に驚きの色が見えた。しかし、何も言わない。
亜衣が、その沈黙を破った。
「メリットもデメリットもあります。先輩方が拒否されるのなら、それでこの話は終了です。どうしますか?」
面白いことを見つけた、という小さな笑みは、彩美さんとよく似ていた。
でも、いつもの亜衣ではない大人びた表情は、あまり見ていたくない。私が知らない亜衣を見るのは、ちょっと怖い。
……しっかりしなきゃ。私が発案者だってことを忘れちゃいけない。
「ならもう解散だな。俺らはお前たちと組まない」
きっぱりと言われた。亜衣は少し悔しそう。
私が言い返さなきゃ。
「いいんですか?メリットもあると、先ほど申しましたよね」
私たちの切り札はコレ。
学園での革命が有利になる、いくつかの情報。
一部教えられないこともあるけど、それ以外なら―――この人たちなら。
本当は、切り札を使いたくなかった。だって、そうすると、『あの人たち』の過去を広めることになるから。たった数人でも、嫌なんです。
でも今は、そうしないと意見が通らない。何としても避けたいんです。
「……じゃまず、デメリットは?」
板橋先輩が聞いてきた。やっぱりそっちからなんですね。
これには亜衣が答える。
「会長にばれる確率が上がるおそれは、無いとは言えません。」
「そりゃそーだ。芋づる式になったら元も子もない」
松葉先輩の的確な言葉が返ってくる。
「メリットは?人数が増える以外に何かあるの?」
「情報交換、です……!」
これならいける。自信をもって答えた。
「学園の中には、いくつかの派閥が存在していますよね―――
会長さんに賛成する人、私たちのように反対する人、中立の立場に立つ人。
でもそれだけじゃないんです。極々少数派ではありますが、
『会長さんに賛成しながらも反発する方』
がいるのをご存知ですか?私が知る範囲では……学園内、それも生徒会に2人と、学園外に1人います。
―――もう一度お聞きします。どうしますか?」
「……」
先輩方は、さすがに驚いたようだった。
「情報ありがとね。でもごめん、すぐには決められない」
ハーフアップの髪が左右に揺れる。
ちょっと、残念だった。
平均的な学校と比べ、一コマの授業時間が長い白羽学園では、合間の休み時間も多少長めに取られている。次の授業で使用する教材を机上に並べ、不備がないか再三確認してもかなりの時間が余るほどだ。随分ゆとりのある休み時間を、成績優秀者の集まりであるA組は揃って勉学に有効利用しているのかというと、実はそうでもない。
方や、天賦の才だけで高度な知識をいとも簡単に理解する者。方や、血が滲むような努力を以てA組の座にかじりついている者。あるいはそのどちらでもなく、何かしらの特例によってA組への在籍を許されている者も存在するかもしれない。現在の成績に至った背景が個々によって違えば、休み時間の使い方も必然的に多様化する。よって天下のA組も、他のクラスと比べればさほど変わらない教室風景となるのだ。
閑話休題、A組教室の休み時間にて。椎哉は自分の席に座ったまま、しきりに鉛筆を紙上で動かしていた。傍から見れば自主勉強をしているようにも見えるが、よく観察すると時折自分の手帳に目を移しては電卓を叩いている。そんな彼の違和感に気を引かれ、声をかける同級生がいた。
「おや、北条副会長。何かご用でしょうか」
「そういう訳じゃないんだけど、さっきから何を計算してるのかと思ってね」
「これですか? 前回の期末考査の平均を割り出していたんですよ。次の考査もそろそろ迫ってきていることですし」
「前回って、安部野君が前にいた学校での成績?」
智は首を傾げた。つい先日まで学園を休学していた彼も、椎哉が新年度からの転入生であることは百合香からの情報で知っている。ならば椎哉が言う「前回」とは、彼が前年度まで通っていた学校での最終考査なのだろうと予想した。しかし、ここは地方でもトップレベルの進学校。椎哉の出身校がどこかまでは把握していないが、並大抵の高校のテストでは、この学園での考査の対策材料にはなり得ないはずだ。
そんな彼の疑念に気付いたのか、椎哉は手帳の一ページを開き、智に見えるようにして掲げる。その罫線上には人物名、クラス、そして五教科の点数と思しき数字とその合計が、上から下までびっしりと埋まっていた。
「いいえ、前回というのは『白羽学園の前年度最終期末考査』のことです。生徒会たるもの、生徒の皆さんの成績の推移を把握し、より効率的な学力向上の助力に努めなければいけないでしょう?」
「生徒の皆さんって……まさかこれ全部、全校生徒の前回の点数かい?」
「ええ。精密なデータを得るには、正確な値が必要不可欠ですから」
言いながら椎哉は手帳を智に見せたまま、もう数枚ページをめくる。新たに開かれたそこにもやはり、生徒一人一人の成績が同じように綴られていた。
(続く)
(続き)
元よりこの学園では考査終了後、得点順に並べた成績を個人の名前付きで掲示するのが定例だ。加えて処刑制度が執行されてからは、「見せしめ」目的で最下位の生徒名まで発表されるようになった。そのため、椎哉が全校生徒の点数を把握していること自体になんら問題はない。だが、学園内での公開が許されているとはいえ、一歩間違えれば生徒個人のプライバシーにも関わる情報が、一冊の個人手帳に全てまとめられているというのはいかんせん不気味である。
図らずしも覚えた底気味悪さを表に出さないようにしながら、智は苦笑交じりに自分の感情を誤魔化した。
「そ、そうなんだ。熱心なのはいいけれど、その手帳を外で落としたりしないようにね」
「心配には及びません。ベルトに繋いだストラップをつけていますので、不注意で紛失することはまずあり得ませんよ」
「なら安心だけど……。ところで、平均点をまとめて何か分かったことはあった?」
「そうですね。やはり目立つところと言えば、クラスごとの成績格差でしょうか」
椎哉は開いていた手帳を制服の内ポケットにしまうと、今度は鉛筆を走らせていた方の紙を見せる。書かれていたのは各学級別、学年別、学年を無視したクラス別、そして学園全体の平均点をまとめた統計表だ。そのうちクラス別の点数に注目すると、A組から段々と下るように平均点が下降していることが分かった。尤も、この学園ではそもそも成績を基準にクラス分けを行うため、このような結果になるのは必然なのだが。しかし椎哉はそれだけで話題を完結させることはせず、表の下の空白に簡易的な棒グラフを描きながら話を進める。
「A組からC組までは問題視するほどの点数ではありません。しかしC組とD組を比較すると、それまでと比べて点数の開きが大きいのです。さらにD組とE組では、その格差がより顕著に現れています」
「本当だね。グラフの先端を線で結ぶとさながら放物線みたいだ。つまり、学園全体の平均点が下位の二組によって著しく下げられているってことか」
「仰る通りです。加えて、D組とE組の成績を一人一人確認してみたところ、D組の一部とE組の多数の生徒が学園の平均点を大きく下回る成績でした。このように大多数の真面目な生徒が、ごく少数の不真面目な生徒によって足を引っ張られるということは、由々しき事態なのではないかと僕は思います」
成績劣等生への懸念を以て話を結論付けると、椎哉は鉛筆を置いて智の方に顔を向ける。真っ直ぐな目線で相手を見据えると、智へ一つの質問を投げかけた。
「この二組の成績不振を改善するため、生徒会としては何かしらの対策を取る必要があると考えています。そこで一つお聞きしたいのですが、北条副会長はD組、E組の成績向上を妨げているものは何であるとお考えでしょうか?」
「成績低下の原因、かぁ……」
智はしばし目を細めると考え込む動作をする。骨ばった細く白い手が、紅い唇に触れている。白い手先の長い爪に、椎哉はその間視線を移していた。
「……もしかしたら……そうだねぇ、やっぱり百合香に手出しをする様な人間が多い事じゃないかな」
ゆっくりと口を開き言うと、智は軽い笑みを浮かべる。彼の笑顔は非常に優しげで、穏やかで、そしてどこか女王と似ていた。
「と、言いますと?」
「ほら。百合香の定めたルールを破る人間がいたら、僕らはその人間を処刑しなきゃいけないだろう? 学園の平和の為に、そして百合香の為にね。でも処刑にばかり気を取られてしまうと、やっぱり勉強に専念できなくなる人も少なからず出てきてしまう……B組やC組の人達にしたら、処刑制度は適度なストレス発散になるんだろうけど。D組辺りになってくると、処刑だけに全力を注いでしまう人達がちらほら現れるみたいだね。……どうしたものか……百合香に逆らう人間をなるべく減らせればいいんだけど……」
饒舌にこう話すと、再び智は目を細めた。
椎哉はその様子をごく冷静に見つめている。……しかし、内心この副生徒会長に薄気味悪さを感じていたのは言うまでもない。
彼の話は要約してしまえば、『百合香に逆らう人間がいなければ、処刑も発生しないし成績問題も解決する』ということになる。あくまで彼にとって、全ての原因は女王に歯向かう反逆者であった。女王の定めた規則に逆らえば、処刑されるのは当然だ。ならばどうやって反逆者を減らそうか……その話は、『百合香は何一つ間違っていない』という前提のもと成り立っていた。今の処刑制度には何の疑問も感じていないのだ。
「……特に百合香に平手打ちをする様な生徒は見逃せないなぁ……何か対策をとろうか、どんな形であり百合香が傷つくのは何より辛いしね」
「ふむ……しかし、成績不振についても解決を優先させるべきでは? 風花生徒会長の安全が第一なのは同意致しますが」
心にも無い言葉を並べ終えた椎哉の目を、智はすっと覗き込む。やがて、くすりと微笑んだかと思うと、暖かな笑顔を保ったまま平然と言い放つ。
「まあ、いいじゃないかそんな事は。だって、百合香が一位なことには変わりないんだから」
「…………なるほど」
その直後だった。席を空けていた百合香が教室へと再び戻ってきたのだ。
その美しい顔に、普段の笑顔はどこにも無かった。
「皆さん、少々聞いてくださるかしら」
A組の生徒達は一斉に百合香に視線をやった。百合香がこうして教室内で発言することは決して珍しくはないが、ここまで重苦しい雰囲気を醸し出すことは早々にない。智はというと、百合香の方へ歩み寄り、不安げな表情で彼女の様子を伺っている。
百合香はそんな智をちらりと見ると、大丈夫よと言うかの様に若干表情を和らげる。
2人の間にはやはり何かしらの信頼関係があるのだろう。何かしら異常なまでの。
「木嶋さんが……お亡くなりになったそうです、白羽病院で」
真っ先にしたのは、1人の生徒が立ち上がる際の机の揺れる音だった。
「……何ですって?」
「木嶋さんが亡くなったのよ、月乃宮さん。……仕方ないわ、あの状況下なら何か重い症状を患わってもおかしくないもの」
「だって、そんな……姉さんがついていたのに……!」
あの冷静沈着ないばらが、ここまで取り乱すのはそれこそ滅多にない。周囲は驚きを隠せない様子だったが、百合香の方は一切動じていなかった。
姉の診ていた患者が死んだというのは、やはり妹にしては受け入れ難いのだろうか。
「そうね……大変残念な事だわ。まさかあの白羽病院で、ね」
「……何かしら? まさか貴方、姉さんを疑ってるんじゃないでしょうね?」
いばらが荒々しい足取りで百合香の元に歩み寄った。彼女の瞳は更に鋭さを増し、その目はしっかりと百合香の姿を映している。
百合香の顔つきもまた、どことなく悪しきものがあった。まるで目の前の相手を見下したかの様な。
「別に……疑ってるわけじゃないのよ、月乃宮さん。ただ、あくまで視野の範囲に入れているだけで」
「いい加減にして!!」
百合香の声を遮り、いばらは大声をあげた。百合香の傍らにいた智が、目を見開いたのが見える。
「貴方は……どうしていつまでもそう悠々としていられるの!? 彼女だって貴方が余計な手出しをしたのはほぼ確実でしょう!? 彼女だけじゃない……今まで何人もの人を殺しておきながら、貴方はまだ自分の罪を擦り付ける気!?」
静まり返った教室に、ただいばらの声が響いていた。
いくら寄付金絡みの件があるといえ、ここまではっきりと逆らってしまえばどうなるかはわからない……処刑まではいかなくとも、何かしら罰を受けることになってもおかしくはなかった。誰もが息を潜めて見守る状況の中、百合香は静かに溜息をつくと、その口を開いた。
「月乃宮さん……私は誰も殺したことはないわよ? ましてや、誰かを傷付けたことも……」
「……じゃあ、天本さんの件はどう説明するつもり? 風花さん」
天本という名に、椎哉が少しながら反応した。しかしそれに気づいた者は恐らくこの教室にはいないであろう。
「天本さん? ああ、あの広報部の……」
百合香はそう呟くと、やがてまた笑顔を浮かべる。いや、笑顔というよりは口元を歪めたに近い。その黒い瞳は笑ってはいなかったのだから。
「私が彼女を追い詰めたと決めつけるのはあまりにも不道理だわ……自殺未遂を私の責任にされても、私は何も出来ないわよ? あの件は誰も悪くないの、天本さんが考え過ぎてしまっただけ……」
「貴方は……何も感じないの?」
いばらのその問いかけに、女王はしばらくの間黙り込む。彼女の姿を黒い瞳で見据えると、途端に普段通りの笑顔を浮かべた。
「感じるって……何を?」
がん、と、頭を強く殴られたような気がした。
「処刑制度」などというくだらない規則が確立してから早一年以上。ある者は暴行の末に再起不能の体となり、ある者は精神を蝕まれた後に自ら命を絶ち、ある者は何の動機もなく突然行方不明となり、ある者は家族もろとも不可解な死を遂げ……。数え出したらキリがないほどの犠牲者が、決して長くはないこの期間で次々と積み上げられていった。だが、制度を取り決めた当の百合香はというと、ただ犠牲者を憐れむ姿勢を見せるだけで、処刑制度や自分の裁定を省みることは一切しない。それどころか「悲劇」の原因は飽くまで自分には存在しないと、犠牲者本人やその周囲の人々を盾にしながらのたまってみせるのだ。
学園の風紀、生徒一人の命や人権、そして自分の大切な家族を冒涜され。しかし抗議の応酬は、まず抗議自体の意味が分からないといった当然顔で。まるで人間の価値観が通用しない宇宙人を前にしているような感覚に、流石のいばらも言葉を失う他なかった。――この女には、何を言っても無駄だと。
「落ち着いてください、月乃宮風紀委員長。あなたのご姉妹がそのような真似をするような方でないことは、僕も存じております」
「安部野くん……」
百合香に対して激昂している間に席を立ったのだろうか。いつの間にかいばらの斜め後ろに立っていた椎哉が、落ち着いた語調で声をかけてくる。姉の名誉を擁護してくれるような台詞にいばらは僅かに安堵し、しかし同時にそれ以上の不快感を抱いた。何しろ椎哉は彼女から見て、ある意味では百合香以上の不審の塊であったのだ。
転入して間もないにもかかわらず、学園に貢献したいという理由での生徒会入会。生徒会への忠誠を誓っているかと思えば、一概に百合香の益にはならないような言動も行う付和雷同さ。彼にとっては赤の他人であるはずの、天本千明の病室への訪問。そんな怪しい行為を積み重ねている人間に庇われたところで、裏で何かを企んでいるのではないかと勘ぐってしまうのが正直な心情である。
そんないばらの心情をよそに、百合香の意志を支持するようにして、今度は智が椎哉の言い分に異を唱えた。
「月乃宮さんの気持ちは分かるよ。でも、どんなに優秀な人でも医療ミスをすることはあるんじゃないかな」
「確かにその可能性も否定はできませんね。ですが。外因なく木嶋さんの様態が悪化しただけという可能性も同様に存在するでしょう」
「とは言っても、あの白羽病院だろう? 様態が急変したとしても、即座に対応できる技術や人員が揃っているはずだよ。それに、百合香だってそう言ってるし……」
「……まあ、僕たちがここで言い争っても、木嶋さんの死因が判明するわけではありません。餅は餅屋、死者は医者に任せておきましょう」
(続く)
(続き)
智の主張から僅かに間を空けて、討論の中止を椎哉は提案する。彼の言う通り、専門的な医学の知識を持たない学生が、見てもいない死者の死因を推測するのは無謀だろう。姉の名誉にかかわる議論が流れてしまうのは不本意だが、その一点に関しては流石にいばらも賛同した。これでいばらと百合香の一触即発は解消されたと、教室にいた生徒たちは安堵のため息をつく。
「皆さん、お騒がせしてごめんなさいね。木嶋さんのお葬式などのお知らせは、決まり次第また連絡しますから。それでは……」
「お待ちください、生徒会長」
「……何かしら、安部野くん?」
一礼して教室から立ち去ろうとした百合香を、議論を中止させた張本人である安部野が引き止める。訝しげな声色を若干含ませながら、それでも相変わらずな笑顔のまま百合香は振り返る。対して椎哉は、やはりいつも通りの微笑みを浮かべながら、目尻の下がりが浅い彼女の表情を見据えた。
「先ほど、月乃宮風紀委員長との会話に出てきました『天本さん』について、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
途端、日常的な雰囲気に戻ったはずの教室に再び緊張が走る。先ほどの険悪な会話の内容から、「天本さん」が処刑によって葬られた犠牲者の一人であること、つまり百合香がいるこの場にとって地雷とも言える話題であることは、学園に転入して数ヶ月経たない生徒でも理解できるはずだ。にもかかわらず、そんなデリケートな質問を遠慮もなしに投げかけた椎哉の蛮勇に、周囲の生徒たちは勿論いばらと智も目を見開いて驚愕した。その中でただ一人、百合香だけが笑顔を崩さずに返答する。
「それは今、聞かなければいけないことかしら?」
「いえ、回答に急を要するような質問ではございません。しかし月乃宮風紀委員長がああも取り乱していたとなると、よほど重大な事件だったのだろうとお見受けします。そのような出来事が過去にあったなら、僕も生徒会の一員として知っておく義務があるのではないでしょうか」
――あなたが知る必要はない。――いいえ教えてもらいましょう。
譲る気はない本意を敬語というオブラートで厳重に包み、互いに言外で牽制し合う。厚い仮面を被った二人同士のプレッシャーは、教室の空気を不必要に研ぎ澄ますのだった。
1.真空玲奈の特等席
ただ何となく歩いていたわけじゃない。直接的、間接的、二つの目的を持ってそこに向かっていた。
木陰に隠れた木のベンチ。あたしだけの特等席。
なのに。
誰かがそこで眠っていた。肘掛けに倒れこむように居眠りするそいつは、おそらく別のクラスか違う学年。見たことのない顔だった。
あたしはその時イラついてて、呟くようにこう言った。
「It is my ringside here.Would you get out,Mr.doze?」
寝ているし、起きていてもたぶん通じないだろうな、と思っていた。
でも違った。そいつは答えてくれた。
「I am sorry.But It is my ringside here,too.And I am not『doze』.」
驚いた。そして、それ以上に嬉しかった。
クラスの誰に言っても通じないであろう英語が通じた。たったそれだけであたしは直観的に思った。
『こいつはきっと話が合う』って。
「……とりあえず、どいてもらっていい?」
彼は目をこすりながら場所を空けた。
このベンチは三人掛け。二人で座っても間はある。
「で、ここは僕の特等席って言ったよね?」
まだ寝ぼけてそうな顔。寝不足なのか?
「その前に、あたしの特等席ですがって言ったでしょ」
あーはいはい、というマヌケな返事が返ってくる。男子にしてはやわらかめの声だった。
ちょっと意外。もうちょいシャキッとしてそうなイメージだったのに。
「じゃ、僕ら二人の特等席ってことで。あ、でも所有権は僕だからね」
勝手に言われた。とりあえず嚙みついておく(慣用句的表現)。
「ひっどい!唯一の逃げ場所なのにっ」
言ってから、あっと思った。しまった。本音が少し混じっちゃった。
「逃げ場所?」
彼は目ざとくそれに気付く。
「……そ、逃げ場所。何か?」
お願い、何も言わないで。あんまり人に言いたくないの。
そんな思いは伝わったのか、彼は興味なさそうにまた目を閉じた。
あたしは安心して伸びをする。グーッと腕を伸ばしたら右の指先が樹にぶつかった。……地味に痛い。左手でさすりながら樹をにらんでおく。
「……」
「……ねえ」
「んー?」
「ここがあんたの特等席って、いつから?」
「僕が入学してから数ヶ月かなー」
今は六月の中旬。あたしがここに通うようになってから彼に会ったことは無い。
そう話したら、彼は溜息混じりで答える。
「あー……部活が忙しくて、時間がなくってさあ」
「何部なの?」
「……一応、文芸部」
……文芸部っ!?初めて聞いたんだけど!
「文芸部なんて、うちの学校にあるの!?」
「え、ああ、そうだけど」
「転部したいっ」
「そりゃまあ大歓迎ですけど……」
「〜〜〜っ!」
チャイム音が鳴り響く。
いつもなら、憂鬱になるだけの無機質なその音。
確かに授業は嫌だけど。でも今は気にならない。
あたしの特等席は無くなったけれど、気の合う話し相手が出来たから。
その後あたしは、名前聞いてないや、と気づいた。
わたしはその原稿をバサッと机に置いた。滝ちゃん(センパイ編集者さん)が怪訝なカオしてるけどそんな場合じゃナイんです!
文香さん(わたし)は今現在、ひっじょーに興奮しているのですよっ!
コレは、わたしが担当している作家さん――天色アオイさんの原稿です。最初の方だけ出来たということで見てましたが……『真空玲奈』ちゃんて、センセイがモデルですよねぇ?なんか、授業が嫌みたいだけど、センセイは超絶優等生ですよね?なんでなのぉ……?
頭に付けたパステルグリーンのリボンをいじりつつ考えるけど、んと、やっぱ無理ぃ!
こーゆーのは本人に聞くべきですよねっ。
よし、そうと決まれば早速センセイに電話しよーっと。
……ん、スマホケースについてる飾りがとれそうかもぉ。むー、ウチにあるかな手芸用ボンド。……じゃなくてじゃなくて。電話だってば!
その後わたしは
『そのうちわかるよー♪』
なんていう、イタズラゴコロ満載な言葉をもらい、更に悩むことになりましたっと。むむむむむ……うあっ、リボンが左に傾いちゃったし!
「安倍野君、あんまり百合香を困らせるのはだね……」
「いえ、いいのよ智君……彼にだって知る権利が無い訳ではないわ、天本さんの件については」
椎也を制そうとする智の言葉を遮り、百合香は真っ直ぐに椎哉を見た。相変わらず彼女は微笑んでこそいるものの、その目はやはり目の前の相手を軽蔑し見下している様に伺える。張り詰めた空気の中で悠々と立ちすくむ女王の周囲には、無数の薔薇の棘がちらついた。
「そうね、まあ……良いでしょう……ある程度なら……」
一人呟いた後、百合香は数歩足を進めた。不敵に微笑む椎哉に近寄ると、改めて彼の瞳を覗き込む。
「では、お話ししてくださるんですか?」
優しげな筈の彼の声も、今の百合香にはどこか耳につく。その穏やかな顔の中に、一体彼は何を隠し込んでいるのか。今の百合香にそれを知る術はまだ無い。
「簡単に、だけれどね? 全部話していたら休み時間が終わってしまうわ……昔、広報部という部活がこの学園にあったのは、貴方もご存知?」
「ええ、勿論……昨年度までの予算資料もある程度拝見させていただきましたので」
「なら良かった。その部活の部長として活動していたのが、天本千明さん。彼女、とても優秀な人だったのよ? 正義感が強くて、いつも真っ直ぐな……私も彼女には期待していたの。それなのに……」
自分は無関係とでも言いたげな口振りでそこまで言うと、百合香は憂いげに溜め息を吐いた。彼女の表情の陰りは、果たして何を意味してのものなのか。
「――彼女、ちょっとしたトラブルで精神が不安定になってしまったのよ。周りにも冷たくあたる様になってしまってね? それが新聞記事にまで影響して……周りも手に負えなくなってしまったの。仕方が無いから広報部は一旦活動停止にして、彼女が落ち着いてくれるのを待つことにしたのよ。……だけど……」
やがて百合香は、白いハンカチで目元を押さえ始める。見かねた智は、百合香にゆっくりと歩み寄ると、その背中を優しく撫でた。
「まさか、あんな事に……あそこまで思いつめていたなんて……」
「大丈夫、百合香は悪くないさ……百合香は正しい事をしたんだから」
それは本当の事情を知る者からすれば、非常に滑稽な茶番劇であっただろう。その茶番劇を良く思うか悪く思うかは人それぞれではあったが。少なくとも大多数のクラスメイトは、なかなかの誤魔化し方だと考えたに違いない。
「……生徒会長、ありがとうございます……申し訳ございません、辛いことを話させてしまって。僕の配慮不足でした」
椎哉は詫びを入れ頭を下げるものの、彼の本意など周りは誰も知らなかった。当然の事だ。皆、彼があの天本千明の関係者だなど少しも考えはしないのだから。
「いえ、大丈夫……ごめんなさいね、みっともない姿見せちゃって……智君も」
「百合香がみっともないだって? 君はいつだって凛としてるじゃないか……たとえ今みたいに泣いててもね」
百合香を宥めるように言う智に、女王は涙を拭いた顔でくすりと微笑む。
「あら、智君……いつからそんなにキザになったの?」
百合香が立ち去った後の教室には、再び普段の騒がしさが戻った。
「はぁー……」
「……しょうがないよ、ね?」
「ん、でもなぁ」
先日のことでテンションがイマイチな亜衣。溜息のくせ、移ったかな。
「マグネット、全員はったー?」
先輩の声が聞こえてくる。大変、早くしないと。
そう思って私は亜衣の手を引き、ホワイトボードへ向かおうとする。抵抗されたので、ほんのちょっと強めに。
「ほら亜衣、行くよっ」
「恵里ちょいストップ手え痛いからっ」
「大丈夫、私の握力は20だよ」
「絶対違うって!あんた壊れたヤツで量ったでしょっ」
ひどいなあ、本当に20なのに。
まあとにかく今は、亜衣を連れていくべきだ。
「漫才はいいから急げー」
「ご、ごめんなさい!」
ほら言われちゃった。残念だね亜衣さん。
本格的に活動を始めた文芸部。今日はネタ合わせの日です。
出版社に応募することよりも、本当は、部誌の発行・販売がメインなんです。
ジャンルごとに集めた部誌を何種類かと、長編連載もの、投票結果集なんてのもある。
その中でもストーリーや設定、キャラなどが被らないように合わせるのがこの日。
私はいつも通り、日常系小説を書くつもり。というか、それ以外にネタがない。
日常系は人数が少ないけれど、内容がどうしても重なりやすい。だから私は設定に工夫してるわけだけど……
「よし、全員集合ね。じゃあ各自で始めてー」
笹川先輩の合図で、部室は一気に騒がしくなった。
「恋愛系こっちー」
「あ、連載中のはドア付近ね!」
「二次創作したいやつ!」
「言っとくけど、3L禁止!白羽生徒は純粋ちゃんが多いんだから!」
「そういうのは同人で書きますってセンパイ」
「異世界系書きたい人、チートか日常か転生か選んでおいてねー」
「ホラー書いてる方、いませんか!」
「こっちこっち、ロッカー前!てかミステリーは推理かホラーかはっきりしろ!」
「青春と日常は集まって話した方がいいよ、あと恋愛も」
「あの!青春で、恋愛要素アリなんですが!」
「名前決まったらボードにかけよ!過去の資料は棚三段目!」
「佐藤、田中、高橋、斉藤、高木、鈴木、山田、中村は使いすぎに注意!」
「ねえちょっと静かに!研究部に怒られたから!」
まあ、こんな感じにうるさいのが文芸部―――
「白野さんって連載じゃないよね?名前被ってないか確認しよ」
「あ、はいっ」
―――なんだろうな、と思った。
≪執筆予定作品≫
白野恵里 『こちらの原子が擬人化したとします。(仮題)』
戸塚亜衣 『トリップ女子は帰還を推奨、そして拒否(仮題)』
笹川真帆 『Make a school festival HERE,please!(仮題)』
えふぇwfwfwふぇwふぇwf
175:藤井美鈴 時系列:放課後 場所:音楽室:2017/07/01(土) 15:06 「ハーイ!今から半音階のロングトーン始めまーす、8拍でーす」
「何で先生、いないんですか?」
「3人とも出張です。行きまーす、1、2、3」
コンクールまであと2ヶ月。課題曲はあと少しで完成だ。自由曲はやっと3分の1までいった。
「トランペット、少し高いから下げて!ホルンとクラ、音小さいからもっと大きくして!」
「「「ハーイ」」」
「パートで基礎練したと思うので、課題曲します」
コンクールの期日も迫っているというのに、今日はなぜか、顧問も部長もいない。顧問は出張だから仕方ないが、その上部長も欠席となると……。私の負担も考えて休んでほしい。
「クラとフルート、ピッコロ、Jから連符のところ転んでるから焦らないで。もう一回します」
「麻美先輩、ここ教えて下さい」
「ここは――」
1年生、これぐらいわかるだろう!?こんな簡単なのに!中学でも吹部でサックスやってたって言ったよね!?
――なんてことは勿論言わない。ほら、表面上は良い先輩だから、私。
「次、自由曲しまーす。前できなかったHの6小節目から、96でやります。少し早いけど頑張ってね!」
「えー」
「バス、みんなを支えるパートだから、指揮見て。それからパーカス、少しずれてるから気を付けて」
やっぱり自由曲は難しい。金管がメインだけど、木管のソロも多い。どうしようか――
「すみませーん‼遅れましたー!」
大声と共に、女子生徒が飛び込んでくる。ああ、遅刻の子か。誰だろ……って!部長じゃん!
やっと部長来たー‼救世主来たー‼ってことは――私の負担が減る―――‼
「あっ、部長来た!」
「おー」
「あとは部長!お願いします!」
「私、今来たばっかだよ!?」
「遅刻するから悪いんです。さっさと、準備してください!」
「は〜い、それまでやってて。そんなに時間かかんないけど」
「当たり前だよ!?トランペットでしょう!?……気を取り直して、Hからやりまーす」
「ハーイ」
みんなが真っ黒な笑顔なのはなぜ?と思いつつ、私もそうなっているだろう。
「部長、Hからソロまでやってください」
「「「やってくださーい」」」
真っ黒な笑顔、その理由は簡単。ただただ、部長をいじりたいだけ。
やってくれと言ったところ――Hからソロまで――は、一番難しいところ。遅刻したからと言って、そこの手本を見せてほしいと言っているようなものだ。いつも失敗して、笑われていていつも悔しそうにしている。今回もそうなるだろう。
「いいよー」
また、いつものところを間違える――と思ったが、間違えずにちゃんとできていた。
「え―――!?」
「何で‼」
何もかも完璧にできていた。1週間前までできなかったのに。
>>174 荒らしはやめましょうねー。迷惑になりますよー。
177:藤井美鈴◆MI 時系列:放課後 場所:音楽室:2017/07/01(土) 18:28 「嘘でしょう?」
「何でだと思う?」
「練習したの?」
「当たり前じゃん。だって、ちょー悔しいんだよ?」
「ハイ。じゃあ、部長が来たのでまた、課題曲をしたいと思いまーす」
「「「ハーイ」」」
流石、部長。トランペットの音が良くなった。
あの1年生、役立たずだねー!コンクール、出ないでくれないかなー、表面上だけの奴がっ!音が雑すぎるんだよ!2,3年生の邪魔をするなー!
――勿論、表面上には出さない。
まぁ、いろいろあるが、楽しい……かな?――そう、思っていたらどうやら、お昼休みみたいだ。今日は1日練だから大変だ。
「1時に練習開始でーす」
「「「ハーイ」」」
上下関係はあるが、仲のいいメンバーでよかった――と思った。
(>>165-170と>>172の放課後、かつ>>173、>>175、>>177とこの話がほぼ同時と仮定しての話です)
赤みが混ざり始めた夕暮れ空を背景に、天に向かって高々とそびえ立つ白羽学園の学び舎。その一角、音楽室から聞こえてくるのは、多数の管楽器による騒々しい音色。恐らく吹奏楽部が個人で、あるいは楽器別に各々練習をしている真っ最中なのだろう。そんなことを思案しながら、剣太郎は校舎の、音楽室がある辺りをぼんやりと見つめていた。
かつては広報部に所属していた剣太郎だが、昨年執り行われた強制廃部によって、現在はどの部活にも所属していない。また、いたずらに学園やその周辺街を徘徊すれば、別の生徒にいちゃもんをつけられ、理不尽な恫喝や暴力を受けてしまう。学園に残る理由などなく、得られるものもなければマシな方。ゆえに終礼のホームルームが終わり次第、誰からも声をかけられないようにして速やかに逃げ帰る。それが現在、学園中から迫害されている剣太郎の、日常的な放課後だ。
――もしも、風花百合香が広報部を潰さなければ。あるいは部長の千明が、処刑制度や百合香に対する取材を諦めていれば。自分は今でも、部員たちと新聞を作り続けていられただろうか? 今のようなみすぼらしい思いを味わうことなく、青春の一ページを綺麗な思い出で飾れていただろうか? 溢れんばかりの後悔に塗れた仮定は、いつしか過去の情景を剣太郎に想起させていた。
◆ ◆ ◆
「部長、そろそろ深追いはやめた方がいいんじゃないですか?」
「そうですよ! このままじゃ俺ら全員、生徒会に処刑されてしまいます!」
広報部が強制廃部となる数週間前。青ざめた顔の部員たちが必死の剣幕で、千明に詰め寄る光景が部室内で見られた。当時はまだ百合香直々の声明こそなかったものの、部活動の妨害や度重なる嫌がらせなど、明らかに広報部の動向を良く思わない存在からの脅迫をじわじわと受けていたのである。遠回しの通達とはいえ、声なき牽制をそこまで受ければ、通常の人間は身の危険を察して自らの活動を自重するものだ。だが残念なことに、千明の精神は良くも悪くも非常に丈夫であった。
「大丈夫だって! 向こうに気付かれる前に、バーっとネタ集めてガーっと記事書いてダーっと配布すればいけるいける!」
「そういう次元の問題じゃないんです! 俺たちの取材先に先回りしてくるような奴ら相手に、先手を取れるわけないでしょう? あいつらはこっちの考えを見通してるんですよ!」
「何でも調べたがる部長の悪癖は私たちも分かってます。でも、その弊害が広報部自体にも降りかかったとしたら、部長は責任を取れるんですか?」
「あー、責任かあ……。それ言われると確かに辛いな」
生徒会側からの度重なる牽制にも負けず、処刑制度や百合香周辺の独自調査を続けてきた千明。その核心にこそ触れられてはいないが、今や彼女は百合香の目論見を、部外者の中では恐らく最も真相に近い形で知る存在となっていた。だからこそ、制度の犠牲者が強いられる処刑内容の凄惨さも十分承知している。その上で広報部を率いる者としての責務を引き合いに出されると、流石の千明も閉口する他なかった。
言葉に詰まってそのまま数分。いつもは喧噪の中心である千明が黙り、部室内にもしんとした静寂が下りる。普段はアットホームな部活内の雰囲気に馴染み切っていた部員たちは、慣れない緊迫感に身を固くしつつ、それでも無意識に共通の期待を千明へ向けていた。彼女が自分の無謀さを自覚し、百合香の機嫌を逆なでするような取材をやめてくれると。
それからようやく考えがまとまったのか、千明は天井を仰ぎ見ていた頭を部員たちの方に向け直す。――直後、向きを戻したばかりの頭の前方に、合掌した両の手を勢いよく差し出した。
「すまん、責任は取れない! でも取材をやめるのも無理だわ!」
「はあ!? 部長、それ正気で言ってます!?」
「うん正気。マジ正気。真っ当なたっぷりSAN値で考えた上でこの結論よ」
「じゃあ部長は、自分のせいで広報部が潰されていいとでも!?」
「まあ、ものすごく端的に言ったらそうなっちゃうな」
「ふざけんな!!」
(続き)
バキッ、と鈍い音が、部員たちのどよめきを割った。続けて椅子が倒れる音と、女性部員たちの甲高い叫び声。千明の回答に激昂した男子生徒の一人が、彼女の顔面を手加減なしに殴り飛ばしたのである。そして感情に任せた彼の暴力を皮切りに、部室はたちまちパニックに陥った。千明の人格を疑い、彼女を手酷く攻撃する者。過激な暴力は慎めと、感情的な部員を嗜める者。自分の感情に精一杯で、まず周囲が見えていない者。信頼と統率が致命的に失われ、このままでは生徒会が手を下さずとも、広報部は自然崩壊してしまうのではないかとさえ思われた、そのとき。
「し、静かにしてください!」
彼の一声で、騒々しかった部室内は、水を打ったようにしんと静まり返る。発言主の方を見た部員たちが、その人物の意外性に驚いて喧噪を引っ込めたからだ。一様に目を丸くした彼らの眼差しに、発言主――当時一年生だった筆崎剣太郎は思わずたじろいた。
普段の剣太郎であれば今のような恐慌状態に巻き込まれても、気の弱さゆえに何をすることもできないまま、その場に立ち尽くしていただけだろう。しかし、広報部が失われるかもしれない危機を前にして。そんな状況の中で協調性を失った広報部の惨状を見て。何より、説明の余地もなく部員たちから一方的に詰め寄られる千明の姿を目の当たりにして。内に抱えていた混乱が爆発し、頭が真っ白になった剣太郎が気付いた時には、既に無意識で声を張り上げた後だった。
自分がこの騒乱を中断させた張本人なのだから、何か言葉を続けなければならない。我に返ったばかりの頭で、剣太郎は次の句を必死に考える。だが、元々口下手な彼にとって、もっともらしい台詞を咄嗟に引き出すという行為は非常に難易度が高かった。空回りする頭に反比例して、口からはええと、その、などといった、中身のない思案語しか漏れ出てこない。自分の意見を言い出せずにいる剣太郎に、部員たちが苛立ちを募らせ始めたころだった。
「剣ちゃん、無理すんな。言いたいことは大体察したから」
「ぶ、部長……」
「むしろ皆を鎮めてくれてありがと。あのままじゃあ、弁明の「べ」の字も話せないままだったろうし」
片目の周りにできた青あざを意に介しない笑顔で、千明は剣太郎の天然パーマを軽く叩くように撫でる。そして彼の勇敢さに対する労いを伝えると、服についたほこりを払ってから、部員たちの顔を今一度しっかりと見据えた。こんな状況でもやはり自信に満ちた千明と、対して彼女に猜疑心を向け続ける部員たち。二者に挟まれるような立ち位置となった剣太郎は、不安げな面持ちで両者の顔を交互に見ていた。
「語弊を招く言い方しちゃって悪かった。確かにあたしは副会長ちゃん関連の取材をやめる気はない。けど、広報部の皆をないがしろにしていいと思ってるわけでもない。この二つの考えが矛盾してるのは分かってるけど、どっちもあたしにとっては譲れない選択なんだ」
「ということは、私たちのことは大切に思ってくれてるんですよね? なのにどうして、部が犠牲になるかもしれない危険を冒してまで取材を続けるんですか?」
「なら、無礼を承知で逆に聞こうか。あたしがこの取材を諦めたら、一体誰が処刑制度の全容を広報する?」
「しなくていいですよそんなの! 世の中には知らなくていいことがあるんです。誰も副会長に逆らわなければ、これ以上犠牲者は増えません。余計な真似をしなければ、皆平和に暮らせるんですよ!」
「平和、平和か。いい言葉だ。しかしそれは、これまでの犠牲者に二度目の死と屈辱を与えた上での平和なんだぜ」
「……っ!」
女子部員の言う通り、ここで処刑制度の真相追及を放棄すれば、自分たちの身の安全を確保することはできるだろう。だがそれには、これまでに名誉や命を奪われた犠牲者の存在をさらに「黙殺」しなければならない。存在する真実をなかったことにし、犠牲者を踏みにじって獲得した平和を、果たして甘んじて受け入れていいのか? 自己保身の観念から見れば合理的で、しかし道徳の観念から見れば非情な自分の意見を再認識し、女子部員は千明を説得しようとした口をつぐむ。
(続く)
(続き)
「これまでの調査で既に分かっていることだけど、どういうわけか副会長ちゃんには警察とか裁判所とかも通用しない。その上で広報部までもが真実追及を諦めてしまえば、処刑制度やその犠牲者は実質「存在しないものとして扱われてしまう」。だからあたしは、この学園で確かに起こった事象を「殺さない」ために、これからも制度の取材を続けるつもりだ」
「……部長の考えは分かりました。ですがそんな状況じゃ、処刑制度の情報を広めることなんて……」
「そだね。見栄切って大口叩いたはいいけど、ぶっちゃけこれ無理ゲーだわ」
「ちょっ、認めるのあっさりすぎるでしょう!?」
「しゃーないしゃーない。まあ、だからって副会長ちゃんへの挑戦の意思がない子たちまで巻き込もうとは思ってないさ。だからだね」
公的機関さえ無力化するような存在との対立を前にして、それでも千明はカカッと軽やかに笑う。百合香からのプレッシャーを気にも留めない態度が逆に部員たちの不安感をあおる中、千明は一束の紙を取り出すと机の上に勢いよく置いた。紙の上部に整った明朝体で書かれているその題名は「退部届」。部長直々から惜しげもなく提案された選択肢に、部員たちが一様に目を丸くしたのは言うまでもない。
「自分の命が惜しい奴は、早めにこの広報部から脱出してくれ。これがあたしが皆に対して取れる、最上級の責任だ」
◆ ◆ ◆
それから広報部は、いつもより早めの解散となった。日がまだ昇っているうちに閑散となった部室で一人、千明は受け取った退部届の提出者名を眺める。あの後、感情的、あるいは判断が早かった数名の部員がその場で退部届を提出。他の部員の大半も、一応考えておくといった感じに書類を持ち帰ったのだった。解散前の部員たちが揃って臭わせていた、百合香への恐れの感情を鑑みれば、手元の書類が翌日以降増えることは目に見えている。自分から勧めたこととはいえ、これまで活動を共にしてきた部員たちと袂を分けた現実を前に、千明は煙草の煙を吐くような呼吸法でため息をついた。そんな彼女の横から、弱々しい声がかけられる。ほのかな冷気を感じたその方を見ると、遠慮がちに冷却材を差し出す剣太郎の姿があった。
「こ、これ、良かったら……。殴られたところ、少しは痛くなくなるかと」
「おお、剣ちゃんサンキュー! ひえっ冷たっ」
キンキンに冷えた冷却材を受け取ると、痣ができた目にぴたっと当てる。零度に近い冷たさに震えながらはしゃぐ千明の様は、禁忌事項の取材への決心を真剣な顔で宣言した広報部部長とは思えない。つい先刻と現在の彼女の落差に内心困惑しつつ、剣太郎はおずおずと千明の顔を見上げた。
千明が入学直後から、広報部の一員として熱心に活動し続けてきたという経歴は、彼女より後から入学した後輩たちの間でも有名な話だ。入部から一年経っていない剣太郎でさえ、彼女と何度か取材を共にした際、その並々ならぬ熱意を思い知る機会に何度も遭遇している。つまり千明にとって広報部は、高校生活のほとんどを賭けた青春と同義のはずなのだ。しかし今、彼女は自分に同調できない部員に退部を勧めてまで、処刑制度と百合香の調査を強行しようとしている。下手を打てばその広報部すら奪われかねないリスクを背負いながら、それでも千明を突き動かす熱意の根源は一体何なのか。自分の中で渦巻く疑念に耐えかねて、剣太郎は恐る恐る口を開いた。
「あの……部長は、怖くないんですか? もし部長の取材が実際にバレて、副会長から処刑命令が出されたら……」
「処刑については大丈夫だよ。だからさっきも退部届を皆に渡したんだし」
「そ、そうじゃなくて……! 部員の皆は大丈夫でも、部長は絶対に処刑されてしまうんですよ? 部長は強いから、いじめとかは平気かもしれませんが、それだけじゃ済まなかったら……」
「あ、そっちか。うーむ」
(続く)
(続く)
自分の身に関わる事態に今しがた気付いたような軽さで、千明は間延びした返事を返した。この調子だと本当にこれまで、広報部に降りかかる損害は危惧していても、自分自身の安全に対するリスクは毛頭考えていなかったのだろうか。その思慮の浅さは部長としては誉められたものではないが、やはり彼女は疑いようもない根っからの広報部員なのだと、呆れにも近い敬意を剣太郎は改めて感じた。それから、熟考と呼ぶにはやや短い程度の間を開けて、千明は彼の問いに答える。
「実はだね。あたし、親がいないんだよ」
「そうなんですか……って、ええっ?」
「物心ついたときには既に、今のお爺ちゃんお婆ちゃんたちに保護されててね。皆もあたしたちがどこの子なのか、さっぱり分からないんだとさ」
「えっ、えっ、ちょっと待って! そんな重大告白をさらっと済ませないでください!」
「言ってそんなに重大なことでもなくない? 「実は邪神を崇拝する魚人の末裔」とか「人肉を食べる怪物の取り換え子」とか、そんな背景と比べりゃ親が分からないくらい些細だって」
「比較の例えが随分名状しがたく冒涜的じゃありませんか」
物心ついたときから親の顔も分からない環境に置かれていたのなら、千明にとってはそれが当たり前の日常なのだろう。そして本人がその背景を苦にしていなければ、第三者が彼女へ同情を向けるのは見当違いだ。頭では分かっていながらも、両親と同じ屋根の下で暮らすことを日常とする剣太郎にとって、千明の家庭環境はとてもショックを隠し切れないものだ。だが、当の千明は剣太郎の反応に傷付いた様子もなく、むしろ彼の大げさなリアクションを楽しんでいる様子さえ見えた。
「とにかくだ。親がいないことに対しては別に、寂しいとかそういうのはないんだけどさ。その分興味が湧くわけだよ。「あたしたちの親は、一体どんな人なんだろう」って」
「は、はあ……」
「けど残念ながら、親の正体に至れるような手がかりはないし、調べる手段も分からない。だからその反動かな。「自分の出自が分からない分、他の分からないことは余すことなく解明したい」と思うようになったのは。まあ、命の危険が分かってるのに危機感の欠片も感じてないのは、流石にそれだけ知識欲が育ちすぎたかとは自分でも思うがね」
「…………」
住む世界が違う。剣太郎は心の奥底から思った。元より剣太郎自身は、何かしらの大層な目標を持って広報部に入ったわけではない。しかし自分の志の低さを差し引いたところで、千明との差異はほとんど縮まらなかった。処刑制度の真相究明や、学生時代の功績作りなど、彼女の目標はその程度のレベルには存在しない。以上の目標が「その程度」だと思えてしまうほど、彼女が目指す終着点は、通常の人間には思い至れない次元のものだ。あるいはそもそも、終着点など最初から視野に入れていないのだろうか。
とにもかくにも、千明が真実にこだわり続ける理由。それは彼女の根底に関わる、いっそ宿命とさえ形容できてしまうものだったのだ。その一端を垣間見た剣太郎の心臓は、きゅっ、と何かに掴まれるような感覚に襲われ――。
◆ ◆ ◆
在りし日の記憶に剣太郎がふけている間に、短くない時間が過ぎていたようだ。吹奏楽部が奏でる音色はひとまとまりのクラシック曲に切り替わり、夜闇が迫り始めた空は禍々しい赤に染まっている。あの日の彼女の横顔も、確かこんな色の夕日に照らされていただろうか。
剣太郎は帰路への歩みを進め、思い出から距離を取った。あのとき、心臓に覚えた感覚の正体が何だったのか、今の彼にはもう分からない。
(続き)
でも、そう思うのは一瞬だけ。
凛ーー部長ーーもそう思っているだろう。私を裏切っていなければ。
大抵の部員はーー7割ーーは生徒会が大嫌いだが、残りはどうかわからないから。
(一回ストップします、ごめんなさい)
誰もいない一つの教室の中。
そこには、風花 百合香がいた。
常に冷静、同時に冷血な彼女が。
そこに、一つの影が。色で例えれば、黒。
2字の言葉で例えれば、下衆。
「会長………お会い出来ましたねェ………」
そこには、痩せ細り、目にはくまが。
完全に狂人と化していた、片原 拓也が。
「………誰かしら?」
百合香にとって、どうでも良い手駒。
それどころか、足を引っ張るだけの塵の顔など、記憶する必要もなくなった。
「俺ですよ………生徒会、片原 拓也………へへへへ………」
「本当に覚えのない人ですから、立ち去っていただけないかしら。」
「覚えて………ないい?」
「ええ。」
「駄目じゃあないですか会長!」
拓也は机を蹴り倒し、百合香へ歩み寄る。
じりじりと、じりじりと、少しずつ距離を積める。
「俺のことを忘れちゃ、会長は駄目ですよ。
俺が、貴方のことを一番知っていて、貴方の理解者ですから。」
まさにストーカー。
拓也はやや後退りする、百合香へ歩み寄る。
色欲な目をして。
>>182続き
凛は、みんなの、この部活の、理解者だから。
復活派の人は皆、吹部の人が相談する。私もその一人。
「麻美。私、会長に訴えようかなー」
「え!?やだ!やめてよ!そうしたら、―――」
「そうしたら、何?」
「―――ううん、何でもない。でも、やめて。お願いだから」
ここにいるのが2人だけで良かった。
「でも、一回だけ言ったことあるよ?ここはいかれてるって」
……!嘘…!?
「じゃあ、何で吹部が潰れてないの?」
「そりゃあ、いきなり強豪が潰れたらおかしいからだよ」
それはそうですけど…ねぇ。あいつなら何かと攻撃しそうだからねぇ。頭いかれてるしー。
「今年のコンクール、終わったら何かしてきそうだねー」
「凛!嫌なこと言わないでよ。美雪だって、フルートソロ全国まで行って、大会がコンクール終わってからなんだから」
「美雪ちゃん、すごいよねぇ。今回、フルートとピッコロの持ち替えでしょ?」
「うん。とにかく、あいつに訴えるのはやめて」
「……はーい」
これなら大丈夫…かな。
―――美雪❅視点―――
部長、遅れすぎです……!
でも、あそこ完璧とか流石です!
これじゃ、褒めてんのか、けなしてるのか……。
まぁいいでしょう。
❅ ❅ ❅
部長が、一回あいつに言ったあ!?
ハァ、何してんの!?
あぁ、やばいやばいやばいーーーどうしよう!
一応、あいつの秘密、知ってんだけど本当かわからないからなぁ。どうしよう。
とりあえず、観察――情報収取――しますか。
何の特徴もない、普通のお寺の、お墓の前。
ほんの数日前も、私はここに来ていた。その時は形ばかりの親戚がいて、一応十回忌ということになっていた。で、今日は私だけ。好きなだけここにいることができる。
「でね、文芸部は部費ゼロなの。大変だけど、部長は楽しそうだったよ。すごいよね……」
あーあ、これって他人から見たら私、幽霊と話してるみたいかな。……まあ、それでもいいかも。幽霊、いたらいいのに。話せたらいいのに。
浮世とは無関係な幽霊ならさ、なんでも話せちゃうじゃん?言っちゃいけない陰口とかも、小さな誇りとかも。
「……やっぱ私、変だね。なんか駄目だ、もう」
もともと悲観主義な私だけど、それ以上にお墓前というこの場所は、私を更に暗くしてくれる。
でも、既に決めたことなので……
「守るよ、私。守りながら、壊すの。どの生徒とも違う方法で、私が壊す。……見守っててね?お兄ちゃん。約束なんだから」
宣戦布告、参戦布告。
あいつらは、みんな馬鹿。守りたいものが多すぎるのよ。だから混乱してる。ホントに、馬鹿。
私の守りたいものは二つだけ。それなりに優先順位をつけて、割愛して。
準備もそろそろ整う。大丈夫。私の方がよっぽど有利。
今現在対立している双方を、どちらも利用すれば……いける。大丈夫。
ゼラニウムの花が風に揺れ、私は少し微笑んだ。
❀ゼラニウム/geranium 真の友情、決意、君ありて幸福❀
>>184続き
「美雪ー!早く練習するよー」
「ハーイ……で、麻美先輩、ピアノ完璧にできるようになりましたか?完璧に、ですよ?」
「う………ま、まぁ…アハハハハ……」
乾いた笑いが出てくる…イヤー!!美雪!何故、完璧ではなかったとわかるんだ!?
麻美先ぱーい、県大会の決勝戦の時、若干テンポ遅かったんですよー。しかも、目立たない程度で1,2箇所間違えてましたし、フルートでカバーするの大変でしたよー。
お互いの思っていることが部長に伝わっている……と、2人以外の部員は思っているだろう。
「2人の思ってることは、わかるから早く練習しようねぇ?」
「「…ハァーイ」」
((部長、怖いです……!))
「1、2、3!」
静かに流れだすピアノの音。フルートの洗礼された音が聞こえてくる。
(ストップしまーす)
>>186続き
「うん、いいんじゃない?」
「そうですか?」
「部長、何で疑問形?」
「別にいいじゃん」
「「ふーん」」
「さぁ、復讐の開始だ」
誰もいない放課後。
一人の生徒が決断する。
自分の家族を、ある人に奪われたことを恨んで――。
>>187続き
「明日のコンクールについて話します。服装は長袖で制服。パーカスと男子は半袖。当たり前だけどローファー。午後なので9時から10時半まで練習。10時半から昼休み、11時半から楽器運び開始。12時45分には出発したいです。3時15分が本番です。2時47分からリハ、3時1分からチューニング。遅れないように行動してください」
「「「はい」」」
「じゃあ今日はこれで解散します。明日、遅れないように」
「鍵当番、トランペットだよ!部長!」
「えっ!?ヤダ」
「ダメ」
「……ジャンケンで決めるよー」
「今日は部長ですね」
「麻美、はいあげる」
「いらないです」
「道連れ」
どんだけ嫌なんだよ。じゃあ美雪も道連れ。
「美雪!あんたもね♪」
「え、嫌です」
逃げるの早っ!
「早くして、凛」
「ハーイ」
(>>183の続きとなります。間が空いてすみません;)
「おー、ここにおったんか! 探したで!」
スパーンと窓が開け放たれた音と共に、場違いなほど明朗な男子の声が百合香と拓也の間を分かつ。二人が音と声の発生源の方を振り向くと、そこには廊下側の窓から教室の中へ身を乗り出す倉敷良の姿があった。驚きのあまり、それまで百合香へ向けていた執着心はどこへやら。突然の乱入者の登場に拓也は言葉も出ないまま、ひたすら目を白黒させる。一方、百合香は良のこの登場方法に慣れているのか、あるいは彼女の肝が最初から据わっていたのか。大した驚きも見せないまま、いつもの愛想よい笑顔を良に向けた。
「あら、倉敷くんじゃない。何かご用かしら?」
「せやでー。でも今はお取込み中やったみたいやな。後で出直すわ」
「構わないわよ。私はただ、この部外者さんに絡まれて困っていただけだから」
「か……会長? 冗談言わないでくださいよ、俺とあなたの仲でしょう?」
「折角なら倉敷くん、部外者さんをここから摘まみ出してくれる? そうすれば邪魔者なしにゆっくりお話しできるわ」
「会長!?」
拓也の声など最初から聞こえていないというように、百合香は彼の発言に一切反応しなかった。よもや意中の生徒会長から、自分の存在を明確に無視されるとは思わなかった拓也は、その顔を真っ青に染める。
今まで長らく抱き続けてきた狂おしいほどの恋慕の情を、会員と役員という間柄もろとも呆気なく切り捨てられた。百合香のすぐ近くで発した悲痛な叫びも、彼女の耳には届いているはずなのに返事は全く返ってこない。そもそも先ほどから百合香は、自分の姿さえ視界から故意に外している。片原拓也という人間を間接的に、かつ徹底的に否定する百合香には最早、言葉通り取り付く島もない。そんな彼女の薄情な態度は、十分すぎるほどの絶望を拓也に叩きつけた。
どうして百合香に相応しいはずの自分が無視を受け、彼女と無関係同然のあいつが普通に認知されるのか。理不尽だ。不条理だ。不公平だ。こんなことはあり得ない。あり得ていいはずがない!
自分の想いを裏切られたと思い込んだ拓也は、しかしその憎悪を百合香ではなく良に向けた。この思考が公になっていたなら、あり得ないのはお前の八つ当たりだと十人中十人に指摘されていたことだろう。どちらにせよ、自分の一方的な感情を俯瞰視することもせず、拓也は通りすがり同然の良に殺意が籠った眼差しを向け――。
「何言うてんねん。こいつ、百合香ちゃんとこの役員やろ? 全然部外者やあらへんがな」
「そうなの? 学園に迷惑をかけるような子なんて、生徒会に入れた覚えはないのだけれど」
「ひっどいなー。そんな『お前なんぞうちの子ちゃうわ』みたいな、おかんの定番台詞っぽいこと言わんといてな。二年坊が可哀想やろ。なあ?」
「……へ?」
敵視した相手から返されたのは、同情の態度と援護の言葉。予想外だった良の反応に拍子抜けした拓也は、思わず彼の顔を二度見する。その視線に気づいて向けられた笑みには、やはりマイナスの感情は一切感じ取れない。意外な人物が自分の味方についたという事実に、拓也は戸惑いを隠すことができなかった。
一方百合香は、自分が定めた邪魔者の定義を他者に否定されたためだろうか。彼女の貼り付けられていた笑顔が、僅かだが不服そうに萎んでいた。
(続く)
(続き)
「誰にでも優しく接するのは良いことだと思うわ、倉敷くん。でもね、その部外者さんみたいに悪いことをした自覚のない人は、甘やかしても反省せずに付け上がるだけよ」
「厳しいなあ百合香ちゃんは。でもこの二年坊、言うほどの悪いことはしてへんのとちゃう? あの暴力事件は結局デマやったんやし、ストーキングかて百合香ちゃんのことが好きやさかいに暴走してしもただけやろ」
「言い返すようで申し訳ないけど、それが甘やかすということなの。もし本当に彼のことを思うのなら、これ以上周りに迷惑をかけないように、処刑制度によって更生させるべきよ。分かるでしょう?」
「勿論分かっとるで。でもまさか百合香ちゃんが『心苦しいはずの処刑を自分から進んで選んでまう』とはなあ? てっきり『優(やさしゅ)うて慈悲深い生徒会長さん』やったら、『救いようのないゴミムシにも手え差し伸べる』もんや思うとったけど」
「…………」
良の台詞には、確かに一理ないこともない。人間として理想的な百合香は、人柄も同じく理想的。ゆえに、本来なら例外なく迫害されるべき処刑対象に対しても彼女は逐一心を痛めている――というのが、百合香を肯定する者たちから見た彼女の評判だ。拓也の処刑を止めたがっているように聞こえる彼の言葉は、そんな体裁の崩壊を危険視したがゆえの意見なのだろう。
だが、既に全校生徒の大半が百合香に対し妄信、盲従している現状では、体制崩壊の心配など些事に過ぎない。にもかかわらず、わざわざ提唱された良の発言は、百合香の裁定に異を唱えたようにも取れる。その点に着目すれば、逆に良こそが処刑対象となり得るのではないだろうか。
どちらとも取れる彼の発言の真意は一体どちらなのか。量るような眼差しで、百合香は良の表情をじっと見る。だが、そんな観察眼に気付いていないような素振りで、良は窓枠から教室内に侵入すると、おもむろに拓也の体を羽交い絞めにした。
「ま。なんやかんや言うてもうたけど、その辺の最終裁定は任すわ。いくら優しい会長さんでも無慈悲な決断を迫られるときかてあるし、どの道百合香ちゃんが二年坊を迷惑思うとるんは不動みたいやしな。っちゅうわけで」
「ちょっ、おい!? 何してんだテメエ! 離せ! 離せっつってんだよ!!」
「はいはい、お前はちょーっとクールダウンしよか。ほな百合香ちゃん、俺は二年坊を隔離してくるさかい、あとはゆっくりしとってな!」
「勝手に決めんじゃねえ! 俺はまだ会長との逢瀬の途中だって……!」
ぎゃあぎゃあと喚く拓也をよそに、良は彼の体を引きずるようにして教室から後ずさっていった。甲高い叫び声が教室までの距離と比例してフェードアウトし、しばらくするとようやく辺りに静寂が戻る。そうして自分一人だけが残された教室の中、百合香は思い出したようにぽつりと呟いた。
「……そういえば倉敷くん、結局なんの用事だったのかしら?」
◆ ◆ ◆
ところ変わって、元いた教室からは遠く離れた男子トイレ。百合香から強制隔離された拓也は、出入口の前で立ち塞がる良と押し問答を繰り広げていた。ここの扉は内側から見て内開きであるため、彼が退かなければ拓也はトイレから脱出できないのだ。
一刻も早く教室に戻らなければ、会長が気長に自分の帰りを待っている保証はない。そう焦る拓也は意地でも目の前の障害を突破しようと、死に物狂いで良に掴みかかる。だが、そんな彼の憤りなどどこ吹く風といった風に、良は通せんぼを続けたままヘラヘラとした笑顔を浮かべていた。
(続く)
(続き)
「とっとと退けや! 会長が帰っちまったらどうすんだよ!?」
「んなこと言うたって、もうとっくに帰っとるんちゃうん? とにかくまずはクールダウンしいや。顔と脳みそが一足早い猛暑状態になっとるで」
「うっせえ!! お前に会長の何が分かるってんだよ! 会長が俺を置いていくわけねえだろ!?」
「いやいやいやちょい待ち、言うとること支離滅裂やで二年坊。百合香ちゃんがお前を放置せん言うなら、急いで戻る必要なんぞあらへんやん」
「そ、そりゃあ……」
「大体、今百合香ちゃんとこ行ったって、どのみち反応されんと置いてかれるんちゃうの? さっきかて百合香ちゃんに徹頭徹尾シカトされとったし」
「………」
拓也の脳裏に、先ほど見た百合香の端正な横顔が想起される。良が教室に乱入してから、百合香はずっと彼の方を向いていたため、必然的に彼女の正面顔を見ることができなかったのだ。額から鼻筋、唇にかけての輪郭は、美術室に置かれている石膏胸像のように完璧で。しかしその美しい記憶は、自分が明確に百合香から見捨てられたことの証明で。そんな百合香の態度を目の当たりにした直後の拓也には、いつものように激情に任せて暴力を振るうことはできなかった。彼ほどの盲目さを以てしても、百合香からの無関心を否定することは難しかったのである。
最早自力ではどうしようもできない現実を実感し、拓也は悔しそうに黙りこくる。一気に鎮静した彼の様子に、それまで暢気だった良も流石に気まずさを覚えた。
「あー……なんか、堪忍な。図星やったか」
「図星とか言うな、俺が惨めみてえじゃねえか……!」
「え、今の状態はどう見たって惨めとちゃうの?」
「お前は俺を慰めたいのか貶したいのかどっちなんだよ」
「勿論慰めたいに決まっとるやん。お前をここまで引きずってきたんもそのためやし、ちゅうかそもそも俺が用事あったんはお前の方やしな」
「は?」
てっきり百合香の方に用事を持ってきたものと思っていた拓也は、不覚にもぽかんと口を開けた。自分は良が熱心な美術部部長であることくらいしか知らないし、向こうも自分のことは暴力事件のデマを流された被害者(実際は加害者だが)だということしか知り得ていないはずだ。お互いに接点など皆無であるはずなのに、こいつは自分に一体何の用があるというのだろうか?
全く思い当たる節がなく、クエスチョンマークを頭上に浮かべる拓也。そんな彼の疑問に答えるように、良は台詞を続ける。
「単刀直入に言うて、お前と百合香ちゃんに脈ないのは見え見えやん?」
「ハッキリ断言すんな! そ、それにまだ脈なしって確定したわけじゃねえだろ!?」
「諦めへんなあ。ま、その辺の追究はええわ。脈あっても結ばれんときは結ばれんし。どっちにせよ二年坊的には、百合香ちゃんと結ばれる一択しかあらへんのやろ」
「当たり前だ! で、それとお前となんの関係があるってんだよ」
「んな勘ぐらんでもええて。単純に俺の頼み聞いてくれたら、百合香ちゃんと結ばれるようお前の恋路を応援したるっちゅう簡単な話やさかい」
「応援だあ?」
正直いらない。それが良の提案を聞いた瞬間、拓也の頭に浮かんだ感想だった。相手が読心術や心理学のプロであるならまだしも、空気の読めなさに定評のある良が恋慕の橋渡しをするのでは、その限界など高が知れている。むしろ良が何かしらの失態を犯し、自分の心証を悪化させられる可能性の方が大きい。
とは言うものの、どの道拓也には良の提案を蹴るという選択肢はなかった。百合香から完全な無視を決め込まれている現状では、自分一人で行えるアプローチなど皆無に等しい。それなら博打を打つことになってでも、百合香との接点がある良の協力を得た方がまだ希望があるのではないだろうか。そう拓也は判断したのだった。
そうなれば、残る問題は良の頼み事だ。自分が叶えられる範疇の交換条件ならいいが、無理難題を押し付けられた場合は涙を飲んで協力を諦めるか、あるいは無理をしてでも条件を飲むしかない。一体この男は自分に何を求めているのか。その内容が容易なものであることを祈りながら、拓也は訝しげに口を開いた。
(続く)
(続き)
「……お前の頼みってなんだよ。金か? 使い走りか?」
「みみっちい予想やなあ。そんなんやのうてな、二年坊には俺の絵の題材になってほしいんや!」
「題材? 俺の絵を描くってことか?」
「間違(まちご)うてへんけどニュアンスがちゃうな。俺が書きたいのはモブ顔の肖像画やのうて抽象画やねん」
「誰がモブ顔だ失礼な! ってか、なんで俺で抽象画なんだよ」
「今度は恋愛をモチーフにした絵描きたい思うとったんやけどな、俺じゃあ恋はピンと来(け)えへんし、そんじょそこらのリア充程度じゃ描き甲斐があらへん。てなわけで、ストーキングしてまで百合香ちゃんを慕っとるっちゅうお前に白羽の矢を立てたわけや!」
「あー、そういうことかよ。俺の恋路を手伝うってのは、お前の作品を作るための参考にする意味もあるってことだな?」
「その通り! 難しい条件ちゃうし、二年坊にとっても悪い話やあらへんやろ」
「……仕方ねえなあ! そんなに言うなら、絵なんていくらでも描かせてやるよ。その代わり、ちゃんと俺と会長が結ばれるように手伝ってくれよな?」
「おう! 合点承知の助や!」
確実性はないにしろ、自分の感情を絵の題材として提出するだけで、百合香との恋愛成就の確率を上げることができる。藁にも縋るような状態であった拓也にとって、良の交換条件は美味しい話であった。こうして狂った狂信者といかれた芸術家は、利害の一致により互いに手を組むことになったのである。
「……なんか今、不穏な計画が始まった気がする」
「厨二発言はやめようね?」
「違う! 絶対そうだって! 嫌な気配がどこからか
「その前に挿絵でしょ。入れるの、入れないの?」
「入れたいよ! 当然っしょ! でもオリは無理だって!……あ〜もう」
……はい、毎度おなじみ恵里と亜衣です。部活中です。
そして現在、絶賛挿絵画家捜索中。ま、部誌にかかわる話ってことで。
「……なんていうか、文芸部がこんなに大変だとは思ってなかったよ」
「だねー。でもさ、野球部とかの体育会系よりはマシかも」
えー、文字オンリーの部誌は読みずらいという理由で、数年前から挿絵を入れることになったらしいです。当然、挿絵を描いてくれる人は自分で探すわけですが……。
無名の新人である私たち1年に描いてくれる人などそう多くはいません。まず、プロの方々など到底不可能。自分で描ける部員はほぼゼロ。
そうなると、インターネットで著作権フリーのものを探したり、知り合いで描ける人に依頼したりになるわけです。あ、作品共有サイトで探すのもアリだと聞きました。
部誌をつくるのはだいぶ先なんでまだ決めなくてもいいのですが、こればっかりは時間を要するので、今のうちに検討しています。
家といい部活といい学校といい……。ホントに忙しすぎて!
『反抗期してられるほど高校は楽じゃない!』
『俺の青春は充実してるよ!いろんな予定でな(涙)』
『進学校にはリア充が多いやと!? んなのデマや!少なくともうちは違うで!』
学園の掲示板にあった書き込みたち。深く共感したのは、私だけではないはず。
「あ、恵里。明日って空いてる?」
「……うーん、たぶん」
「ならちょっと付き合って」
「……どこへ行くつもりで?」
「知らない」
え、ちょっと何それ! 自分から誘って行先不明!?
疑問を亜衣にやわらかーくぶつけると、意外と嬉しいお誘いだった、私にとっては。
「や、なんてゆーか……彩姉に呼び出された。恵里も一緒にねって」
「それ……本当に?」
「うん。マジで」
亜衣と仲良くてよかったと、その時私は思いました。
理由は……亜衣のお姉さんの仕事と私の趣味を考えて見てください。
>>171 の続き、です。でも、私が書きたいことを書いただけなんで、本編との関係がうっっっすいです。
番外編とか舞台裏とか、そんな気持ちで見てくれると嬉しいです。流し読みでもノープロブレムです。
.゜・ ☽。゜.
2.ヒポクラテスの月は綺麗?
「……」
「………」
「…………………。」
(……暇だなぁ)
本当に、ものすごく、暇だ。
それに加えて、途轍もなく眠い。
こんなにも眠気が私の強敵となっている。大変大変、緊急事態だ(真顔)。
今までの梅雨の冷気は嘘のように消え、体にゆるく絡むような温暖な気候があたしたちの周りに漂っている。
加えて今は、給食後の英語の授業。生徒を気にしているのか疑いたくなるような、黒板しか見ていない教師の授業、真剣に聴くのは……せいぜい4割かな。
しかも皮肉なことに、あたしの席は窓際の一番うしろ。居眠りし放題の特等席ってワケ。
……いや、しませんよ?
一応授業中ですしね? 今までもしたことないですよ?
それに、居眠りだなんてあたしの矜持が許さないよ、Maybeだけど。
「レイちゃんレイちゃん。これ、ちょっとスペル教えて。あと熟語もヘルプしてくれると嬉しいっ」
「え、あ、うん。どれ?」
隣に座る若葉に声をかけられ、我に返る。セーフセーフ、すごいボーっとしてた。
「――あー! 今初めて理解したよこの文章! 助かったぁ、ありがと!」
きちんと授業を受けている、ようでちゃっかり塾の宿題をやってしまえるのがコイツだ。要領の良さで努力を半減できちゃう、得なタイプ。
「……あ、ね、若葉」
「……」
「わーかーばーさーーーーーーーん?」
「………あ、何?」
どうやら本当に聞こえなかったようだ。してやったり、みたいな表情ではない。
「……難聴だねぇ」
「なわけあるか、このキチガイ野郎ッ‼」
――ペシンッ
あまり遠くへは響かないが、それなりに威力のある音。
平たく言えば、若葉が私の右腕をたたいた音。地味に痛いし、ジンジンしてるよ……。
「……若葉、痛い」
「私はイタイ人じゃないよー」
涼しい顔で言い放つ若葉。
とりあえず言い返す。
「あたしの腕が、痛いの」
「そっか。でもねレイちゃん、理不尽なことがたくさん起こるこの世で生きていくためには、他人よりも自分を優先することも大切なんだよ?」
なにやら英語の授業中に、名(迷)言を言い出した。
内容は分かるが、いきなりどうしたんだ。
「……つまり?」
「レイちゃんが痛くっても、私は私自身が痛くなければそれで問題ないんだよ*」
あどけなさの残る顔いっぱいに笑顔が広がる。天使とかほころびる蕾とか、そんなイメージ。
だが、その表情に隠れる本音は……アンタは魔王か、それとも悪魔なのか!?
あーもう、ここまで腹黒いと逆に清々しさを感じるね。
さいですか、と適当に話を打ち切った。
眠気と暇はどこかへ消えていた。ま、こんな風に無駄な時間が流れていくのが、中学校生活なんだと思う。
……不満を言ったらきりがないけれど、それでもあたしは十分幸せな人間の部類に入ると自覚してる。
なんだかんだいって、楽しいんだ。
あの日までは、の話だけどさ。
「あ、で、何?」
若葉がそう聞いてきたのは、放課後のこと。
「へ、何が?」
「5時間目、私になんか言おうとしてたでしょ?」
……ああ、アレか。
「別に、暇つぶしで聞こうとしただけだし、いいよ」
「えー? 結構気になったんだけどなぁ」
ふてくされたように頬を膨らませ、追求してくる。
とはいってもなぁ、本当にどうでもいいことなんだよね。
「……若葉は知ってるよね、『ヒポクラテスの月』」
「え? あ、あのよくわかんない三角形? 一応知ってるよ」
「それ、どう思う?」
「どうって、意味不明だなぁとか、証明ってどうやるんだろうとか、それくらい?」
何を言っているんだろう、と小首を傾げる若葉。
最初から最後までを説明すると長くなるので、あたしは簡潔にまとめた。
「『ヒポクラテスの月』が綺麗とかいう変人がいてさ、ちょっと気になっただけ。――あたし鍵当番だからもう行くね」
またいろいろと聞かれると面倒なので、あたしはその場を後にした。
あたしがラクに話せる数少ない友人である若葉は、そのまま手を振ってくれた。
た、タイミングが……
198:文月かおり ◆CDE:2017/09/15(金) 22:51>>197 ……?
199:文月かおり◆DE:2017/10/09(月) 20:12>>197 あ、い、いつでも!大丈夫です!
200:ABN 六月第一月曜日/講堂→E組教室:2017/11/28(火) 22:25 見慣れたブレザーが姿を消し、夏用の指定シャツが目新しくなった、六月最初の白羽学園。その日の全校集会は、ある一人の生徒の訃報から始まった。
「既にご存じの方もいらっしゃるかと思いますが……。先日、二年生の木嶋京子さんが、入院先の白羽病院でお亡くなりになりました」
百合香が神妙な顔でそう告げると、生徒たちの間にどよめきが走る。以前の失踪事件と少し前のニュースによって、京子の名前が不特定多数に認知されていた分、動揺する生徒の数もひとしおだ。その中には、かつて白羽病院を訪れた麻衣も含まれていた。ついこの間、自分があの場所にいたときには、少なくとも生きてはいたかつての同級生。彼女が帰らぬ人となった衝撃は、まだ若い麻衣にとっては強烈なショックだったのである。
そんな麻衣を含め、同じ白羽学園生の訃報にざわめきを抑えられない生徒たち。しかし百合香がスッと手を上げれば、すぐさま彼らは口を閉じ、彼女が立つ演説台に視線を向ける。
「木嶋さんが発見されたニュースを聞いたときには、例え時間はかかっても、彼女にはもう一度学園に帰ってきてほしいと思っていました。しかしそんな願いが叶うことなく、このような形でのお別れとなってしまったことが本当に残念でなりません。せめて皆さん、彼女のために黙祷を捧げましょう」
彼女の言葉に促され、生徒たちは無言で俯く。麻衣も彼らに倣い、黙って目を閉じた。今に限っては百合香の演説も響かない、しんとした静寂。いつも以上に張りつめた空気が麻衣の胸中に呼び寄せたのは、哀悼ではなく後悔の念だった。
当時は京子が衰弱していたため早々に諦めたものの、あわよくば彼女が回復次第、革命仲間に引き入れられればと思っていたのだが。しかしその可能性は、京子の顔を見ることもなく潰えてしまった。
もしあのとき、いばらの反対を押しきってでも京子に面会していれば、彼女を自分たちの仲間に引き込むことができただろうか? それが無理でも、失踪事件の真相、延いては百合香の目的や本性に繋がるような手掛かりを得ることはできたのではないか? 会話すら難しい状態だったとしても、京子の状態そのものから分かることがあったのではないだろうか?
次々と膨れ上がる後悔に耐えかねて、麻衣はふっと目を開けた。しかし黙祷時間の一分はまだ経過していなかったようで、周りの生徒たちはまだ下を向いている。一足先に顔を上げてしまい、人知れず気まずさを覚え。だが一度やめた黙祷をやり直すというのも何となくばつが悪く。とりあえず時間まで頭だけは下げておこうと思ったそのとき、斜め前方に自分以外にも頭を上げている人物を見つける。
「……?」
生徒から教師まで、講堂にいる全ての人間が俯く中。一人だけステージ上の女王を見上げていたのは結城璃々愛だ。彼女と麻衣の立ち位置上、こちらが頭を上げたことに向こうは気づいていないらしい。百合香のお気に入りである彼女なら黙祷を無視しても大して咎められないのだろうが、それはそれとして人の死を悼む素振りも見せないのは不謹慎だ。――と思ったところで、麻衣は璃々愛の表情筋が歪んでいることに気付く。
横顔が覗く程度の角度からであるため、彼女の表情の全容は分からない。それでも、璃々愛の口角が異常に吊り上がっている様はしっかりと確認できた。かつて京子に手酷くいじめられていた璃々愛からすれば、彼女の死はこの上ない吉報なのだろう。普通に考えれば笑みの理由はそれで結論がつく。しかし麻衣の推測はそこで止まらず、ある一つの疑念を胸中に抱いていた。
(続く)
(続き)
病院で聞いたいばらの話だと、京子が失踪する前日、璃々愛は彼女を呼び出していたという。その呼び出しが、一連の失踪に関係しているとしたら?
彼女の残忍さを鑑みれば、復讐のための抹殺程度なら璃々愛は容易く実行するだろう。もしそうだとしたら、当時の璃々愛はなぜ京子を呼び出したのか。そしてその一件が、どのように失踪事件と繋がるのか――。
「ありがとうございます。お直りください」
講堂に再度響いた百合香の声で、不覚にも麻衣は肩を跳ねさせた。今度こそ黙祷開始から一分経過し、周囲の生徒たちがぞろぞろと頭を上げていく。璃々愛を凝視していた様子を誰かに目撃されていないかどぎまぎしつつ、一先ず佇まいを直すふりをした。
「さて。悲しいお知らせはこのくらいにしておいて、そろそろ本題に入りましょう。今月の中旬には期末考査が控えていますね」
期末考査。その単語が挙がった途端、苦々しい空気が講堂内に満ちた。勉学が義務とされる学生にとって、テストというのは不可避の恒例行事である。だがテストに意気揚々と挑む生徒というのは、どの学校でも少数派の存在らしく。会長の手前、不平不満をあからさまに見せることこそないものの、やはり生徒たちの全体的な気落ちは否めない。そんな彼らの盛り下がりは、次の百合香の発言によって大きく変動することになる。
「最近、D組とE組の成績が低下しています。クラス分けの基準が成績である以上、学力に差がつくこと自体は仕方がないでしょう。しかしそういった事情を差し引いても、やはり二組の成績は白羽学園に相応しいと言えません。ですので、今回の期末考査では――」
――規定の点数を修得できなかったD組とE組の生徒には、夏期休暇全返上の補習を受けていただきます。
京子の訃報のときとは比べ物にならない大きな喧騒が、講堂中に沸いた。
◆ ◆ ◆
「ふっざけんじゃねえぞ、あのクソ会長!!」
全校集会が終了し、E組の教室へ戻った晃の開口一番がそれだった。叫び声に近い怒号に他の生徒は顔をしかめるも、その内容自体を咎める者は出てこない。口や態度には出さずとも、彼らの意見は晃とほぼ同じなのだ。そして麻衣も例に漏れず、百合香が宣言した通達を思い出して青色吐息を吐いた。
「規定点数とやらを取れなかったら夏休みなしとか……絶望的だわ」
「全くだ! 学生にとっての夏休みがどれだけ貴重か分かってんのか!? いや分かってるからこそやってるんだな! 畜生かよ!」
「……夏休みを満喫するのもいいけどね。私たちにはもっと大事な問題があるでしょ」
海水浴や夏祭りなど、夏という季節は精力的な行事が待ち構えているものだ。しかし麻衣や晃などに限っては、そんなイベントに現を抜かす暇はあまりない。約一ヶ月間はある自由時間の中で、いかにして反逆の準備を整えるか。そのために麻衣は今年の夏休みをできる限り費やすつもりだった。
それなのに夏季休暇全返上の補習などを受けていれば、準備のための時間は大幅に削られてしまう。しかも学園にいる間は、百合香の息がかかった者の目を常に向けられる可能性もある。より確実な反逆のためにも、そんな事態だけは避けなければならない。
「今回のテストは一件はD組やE組の嫌がらせの他に、私たちの監視も兼ねてるのかもしれないわ。一体こんなこと、生徒会の誰が考えたのよ」
「どうせ結城か会長辺りだろ。つうか夏休みなしって俺たちもだけど、先生にとっても問題じゃね? 労働基準法とか言うのに引っかかりそうなもんだけど」
「裁判所も警察も通用しないここで、現代社会ですら守られてない法律が通ると思う?」
「……だよなあ」
晃と同じ考えに至った教師は少なくないだろう。だが、一般生徒と比べれば幾分か立場が上である彼らも、結局は百合香に逆えない学園内弱者である。異議を唱えても即座に却下されるか、最悪の場合麻衣たち同様処刑対象とされる可能性もある。つまるところ夏休みが欲しければ、D組E組の生徒全員が規定点数をパスするしか解決策は存在しないのだ。
再び溜め息をついた麻衣に続くようにして、晃もがくりと肩を落とした。今の彼らにできることは、現時点では未発表である夏休みへのハードルが少しでも低くなるよう祈ることくらいだ。
ニートの正念場が近づいている。そう夏休みだ。
「まあ、つまらん持論だがな」
虚ろな目で祭壇を見つめている男が語りかけるようにいう。彼は何日も寝ていないからだ、幻覚を見ている。だが疲れはしない。疲れは恨みが取り去るからだ。
血で塗りたくられた写真、引き裂かれた写真、壁という壁に釘で打ち付けられた写真、穴を空けられた写真、そして燃え尽きた写真。その写真に写っているのは生徒会長、風花百合香である。彼はこれを飽きずに行う。
「これをあの女の末路にしてやる」
と呟きながら。
【お久しぶりの亜衣と恵里。今回は亜衣視点です】
「ヒナちゃん、泣かないでよ。大丈夫だって、ね?」
「うぅ……でも、っく、夏休み……っ、なくなっちゃ……」
「でもほら、勉強すれば合格できるハズだって。会長サンもそこまで冷たくないよ!」
「ウチらはDだから、Eよりはマシ。思わない?」
うっわー……。
「てかさ、夏休み返上したら教師もきついじゃん」
「だな。フツーそうだろ」
「……テストのレベル下げてくんねーかな」
「お、めっちゃ名案じゃん!」
「だろー!?」
なんか……。
「D組ってさ、割とみんなポジティブなんだね」
うん、そうですね……。
恵里の言葉にあたしは全力で共感した。ホント、なんであんな楽観的なんだろ。
あの生徒会長のことだから、鬼レベルに決まってる。先生に圧力かけて問題を激ムズにする、とかだってやってしまいそうな人なんだから。
そうよ、それこそ基準がとんでもなく高い――B組の人だって苦労するような点数なのかもしれない。なにしろ、会長さんってば史上最高の天才と名高い(らしい)御方なんだもんね。勉強に関する悩みなんて、ないんじゃないかな。
「それでさ、亜衣。夏休み……どうしよう?」
亜衣が小声で聞いてきた。そうでした、今はふざけてる場合じゃないんでしたね。
「先輩はA組だから大丈夫でしょ? 私たちが受からないと、話し合いできないよ」
恵里の不安そうな顔。顔色はあんまりよくないし、目が小刻みに揺れている気がする。
「ん、わかってる……でも、今回ばっかりは頑張らないとどうしようもないよ。テストだし」
「うん、だよねぇ……私、クリアできないと思う……」
「恵里がダメならあたしも無理。点数同じくらいだもん。あーあっ、なんでこう、上手くいかないかな。やっとイイ感じになったと思ったのに」
ちょっとだけ、という条件つきで協力してくれる助っ人が見つかって。
会長さんの事を知っている人も見つかって。
嬉しいなって、そう思った矢先にコレだ。
運が悪いとしか思えない。
「しかも……もう、会えないんだよね……木嶋京子、先輩」
「……うん。本当に、ビックリした」
そう。1番ショックなのが木嶋先輩の訃報だ。
あたしだけじゃなくて、恵里も、おそらくは板橋先輩も松葉先輩も、仲間になってほしかった人。
直接的関係は無いけれど、それでも。
少しでも知っている人が亡くなるのは……かなり、堪える。
先行きの見えない、そんな6月は始まったばかり。
どうなるのかなんて、誰にもわからない。
誰かが何処かで笑った気がする。
「面白くなってきたね」って。
(生徒会メンバーを確認がてら全員登場させたら、これまでで一番の長文になってしまいました…。恐らく無駄な文が多いかもしれません、すみません;)
「先生の皆様。今回は、私たち生徒会が立案したプランにご賛同いただき、誠にありがとうございます」
部屋の形に沿って、直方形の形に並べられた長机。その上座側に立つ百合香がうやうやしい台詞を並べ、優雅な動作で頭を下げる。続いて下座側に並ぶ教師たちも、彼女に倣うように深々と一礼した。
現在ここ会議室は、職員会議の会場として使用されている最中である。本来なら生徒の立ち入りは原則禁止されているのだが、その生徒が学園内の最高権力者である生徒会長であれば話は別だ。加えて今回は、彼女ら生徒会が考えたある計画が議題に挙がる予定でもあったため、生徒会役員数名の入室及び会議への参加が特別に許可されたのであった。
「いや、いや。生徒会長もご多忙の身でありるでしょうに、わざわざ職員会議にまで足を運んでくださって本当にありがとうございます」
「それほどでもありませんわ。生徒の皆様の成績に気を配るのは、学園の上に立つ者として当然の務めですから」
「さ、流石生徒会長! 一介の生徒に留まらぬその素晴らしき姿勢、我々教師陣も見習わなければなりませんな! ね!?」
百合香の身長より低い位置にある頭をさらにペコペコと下げながら、小太りの男性教諭は積極的に彼女を持て囃す。加えて彼のおだて文句に花を添えるように、他教師たちからの喝采が会議室に湧いた。賞賛の渦中にいる百合香は相変わらずの微笑みを浮かべながら、台詞以外に謙遜の態度を見せることはない。
たった一人の女子生徒を、全教師が囲んで過剰に誉めそやす。彼らの光景は、白羽学園における生徒会長と教師間のヒエラルキー崩壊をありありと表現したような有り様であった。残念ながらこれらの異常性を指摘できる蛮勇の持ち主は、この場に存在しなかったが。
「……先生、会長を持ち上げるのも構いませんが、そろそろ本題に入りませんか?」
「ああ! すみません神狩書記、私としたことが……! ど、どうぞ続けてください」
「全く。それでは皆さん、先ほど配布した資料の内容をご確認ください」
教師たちによる賞賛の嵐を、美紀が冷たい声色でぴしゃりと制する。豪雨のようだった拍手が止み、小太り教師が萎縮したのを確認すると、教師たちに配ったものと同じ紙束を手に取った。一枚目の中央には、大きめのゴシック書体で資料タイトルが印されている。
――『下位学級学力補完計画』。
漢字のみで組み立てられた題名は一見厳格さを覚えるが、要は百合香が全校集会で宣言した、D組とE組が対象となる無茶振り考査のことである。集会当時、「規定の点数をクリアしなければ夏休み全没収」という簡易的だった説明要項は、複数枚のプリントに渡る長い文字列に清書されていた。そんな資料の一枚目を全職員がめくったタイミングで、美紀は説明を続行する。
「最初のグラフを見てもらえば一目瞭然ですが、D組とE組は他三組と比較すると、平均点が著しく低いことが分かります。学力別でクラス分けを行っている以上、下位に属する生徒が出てくることは仕方がありません。しかしそれを加味しても、これは白羽学園の一員としてあるまじき成績です」
美紀の目線が、下位二組の授業を担当する教師たちにちらりと向けられる。彼女の無感情な目差しを、自分たちの教育方法に対する無言の叱責だと捉えたのか。教師たちはいたたまれなさそうに俯いて美紀から視線を逸らした。そんな彼らの胸中はいざ知らず、美紀はこのグラフの作成者である椎哉に次の説明を一任する。
「では、上位三組と下位二組の差を作っている要因は何なのか。統計と分析の結果、僕たち生徒会は一つの結論を導き出しました。『D組とE組には、白羽学園生としての自覚が足りない』のだと」
「白羽学園生としての、自覚……?」
「おや。この学園で教鞭を取っている先生方が、そんなことも分からないと?」
「い、いいえ!? 滅相もございません、十二分に承知しています!」
「……ならば構いませんが、ね」
ぽろりと疑問符をこぼした女性教師に嫌味な笑みを送れば、鬼教官を前にした二等兵兵士のように背筋を伸ばして緊張する。どうやら教師たちの畏怖は百合香だけではなく、彼女が直々に統べる生徒会自体にも及んでいるらしい。師としての威厳が欠片も見えない女性教師の無様さを、椎哉はフッと鼻で笑った。
「白羽の名を背負う生徒たる者、ただ高い成績だけを修めればいいわけではありません。定められた規律を重んじ、隣人を思いやり、正義と平和を何よりも尊ぶ。そういった方こそが、白羽学園生として最も相応しい生徒なのです。……そうでしょう? 北条副会長」
「素晴らしい。満点の模範解答だよ、安部野くん」
正しく絵に描いたような、理想的な椎哉の回答。それを聞いた智はパチパチと軽い拍手を送りながら、満足げな笑顔で二、三度俯いた。
「その点、今のD組とE組は残念ながら、白羽学園生の理想像には程遠い。D組の生徒は勉強より処刑活動に力を注いでしまっているし、E組に至っては最下級であることに甘んじて、勉強そのものを諦めている生徒も多い。だからこそ下位の二組には改めて、白羽学園生としての自覚を持ち直してもらわなければいけない」
「……それが、今回の学力補完計画ということですか?」
「その通り。勿論、学力の上昇も目的の一環ではあるけれどね。具体的には……」
教師の正答にたおやかな笑顔を浮かべながら、智は百合香に目配せを送る。以降の重要な説明を託された彼女は、今一度目前に並ぶ教師たちの顔を一瞥すると、おもむろに口を開いた。
「勉学における向上心が見受けれない方……つまり、考査当日に欠席したり、考査の途中で退場したり、答案を白紙で提出したりした生徒は、いかなる理由があっても全員処刑対象に定めます」
「!?」
一拍の絶句。そして間を置かず、教師たちの動揺が会議室に溢れ返った。
努力しない生徒を罰すること自体は分からなくもない。しかしその罰が処刑というのは度が過ぎているのではないか? また、やむを得ない事情で欠席や考査を放棄した場合はどうするのか? そして処刑対象が大量に選出された場合、生徒間ヒエラルキーのバランスに問題はないのか?
教師たちの疑問や抗議は、常識的な観念から見れば当然の声だった。だが彼らの正当な主張も、百合香の決定を盲信する悪魔にとっては煩わしい騒音に過ぎない。
「アンタたち勘違いしてない? そもそも処刑制度ってのは、不真面目な奴らを反省させるための決まりでしょーが」
「確かにそうだが、それとこれとは話が違うだろう! 一度考査に参加しなかっただけで即処刑なんぞ、いくらなんでもやり過ぎじゃないのか!?」
「じゃあ全員参加するようにアンタたちが頑張ればいいじゃん。例えば病気や喪中の生徒でも、教室まで無理矢理にでも引きずっていくとかさ?」
「結城!! お前、人としてやっていいことと悪いことが――」
「そうだ、かいちょー! どうせなら考査サボった奴の担任も連帯責任ってことで、まとめて処刑対象にしちゃおう?」
「あら、いい考えね璃々愛ちゃん。確かに生徒たちだけじゃなく先生方にも、白羽学園の一員として自覚を持ってもらった方が公平だわ」
「!?」
墓穴を掘った。璃々愛に口答えをした体躯のいい教師の顔には、後悔の二文字が大きく書かれていた。
昨今のアクの強いバラエティ番組でも、これほど非情な罰ゲームは行わないだろう。しかしどんなに冗談染みた意見でも、百合香が一度賛同してしまえば、それは決定事項とほぼ同義になるのだ。追加発案の巻き添えを食らった下位組の担当教師たちが、璃々愛に抗議した大柄教師を恨めしげに睨んだのは言うまでもない。
「じゃ、そーいうわけだから。先生たちもせいぜい頑張ってねー♪」
「いじめるのもその辺にしておきな、璃々愛さん。罰則の内容だけ決めたって話は進まないんだし」
「はいはーい」
不服そうに口を尖らせながら、生返事を返すと共に教師いびりを渋々切り上げた璃々愛。生徒会の中でも突出した奔放さを見せる彼女に、真帆は辟易の溜め息をつきながら議題を本題に戻す。
「さて、考査に参加しなかった人の扱いは一旦置いといて。次は合否判定の規準や、不合格だった生徒の処遇などについて説明します。二枚目の資料を見てください」
彼女の台詞を合図に、紙を一斉にめくる音が会議室に再び響く。他の役員が白羽学園生らしさや処刑の詳細について執拗なまでに語った分、真帆は学力補完計画の説明をなるべく簡潔に済ませるように努めた。
――今回の期末考査ではD組、E組の生徒に『規準点数』を設ける。規準点数を一点でも越えれば合格、同点以下なら不合格とする。
――合否判定は本試の一度きりとし、やり直しは認めない。追試などで規準点数を満たしても無効とする。
――合否の結果は各生徒へ個別に発表する。不合格となった生徒は、夏期休暇全返上の全日補習に必ず参加すること。
――不合格の生徒が一人でもいれば、担当教師は自らの夏期休暇を返上して補習を務めること。
――考査を無断欠席した生徒、答案を白紙提出した生徒、不合格かつ補習を無断欠席した生徒は、白羽学園に相応しい学習意欲がないものとして処刑対象とする。
――上記の理由によって処刑対象となった生徒の担当教師は、連帯責任として同じく処刑対象とする。
先ほどの二の舞にならないよう、教師たちは要項の中に異議や疑問点があっても文句をこぼすことはしなかった。それでも理不尽な詳細を改めて説明されるたび、彼らの口から憂鬱な嘆息が流れる。そうして真帆の説明が一通り終わったところで、若い教師がおずおずと手を挙げた。
「あのー。結局のところ『規準点数』って、一体何点になるんですか?」
「ああ。それなんだけど、具体的な点数の発表は考査が終わってからになります。何せ今回の規準点数は『各学年のA、B、C組内の最低点数』になるので」
「はあ……。しかしどうして、そんな手間のかかりそうな方法を?」
規準点数が何たるかの回答は分かった。だが他組の最低点数をなぜ合格ラインとしたのか、その意図はピンと来ない。そんな疑問符が晴れない若手教師の様子をクスクスと笑いながら、百合香は自分たちの狙いを解説し始めた。
「最初から具体的な数字を提示しては、その点数さえクリアすればいいと考えてしまい、必要最低限の勉強しか行わないでしょう。逆に規準点数を明確にしなければ、どれだけ勉強すれば合格できるのか全く分からない。つまり、妥協できる余地を取り上げれば、全力で勉学に励ませることができるのです」
「な、なるほど。でもそれなら非公開で合格点を決めておいて、考査が終わってから公表しても同じなんじゃ……?」
「確かにその点については、先生の言う通りですわね。ですが、先ほど安部野くんが仰ったことを思い出してください。白羽学園の生徒として相応しい自覚とは一体何なのか」
「……ええと、つまり……下位組の学力を高めるために、上位組にも協力してもらう、ということですか?」
「まあ、それで及第点ということにしておきましょう」
間違いではないが完璧というわけでもない、若手教師のしどろもどろな回答。自分たちの意図を中々汲みきれない彼の戸惑い顔に、百合香は嘲りを混ぜた苦笑を向ける。
「今回の学力補完計画は、飽くまで下位二組の生徒が対象です。だからといって、上位三組に何も施さないというのは些か不公平でしょう。ですから上位組の皆さんには補習などの処罰こそ与えませんが、規準点数――最低点数を一点でも上げるよう、互いに切磋琢磨していただきます」
「全員で協力して学力を磨き合えば、上位三組の成績が上がる。そうすれば規準点数も自ずと上がり、下位二組が目指す目標も高くなる。結果として、学園全体の学力が向上する。一石三鳥でしょう?」
百合香の説明に付け足すよう、彼女の後に美紀が補足を続ける。それでようやく若手教師の疑問符は納得に変わった。それから僅かな間の後、小太り教師の大袈裟な拍手が会議室に響く。
「いやあ流石! 落ちこぼれの二組だけではなく、生徒全員の成績にまできちんと目を配ってらっしゃったとは! 素晴らしい、素晴らしいですぞ生徒会長様!!」
小太り教師の世辞を皮切りにした、本日二度目の大絶賛。会議に似つかわしくない過剰賞賛の嵐が吹き荒れる中、百合香は彼らをたしなめることもなく黙ったまま微笑んでいた。
◆ ◆ ◆
「……切磋琢磨か。はっ、物は言い様だな」
会議室から少し離れた廊下にて。百合香を絶賛する喧騒を聞き流しながら、法正は一人毒を吐く。
生徒同士の協力や学園全体の向上など、耳障りのいい言葉を選んではいるが、結局の本質は下位組の合格ラインを悪戯に引き上げるだけの嫌がらせだ。
上位組に処罰は与えないと百合香は言ったが、それは生徒会による公式処刑に限った話。例え上位組に属していてもその中の最下位では、他の生徒から軽蔑の対象と見なされる。それどころか、もし下位組に点数を抜かれたとなれば、上位組の恥さらしとして処刑に近しい冷遇を受けることになるだろう。
ゆえに上位三組の生徒たちは、自分の成績が規準点数となることを回避するため、点数向上に躍起になる。結果、規準点数が下位組の実力から遠退き、下位組および教師たちの夏期休暇全没収の可能性がより強固になるのだ。
あの悪逆非道の女王のことだ。恐らくは以上の展開を想定の上で規準点数を定めたのだろう。彼女らしい利口で卑怯なやり口だと、法正は胸中で百合香を罵倒した。
そのとき。廊下の遠くから、バタバタと慌ただしい足音が近づく。目線だけでちらりと見やれば、そこには忌々しい元友人の姿があった。
「法正じゃねえか。こんなところで何やってんだよ。会長の出待ちか?」
「ただの見張りだ。むしろ出待ちはお前の方だろう? 拓也」
「まあな! どこぞのホラ吹きに乱暴だのストーカーだの言いふらされた分、今度こそ積極的に活動して『汚名挽回』するんだぜ!」
「……そうか」
『汚名挽回』では汚名を取り戻す、つまり自分の評判を落とすことになる。拓也の誤った四字熟語に法正は気付いたが、指摘はせず敢えて黙っておくことにした。前回の暴力デマ事件があったにも関わらず全く懲りていないところを見ると、同じ過ちを繰り返して自爆するのは目に見えているのだから。
目の前の元友人が『どこぞのホラ吹き』であることも知らず、得意気な自信を見せる拓也に法正がある種の感嘆を覚えたころ。複数人が一斉に椅子から立ち上がる音が聞こえてきた。すると法正は、用が済んだとばかりに踵を返し、早足で会議室から離れる。
「おいおい、もう帰るのかよ。会長のご尊顔は拝まねえのか?」
「……俺は隠れ生徒会だ。一緒にいる場面を見られたら面倒だからな」
百合香を偶像扱いする拓也を内心で嘲笑しながら、捨て台詞を残して法正は姿を消した。直後、彼と入れ違いになるようにして会議室から百合香が退出する。その途端、待ってましたと言わんばかりに拓也は彼女のすぐ側へ接近した。腰と頭を低くしながらも顔はしっかりと百合香の方に向け、興奮で息を荒くする様はさながらお預けを食らった犬だ。
「お疲れ様です、会長! ささ、長時間喋りっぱなしで喉も渇いたでしょうし、これから一緒にお茶でも――」
「ちょうどいいや、片原クン。この資料のデータ、学園のPCで修正して印刷しといて。全校生徒分、今日中にね」
「は? そんなの結城がやりゃあいいだろうが。自分が会長にべったりしたいからって舐めたこと言ってんじゃねえぞ」
「アンタそれ盛大なブーメランだって分かってる!?」
茶会という名目のランデブーは、璃々愛からつっけんどんに言い渡された雑用によって早々に出鼻を挫かれた。無礼な腰巾着相手に易々と引き下がるわけにはいかない。拓也は往生際悪く、自らの障害となる璃々愛を言い負かそうと口を開いた。のだが。
「片原くん。私も璃々愛ちゃんも、これからまた忙しいの。どうかお願いできるかしら?」
「はい! 会長のお頼みとあらば喜んで!」
雑用依頼を百合香が代弁した途端、傍目でも分かるほど明確に態度が変わる。そして璃々愛が差し出していた資料を半ば引ったくるように受けとると、あっという間にPC室の方へ疾走していったのであった。
ある程度は予想通りとはいえ、ここまであからさまに豹変すると思わなかった璃々愛は、呆けたように口をぽかんと開けて拓也が走っていった方角を眺める。そんな彼女の後ろでは百合香が、悪戯が成功したときの子供のような含み笑いを湛えていた。
「いやあ、あそこまで綺麗に手のひらを返すとはね……。ありがと、かいちょー」
「私の方こそ助かったわ。ここのところ、また彼のアプローチがしつこくなってね……。どうやって追い払おうか毎回考えてるのよ」
「あんなデマが散々流れたってのに? よっぽど恥知らずなんだね、片原クンは。……それか、誰かが油でも注いだ?」
「まあ、彼についてはどうとでもなるから、今は後回しでも大丈夫よ。それよりも璃々愛ちゃん。一つ『お願い』があるのだけれど」
『お願い』というキーワードと共に、百合香の笑みが深くなる。それは先ほどの悪戯染みた軽やかなものではない、何かを企むような酷薄なものだ。そのキーワードを聞いた璃々愛も、百合香の意図を察すると彼女と同様に表情を歪めた。
「人の長所を見つけることができるというのは、素晴らしい才能の一つだわ。だからといって、ところ構わずただ誉めればいいというものでもないと思うの。特に、大事な会議の最中には、ね?」
「分かるー。そんなにご機嫌取りしたいなら、もっと場所を考えればいいのにね」
「ふふ。そうね。本心はとっても大事だわ」
「あっ、アタシはいつも本気だからね!? あんなのと一緒にしないでよ、かいちょー!」
「勿論分かってるわ。璃々愛ちゃんは私の――」
いつしか『お願い』が他愛もない雑談に移り変わり、百合香と璃々愛のじゃれあいが始まる。実の姉妹のように仲睦まじい彼女たちの顔からは、先ほどの酷薄な笑みはすっかり消え失せていたのだった。
◆ ◆ ◆
翌日。会議で百合香を積極的に持て囃していた小太り教師の評判が、一夜にして地に落とされていたのはまた別の話。
【戸塚彩美視点でいきます】
『白羽学園掲示板 *生徒用
期末考査、正直どう思う? (204)
201 D組。 ないないないない!ほんとヤバい。受かんないかも
202 りぃ 私も。あ、誰が合格点教えて。情報求む!
203 俺ッ! え、だれも知んないんじゃね?
204 咲だよ! たぶんそう 生徒会は知ってるだろうけど
合格点予想!当てた人ラッキー(かも?) (138)
135 Bくみ♪ えっとー、じゃあ前回の平均点で
136 lala クラスごとに違うのかな?
137 スレ主。 前回の平均点知っている方名乗って!
138 ないわぁ 2-Dなら知ってるよーん
書き込む 新スレ作成 もっと見る>> 』
「へぇ。期末考査か……懐かしいなぁ」
スマホ片手に独り言。
誰にでもなくつぶやいた声は、電車の音によって搔き消えていった。
この掲示版は、後輩の真帆ちゃんに頼んで、生徒用のページを閲覧できるようにしてある。
何気なく覗いたその掲示板は、期末考査の話題でいっぱいだ。どうやら風花ちゃんたちがまた何かやったらしい。
書き込みから推察すると、基準点が設けられたようだ。
達成できないとどうなるのかはわからないが、とりあえず、とんでもない罰があるのだろう。あの風花ちゃんのことだから、ひどーいお仕置きに決まってる。
ま、あたしはOGなので口を挟むつもりはない。白羽学園生らしく勉強に励め、と言うしかない。
それよりも、1番重要なのは……8月の…………。
最寄り駅で電車を降りて、徒歩で自宅へ。ちょっと時間はかかるが、最近運動不足気味なので我慢する。
掲示板を閉じ、ある人物に電話をかける。3コール目で応答があった。
『……何の用でしょう』
僅かにいらだっているような声につっけんどんな言葉。だが、ずっと前にこの態度が通常運転なのだと知ってから、全く気にしていない。あたしは、割と切り替えが速い方だ。
「用がないと電話しちゃダメかな?」
にひひ、なんて意地悪く笑うと、相手は溜息を返してきた。
『駄目です。無駄な行動は慎むべきでしょう』
「相変わらずだねぇ君も。なんか心配」
『あなたに心配される覚えはありません。それより、用がないのなら切りますよ』
心配してあげたのに素っ気なく返された。本当に変わってないな、と苦笑した。
「用ならあるよ。期末考査、風花ちゃんは何してんの?」
聞くと、相手は数秒黙った。そして、誤魔化すように言った。
『……あなたは部外者でしょう。あまりこちらと関わらないでくれると嬉しいのですが』
「関わるよ。これからも、いっぱい。全部分かるまで」
『全部って……もう過ぎたことです。意味がありません』
「あるよ。ていうか、君だって調べてるでしょ。文句言わない」
『…………』
あ、図星。
『……この話は、後日改めて。日程は後で決めましょう』
「はいはーい。んじゃまた」
笑いをかみ殺しながら通話を終了…………して気づいた。
「期末考査の、聞いてなかった……!」
うわ、マズい。笑いと後輩の話術(?)にうっかり流されてしまった。
うあああ、と頭を抱えながら歩くあたし。
きっと誰がか見たら、奇人と思うに違いない。
………………くそ、してやられた。
【番外編:天本さんちのお年玉事情】
※本編とはあまり関係のない季節ネタです。
※千明が非常識です。
※一応理由はありますが千明の家庭環境がやたら特殊です。
※不都合などがありましたらお気軽にご報告ください。
本編より時間を巻き戻して、二年前の冬休み明け。独裁女王がまだ一介の生徒会役員にしか過ぎず、白羽学園も処刑制度がない平和な学び舎だったころの話。
ぬくぬくとした休暇が終わりを迎え、制服越しの寒気に毎朝晒される平日が始まる。進学校の一員であれば心機一転勉学に取り組むべきなのだが、しかし彼らも学生である前に人の子。極楽だった冬期休暇のまどろみを忘れることができず、エンジンが中々かからない生徒も少なくない。そんな怠惰な生徒にとってお年玉というのは、過ぎたる年末年始の大事な忘れ形見であり、物欲や遊楽の充填をエネルギーとするやる気スイッチでもある。――最も、その金額が期待していたものより貧相であれば、逆に落胆に追い討ちをかけることになったりするのだが。
労せずに得られる毎年恒例の大金は、得てして年始明けの話題に挙がりやすい。合計でいくらもらったのか、何に使うつもりなのか、むしろもう手をつけたのか。他人の懐事情自体は学生に大した価値はないものの、休暇中のブランクを埋める共通の雑談テーマとしては大いに役立つ。そんな中、当時最盛期だった広報部部長天本千明は、学園新聞のコラムに使う全校生徒のお年玉事情を集計していたのだった。
「へー、彩美先輩は二万円くらいか。学園平均の半分かそれ以下だな?」
「親戚は普通にくれたんだけど、両親がね……。もうバイトして稼いでるなら必要ないだろうって」
「そいつぁ世知辛い。将来設計のためにお金稼いでるのに、稼げるからお預けってのは酷い話だぜ」
「仕方ないよ。二人の言うことも理に適ってるし、それに安定しない職業を目指す以上、いつまでも親に頼りっぱなしじゃいられないもんね」
「かーっ、泣かせるねえ! 流石将来を見据えてる作家の卵は心構えから違う!」
一説によると、一人の学生が受け取るお年玉総額の全国平均は三万円ほどらしい。一方、広報部の調べによる白羽学園生の総額平均は四万円から五万円。恐らくは一般学生より優秀な成績を収めている分、褒美としてお年玉が増額されているといったところだろう。だが、そういった傾向があるにも関わらず全国平均よりも少ない金額しかもらえなく、しかしそんな結果に文句ひとつ言わない彩美のストイックな姿勢に、千明は自らの額を叩いて大げさに感嘆した。そんな彼女に反して、そこまで誉めそやすことでもないと彩美は肩を竦める。
「そういう千明ちゃんはどうなのさ? そっちも報道関係者って夢があるんでしょ」
「あたし? ここに入学してからはゼロよ。去年今年と記事を書くのに忙しくて、まず故郷に帰れてないし」
「ああ、そっか。確か君、実家を出て一人暮らししてるんだっけ」
「ま、その代わり現物支給ってことになったんだけどね。現金は郵送じゃ送れないから、その代わりにということで」
にんまりとオノマトペが聞こえてきそうなほどににやけながら、千明はスマートフォンを操作すると一枚の写真を表示させた。そこに写っているのは、四枚のプロペラと一台のビデオカメラがついた機械。電子工学には詳しくない彩美は一度首を捻るも、分野外なりのおぼろげな知識から機械の名称を導いた。
「これって……撮影用のドローン?」
「ピンポーン! それも高解像度、長時間稼働、長距離飛行と三拍子揃ったスグレモノ! ちなみにお値段はニーキュッパ」
「ふーん、つまり三万円くらいってこと? ドローンの相場とかはよく分からないけど」
「ノンノン。五桁じゃなくて六桁。二十九万八千円」
「にじゅうきゅうまん!?」
全国平均の約十倍に当たる高価格に、思わず彩美は絶叫した。いくら正月というイベントがあったとはいえ、とても学生に買い与えられるような値段ではない。それだけドローンの相場が高いものなのか、あるいは千明の親戚の金銭感覚がおかしいのか。どちらにせよ学生には大金に等しい価値のドローン写真を、彩美は目をまん丸にして見つめていた。
(続く)
(続き)
「いやあ、あたしはもっと安価なやつでいいって言ったんだけどさ。お爺ちゃんお婆ちゃんたちが「どうせ買うならより良いものを!」って制止も聞かずに買っちゃったんだよ」
「だからって二十九万は高すぎない!? 「良いもの」のレベル追究しすぎだよ!」
「でもうちじゃあ毎年こんなもんよ。なんせ一人辺りのお年玉こそ普通の金額だけど、それが何十人分と集まるからね。多いときだと五十万くらいは行ったかな」
「き、君の親戚って一体どうなってるの……」
まず孫一人に親戚数十人という比率はあり得るのか。あり得るとしたら天本家の家系はどうなっているのか。第一ブレーキを掛けようと思った親戚は誰かいなかったのか。子供に総額五十万円を毎年与える天本家の親戚。規格外の彼らがあまりにも想像つかず、彩美は思わず眩暈を覚えたのだった。
恐らくこれ以上の展開は、自分がついていける領域ではなくなる。そう思った彩美は千明の話を理解できているうちに、話題の方向転換を試みた。
「……そ、そういえば。なんでドローンなんか買ったの? 撮影なら普通のカメラでも事足りると思うけど」
「普通の撮影なら、ね。しかしより上質の記事を書くには、既存の機器じゃ痒いところに手が届かないこともある。試行錯誤すりゃああるものでもどうにかできるだろうけど、そんなことで苦労するくらいなら積極的に最新機器を取り入れて、取材や執筆の方に労力を回したいのさ」
「なるほど。コストを代償に提供物の質を上げるのは理に適ってるね。で、そこまでして取材したい記事って?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたな先輩!」
待ってましたとばかりに、千明は愛用のマル秘ファイルから数枚の原稿を取り出す。学園新聞のプロットであるそれのタイトル部分には「今を時めく美少女優等生! 一年A組、風花百合香の素顔に迫る」と大きな文字で書かれていた。ゴシップ雑誌の見出しにも見えるような文章に、彩美は眉をひそめる。
「風花ちゃんの特集記事? 珍しいね、千明ちゃんが誰か一人をクローズアップするなんて」
「そうかい? 個人特集なら今までにも何度かやってきたぜ」
「でもそれって、大会や学校行事で賞を取った人とかでしょ。確かに風花ちゃんは主席レベルの成績だけど、それだけで特集を組むことって今までなかったじゃん。それもこんな大々的に」
白羽学園において高学力とは全生徒が遍く目指すべきであり、また到達できて当然の目標であるとされている。そのため通常の成績優良者は、教師や他生徒から称賛されることこそあれど、公的な賞を受賞したり名誉を広報されたりすることはほとんどない。在学中に得られる恩恵はせいぜい、考査の成績順位表で先頭を飾るか、卒業式の送辞あるいは答辞で代表に選ばれる程度だ。
そして千明も学園の校風と同じく、これまで高学力の生徒を特集したことはなかった。一応「成績上位者に聞くテスト勉強のコツ」というコラムで成績優良生をインタビューしたことはあったが、それは飽くまで勉強法に焦点を当てた記事であり、彼らの名誉広報はやはり二の次であった。だからこそ彩美は、今回千明が執筆する記事に違和感を感じたのである。
「確かにその通り。でも今回は特別中の特別さ。なんたって風花ちゃんのことを知りたがってるニーズが大勢いるからね! 需要に応えるのは供給側として当然の義務だろう?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……。ニーズって具体的にどこから?」
「大多数は新聞のアンケートからだね。今年度の夏くらいからもー要望がうるさくてうるさくて。それに先生たちからも風花ちゃんを特集してくれって直々に言われてんのよ。なんでも白羽学園の模範生として、もっと名前を広めてほしいんだと」
「へえ。そこまで人気者なんだ、風花ちゃん」
(続く)
(続き)
成績は常にトップクラス。整った顔立ちに浮かぶのは絶えない笑顔。育ちの良さを物語るような穏やかな性格と洗練された立ち振る舞い。その上一年生にして生徒会役員を務める愛校心。確かにこれだけの要素が揃っていれば、彼女の情報をより知りたがる読者が出現するのも頷ける。加えて学園を経営する教師陣からすれば、才色兼備な百合香は白羽学園の名を広める宣伝塔としてこの上ない適役なのだろう。
そこまで考えて納得しかけた彩美は、しかし自分が抱いた当初の質問を忘れていなかった。千明に向けていた目を怪訝なものに変え、彼女を睨む。
「で、風花ちゃんのインタビューに、なんでドローンが必要なの」
「それはほら、あれだよあれ。綺麗なものが芯まで綺麗なことってあんまりないじゃん? その辺のギャップ萌え? も余すことなく伝えるべきかな、ってね」
「……まさかとは思うけど、風花ちゃんのプライベートを盗撮でもするつもり!?」
「なーに心配しなさんな。何も臭わなきゃあ最初から使わないさ。臭わなきゃね」
「それって逆に言えば、怪しいと思ったら使うってことでしょ!? やめてよそういうの、一応生徒会の可愛い後輩なんだから」
「分かった分ーかった。未遂の時点でここまでバッシングされるんだったら大人しく諦めますよっと」
――君は全く分かっていない。ドローンの使用中止こそ宣言したものの、その理由が真の問題点を理解していないような千明の回答に彩美はため息をついた。
うら若き婦女子からすれば、知らない間に自分の姿が記録媒体に写されるというのは大抵嫌悪感を覚えるものだ。千明も同性であれば、盗撮される不愉快さには容易に気付くはずなのだが。あるいはそういった常識的な観念さえ忘れるほどに、千明は百合香の素性を明らかにしたがっているのだろうか。
「……千明ちゃんさあ。本当に周りから言われて、風花ちゃんを取材するつもりなの?」
「そだけど、なあに? 読者のリクエストにホイホイ応えるなんて主体性がないとか言っちゃう?」
「そうじゃなくて。千明ちゃんの取材の動機は本当に、みんなにリクエストされたから『だけ』?」
目の色は怪訝なまま、彩美は千明の顔を真っ直ぐに見つめる。元より千明は一度興味を持った事柄に対しては、僅かも妥協せずとことんまで真相を追い求める気質の持ち主だ。そして今回の百合香の取材も、断念したとはいえドローンを用意してまで根掘り葉掘り調べ倒すつもりだった。ということは、千明は百合香に対してそれほどまでの強い興味を抱いているということだろうか? そうだとしたら、一体彼女のどこに?
真剣な表情の彩美にキョトンとしていた千明は、ややあって彼女の質問の意図を理解すると、にいっと鮫のように口角を上げた。
「一つだけ付け加えるなら。広報部部長の勘、ってやつかね」
「ねえ、マジで頼むよ! あたしたちの仲でしょ?」
「んなこと言われたって、私にも学園での立場ってもんがあるのよ」
「そうだよ! わざと手抜いたのが生徒会にバレたらどうするつもり!?」
「そこは一蓮托生ってことで! あたしたち友達じゃん! ね?」
「はあ!? 我が身がかわいいからって馬鹿なこと言わないで!」
異例なる期末考査の宣言により、学園中に衝撃が走った全校集会の翌日。日を改めて告知された、規準点数とその詳細――『下位学級学力補完計画』の内容は、C組以上の上位学級とD組以下の下位学級の溝をより深めることになった。
元より学力が自分の身分を表す白羽学園において、成績で区分された学級間の交友は乏しい。上位組の生徒が地下人の学力不足を嘲笑し、下位組の生徒が殿上人の傲慢無礼を軽蔑する。双方が険悪な敵意を向け合うこの形態が、白羽学園における学級関係の基本形だ。そんな冷え切った学び舎の中でも、別学級同士でありながら個人的な交友関係を保っている生徒は幾組か存在した。学級同士を隔てる学力差や偏見を超え、育まれた友情が少なからずあった。
そこで下位組の生徒は、ここぞとばかりに上位組の友人を当てにしたのだ。親愛なる自分たちのために今回の考査の規準点数、つまりA組〜C組の最低点数を下げてほしいと。だが個人間の強固な絆も、学園内の地位を人質にされては塗り壁程度の脆さしかなく。上位組の生徒は揃って下位組の頼みを断った。いくら友人のためとは言え、一歩間違えれば自分の名声や人権に関わる成績を損ねることはできないと。
彼らの交渉の最終結果がどうなったのかは各人各様ゆえに割愛する。それでも大なり小なりの禍根が両者に残されたのは間違いないだろう。とかくかくして、上位三組と下位二組の亀裂は以前にも増して広がったのである。
閑話休題。美術室特有の大きな工作机を挟んで向かい合っているのは、美術部部長の倉敷良と、美術部部員兼生徒会役員の結城璃々愛。ひょうきんな性格の持ち主として知られている二者にしては珍しく、真剣な面持ちでじっと互いを見つめていた。
「璃々愛ちゃん……。それ、ほんまに正気で言っとるんか?」
「勿論。むしろ逆に聞くけど、アタシ何か間違ってる?」
「間違うとるとか合うてるとか、そういう問題とちゃう! これは俺の魂にも関わる案件なんや!」
「そうは言われてもさあ、忠告自体は前からずっと聞いてたでしょ。それを無視してきた良にいの自業自得じゃん」
「せやかて、やってええこととあかんことがあるやろ!! こいつばかりは確実に人としてアウトやで!」
「…………あのー。先輩方」
飽くまで自分のプライドを譲らない良と、生徒会として非情な決定を押し通そうとする璃々愛。二人の論争は平行線で、いつまで経っても終結する気配がない。そんな膠着状態にいい加減痺れを切らしたのか、このやり取りを傍観していた一年の美術部員が口を挟む。横槍を刺してきた後輩を璃々愛は煩わしそうな表情で見やり、良は縋るような目で彼に食いかかった。
「一年坊! 芸術家の卵たる者、ときには規則に囚われんと型を破る必要かてあるんや! 同じ美術部員の男として、自分やったら分かってくれるな!?」
「い、いいえ。というか僕は、結城先輩の意見の方が正しいかと……」
「うええええええええ!?」
後輩の回答にさほど時間はかからなかった。てっきり自分の意見に賛同してくれると期待していたらしい良は、返ってきた真逆の返事にあんぐりと口を開ける。味方を募ろうとしてあっさり振られた良を、璃々愛は当然のように鼻で笑った。
「ほーら。一年の奴だってこう言ってるんだから、潔く諦めなさいってば」
「ぐ、ぐぬぬ……! しかしまだや、俺はこんなところで妥協するわけには……!」
「良にいは一体何と戦ってんの。とにかく、いいからさっさと観念して――」
「おーい、倉敷はいるか……って、げっ。結城かよ」
(続く)
(続き)
がらりと扉が開く音と共に、美術室へ新たに入ってきたのは片原拓也。どうやら良に用事があったらしい彼だが、入室早々己の恋路の障害である璃々愛が視界に入り、あからさまに不快そうな顔を見せた。一方、拓也の人間関係に疎い良は、その不快感に着目することもなく、今度は彼を自分の味方につけようと必死に縋りつく。
「来たった! 救世主! ちょっと後生やさかい助けてくれや拓坊(たくぼう)ー!!」
「え? あ、はあ!? 救世主!?」
「片原クンか……まあいいや。アンタからも生徒会として良にいに何か言ってやってよ」
「いやいやいや待てよ。お前らは何の話をしてるんだ」
話の内訳も説明されず、璃々愛と良の板挟みにされかける拓也。自分は用事があって美術室まで足を運んだというのに、それを済ませる前に事情も分からない二者の対立に巻き込まれるのは溜まったものではないと、まずは詳細の説明を要求した。彼の求めに真っ先に対応したのは良。
「あんなあ拓坊、璃々愛ちゃんが酷いねんて! 考査期間中は美術室で絵描いたらあかん言うんやって!」
「は? テスト中の部活自粛は別に普通のことだろ」
「へえ、良かった。片原くんもその程度の常識は弁えてるんだね」
「俺が非常識人みたいな言い方すんじゃねえ! で、なんでそんな当然のことでギャーギャー喚いてんだよ?」
生徒会長をストーカーした張本人――体裁上はデマ扱いだが――が何をとぼけているのか。そんな侮蔑の念が込められた視線を璃々愛は拓也に投げかける。しかし彼の犯歴はこの場の問題とは無関係なため、それ以上の指摘はせずに事情の説明を続けた。
「その当然を、良にいは白羽学園に入学して以来一度も守ったことがないの。今までは及第点をギリギリ取ってたから、先生たちも注意はしつつ黙認してたんだけどね」
「えっ、マジで!? ずっる!」
「でも今回のテストは、白羽学園生としての自覚を取り戻してもらうって目的もあるでしょ? そんな名目のテストをやる手前、流石に例外を見逃すわけにいかないじゃん」
「そりゃあ倉敷が悪い。潔く諦めるんだな」
「嘘やん! お前だけは味方でいてくれる思たのにー!」
「うっせえなあ。テストが終わりゃあまた部活やれるんだろ? たった一週間くらい辛抱しろよ」
「ああ、それなんだけどさ」
絵画が恋人だと形容しても過言ではない良にとって美術部断ちは確かに堪えるだろうが、その期間は決して長くはない。少しの期間だけ自分の欲求を我慢すればいいだけなのに、なぜここまで往生際悪く駄々をこね続けるのか。拓也が思い浮かべた疑問は、璃々愛の補足説明によって解決される。
「良にいだけ『今回のテストでA組からC組の平均点を超えられなかったら、卒業まで部活全面禁止』ってことになったから」
「…………へ?」
――当てが外れた。璃々愛の台詞を聞いて目が点になった拓也の頭に、真っ先に浮かんだ言葉がそれだった。
考査期間中の部活自粛命令を再三無視してきたツケだと思えば、提唱された良の処遇は妥当と言えるだろう。だがこの処罰内容は、拓也にとって非常に都合が悪かった。なぜなら拓也はD組。『下位学級学力補完計画』の対象者だ。決して勉強が得意とも好きとも言えない彼からすれば、自分が越えなければならない規準点数はとにかく低い方がいい。だからといって普通の上位学級の生徒に頼み込んでも、自分の身分かわいさに点数を下げることはしてくれないだろう。しかし芸術狂いとも称されている良であれば、成績低下に伴う評判低下程度に頓着することはない。つまり彼は、規準点数低下交渉における優良人件なのだ。
だからこそ、規準点数を超えるハードルを良にだけ課されるのは非常に好ましくない事態だった。彼なら上位組の最低点数を快く逆更新してくれると思っていたのだから。
(続く)
(続き)
「な? こんなん鬼の所業やん!? 卒業までの残り約九ヶ月、他の部員が絵描いてるのを指咥えて見とれなんてあんまりやろ!」
「そ……そう、だな。流石に三組の平均点以上は厳しすぎだろ。もうちょっと軽い内容にしねえ?」
「はあ? アンタ生徒会のくせに情け心見せてどうすんのよ」
「べ、別にいいじゃねえか! お前みてえな冷血人間とはわけが違うんだよわけが!」
部活を自粛しなかった分のペナルティを良が受けること自体はどうでもいい。しかし良が規準点数を下げられない事態になることだけは回避しなければならない。折角の交渉計画が始まる前から台無しにならないよう、拓也は必死で良の弁護に回った。やけに躍起な態度の彼を前に、璃々愛は訝しそうに眉をひそめると大げさな溜め息を一つつく。
「あっそう。そこまで良にいを庇いたいなら直談判すれば? かいちょーに」
「なっ!? なんでそこで会長が出てくるんだよ!」
「だってかいちょーも良にいの成績を心配してたんだもん。良にいのことを考えて、敢えて心を鬼にしたっていうのに、冷血人間なんて言われちゃって可哀想!」
「えっ、そうなん?」
「ち、ちがっ! あれは会長に向けてじゃなくて、結城お前に……!」
「あーあ。残念だけど、そんなに良にいのことが大事なら仕方ないね。かいちょーに交渉のチャンスを用意してもらえるよう、アタシが伝えてあげるからさ!」
「ぐっ……!」
先のストーカー疑惑事件によって、現時点で拓也に対する百合香からの心証は底辺レベルだ。ただでさえ最悪の状況なのに、さらに彼女が取り決めた処罰に異を唱えたとなっては、例えその動機が正当でも、今度こそ完全に見捨てられることは目に見えている。規準点数の低下および良の感謝と、百合香からの好感度。二つを天秤にかけたとき、傾く皿は決まっていた。
「……や、やっぱ、会長の言う通りだな? 折角のご好意なんだ、ありがたく罰を頂戴しとけよ!」
「拓坊おおおおおお!! さっきまで味方してくれたのはなんやったんや!?」
「だ、だってほら、言うだろ!? 『情けは人の為ならず』ってさ!」
「正しい意味で使うとるつもりやったらここは助けるところやで!!」
「はいはい、そんなに嫌なら頑張って良い点数取ればいいだけじゃん! そういえば片原クン、良にいに用事があったんじゃなかったの?」
「えっ!? い、いや別になんでもねえよ! じゃ、せいぜい頑張れよ! 倉敷先輩!」
腐っても生徒会役員の一人である自分が、規準点数の低下交渉を試みたと露見しては不味い。良が二の句を告げる前に、拓也は脱兎のごとく美術室から逃げ出したのであった。あっという間に消えた拓也の背中を良は絶望顔で、璃々愛は人が悪い笑みで見送る。
「うわああああああ!! 拓坊の薄情もん!」
「ま、そもそも片原クンを頼りにしようとしたのが運の尽きだったね。というわけで、今回のテスト期間こそ大人しくしてなよ。良にい?」
「嘘やこんなことー!!」
その後、彼の体力が尽きて寝落ちるまで、良の大人げない叫び声が校舎中に響き渡り続けたとかそうじゃないとか。
(続く)
(続き)
◆ ◆ ◆
「キャハハ! 片原クンったら、分かりやすいから本当助かるわー」
百合香の肩書きを出したときの、拓也の動揺顔を思い出しながら、璃々愛は彼の浅はかさをせせら笑っていた。
良への処罰内容を説明して拓也が目を点にした時点で、璃々愛は彼の用事を察していた。さらに拓也が処罰の内容に反論した際、禁止事項ではなく点数を指摘したことによって、彼女の勘は確信へと変わった。もし本当に良の身の上を憐れんでいるのなら、部活の全面禁止の方を緩和するように働きかけたはずだ。しかし、拓也はそうはしなかった。であれば彼が、組も学年も違う良を訪ねる理由は一つ。『下位学級学力補完計画』における規準点数の低下交渉だ。
尤も、規準点数は学年別に定められるため、良への交渉が成立したところで拓也にはなんの旨味もないのだが。恐らくは計画の詳細を熟読せずに、規準点数の概要を大まかに知っただけで先走ったのだろう。
「アタシは別に『かいちょーが直々に良にいへ部活禁止令を出した』なんて一言も言ってないんだけどね?」
確かに百合香は過去に、良の成績や芸術への傾倒ぶりを心配していたことはある。だが今回の考査においては、百合香は良に対して一切の言及を行っていない。先ほどの璃々愛の口ぶりは、まるで百合香が良の処遇を決めたような内容だったが、実際は事実をほんの少し交えた虚言だったのだ。
どうしてそんな嘘をついたかといえば、無論拓也を説得するためである。百合香の望みという大義名分の下であれば、自分の都合もプライドもかなぐり捨てて平伏する男だ。彼女の名を使わない手はないだろう。それに勉学における良の不真面目さには、多くの教師が辟易している。そんな彼の勝手気ままを女王のお墨付きで禁止できると、そのための口添えを自分がしてやると言い含めれば、教師たちは喜んで良の部活禁止案に便乗するはずだ。そうすれば結果的に璃々愛の嘘は真実となる。そうでなくてもいずれ百合香本人が、自分の成績をも気に留めない良の性格を懸念し、何かしらの対策を練っていたはずだ。それを璃々愛が一足先に済ませておいただけの話である。
「とにかくこれで、かいちょーの野望の障害はまた一つ片付いた! ……と、思いたいんだけど」
百合香の障害を排除した直後の彼女にしては、やけに不安げな声色が璃々愛からこぼれた。拓也が良を訪ねて美術室に入ってきたとき、そして良が彼を『拓坊』と親しげな呼称で呼んだときから、璃々愛は言い知れない胸騒ぎを覚え続けていたのだ。
方や、生徒会長を求めるあまりストーカー行為すら厭わない恥知らずの生徒会役員。方や、絵描きのためなら成績も評判も問題視しない芸術狂いの美術部部長。何かに熱狂している以外の共通点など見当たらない二者がなぜ、どうやって、何のために既知関係となったのか。尤も璃々愛からすれば、百合香にさえ被害が及ばなければ彼らが何を企もうとも構わないのだが。他人事で一蹴するにはどうも憂慮が拭えない組み合わせだ。
「……どのみち現時点じゃ、経過観察するしかない、か」
いくら勘が冴えていようと、事が起こらない限りは根拠のない予想にしか過ぎない。ただ怪しいというだけで拓也や良を告発するわけにもいかず、現時点では二人を注意深く見張るだけに留まるのであった。
(続く)
(続き)
◆ ◆ ◆
独裁政治の贄である処刑対象の学園生活は、総好かんという針のむしろとの戦いだ。登校すれば下駄箱や机に悪質な仕込み。廊下を歩けば好奇の目線や聞こえよがしな陰口。授業中にはゴミを投げつけられ、教師によっては教わっていない範囲の難題を無理やり回答させられる。休み時間には理不尽ないちゃもんをつけられ、相手の気分次第では暴力や器物破損などを被ることも珍しくない。
日々そんな仕打ちを受け続けていれば、大抵の人間は必要以上の悪意に晒されないよう保守的な行動を取るようになるものだ。それは革命の中心人物である麻衣や晃たちでさえも同様で。授業中は相手を挑発しないようなるべく無反応を決め込み、休み時間は人気のいない場所へ避難することが、彼女たちの日常茶飯事となっていた。なお、二人に言わせると、自分たちの場合はただの敗走ではなく戦略的撤退ということらしいが。
この日の昼休み前、E組の授業は体育となっていた。通常の授業の後であれば二人一緒に教室を出てその日の避難先を探すのだが、体育や選択科目などの互いが別れる授業の前はあらかじめ避難場所を決めておき、それぞれの授業が終わり次第各自集合するのだ。
自然に定まった取り決めに今回も従い、麻衣は素早く制服に着替えてから弁当を持って校舎の裏手へ向かった。しかし、待てど暮らせど晃の姿は見えず。そろそろ弁当に口をつけなければ昼休み終了までに食べ終わらないくらいの時間になったころ、ようやく晃が麻衣の前に現れたのだった。
「晃くん! 遅かったじゃない……って、どうしたの!? 顔の左側、腫れてるわよ!」
「こんなん大したことねえよ。拓也の奴にちょっかい出されただけだ」
「大したことあるって! お昼用の保冷剤だけど、良かったらこれで冷やして」
麻衣は弁当に付属していた保冷剤を取り出すと晃に渡した。暖かくなってきた気温のせいで大部分が溶けてはいるが、打撲傷の冷却には十分な冷たさだ。晃はそれを受け取ると、殴られた頬にあてがいほっと一息つく。口では大したことはないと強がったものの、怪我を心配され手当てを受けること自体に悪い気はしないようだ。やがて顔の痛みが引いてきたところで、晃はおもむろに会話を切り出した。
「しっかし、なんちゃら補完計画だっけか。一体どうやってパスしたもんだか」
「どうするもこうするも、規準点数が最後まで分からない以上、ひたすら勉強するしかないんじゃない?」
「身も蓋もねえ正論だな。もっとこう、裏技というか抜け道的なものはないもんかねー」
「そう思ったどうかは分からないけど、中にはC組以上の生徒に掛け合った人もいるみたいよ。聞いた話だとほぼ全員玉砕したらしいけど」
「マジで? 気持ちは分からないでもねえけど、せこいことするなあ。……あっ、さっきの拓也がやたらイラついてたのってまさか」
目先の甘い汁を啜るための努力は惜しまない元友人であれば、規準点数の低下交渉くらいは試みていてもおかしくない。そして先ほど振るわれた理不尽な暴力行為からして、彼の交渉は十中八九失敗したと見ていいだろう。拓也からの八つ当たりの理由に晃が思い至ったところで、不意に彼のポケットが振動する。中からスマートフォンを取り出して見てみれば、画面に映し出されていた名前は『天本千明』――彼女の義弟、安部野椎哉からのメール着信だ。
「うおっ、天本……いや、安部野先輩からか。相変わらず姉ちゃんのアドレスからメール送ってるんだな」
「そりゃあ表向きは生徒会なんだから、自分名義での履歴を残すような真似はしないでしょ」
「それもそうか。俺たちも天本先輩名義の方が、まだ言い訳の余地はあるだろうし。……多分」
(続く)
(続き)
意識不明の人物がどうやって文章を打つのかという大きな問題があるが、その解は実際に履歴を盗み見されたときに考えることにした。それに、発覚すれば即アウトの椎哉名義よりかは幾分か言い訳の猶予があるのだから。
それはそうと、まずは彼から送られたメールの内容を確認しなければ。晃は麻衣とともにスマートフォンの画面を覗き込みながら、やや緊張した面持ちでメールを開封した。椎哉のメールはやたら長文傾向にある。
――――
松葉晃さん、ご無沙汰しております。
今回の期末考査では『下位学級学力補完計画』というものが執行されますが、心構えの方はいかがでしょうか? 元C組である板橋さんはまだしも、D組であった松葉さんの成績では些か不安です。もし不合格となってしまえば、反逆の準備に費やせる時間が激減してしまうのですから。
そこでここは一つ、反逆勢力による勉強会を開催しようと思います。名目通りの勉強も勿論ですが、何より皆さんとは今一度顔を合わせて話し合いたいと思っている所存です。日時と場所は追って説明しますが、僕の住まいとする予定です。お互いのこれからのためにも、一度検討してはいただけないでしょうか? 良いお返事を待っております。
追伸:お手数ですがよろしければ、一年D組の白野さんと戸塚さんにもこの件をお伝えください。彼女たちにとっても決して他人事ではないでしょうから。
――――
「べ、勉強会!?」
「しかも先輩の家で!? ちょ、ちょっと想像がつかないんだけど」
「お、俺も……。ってかあいつ、まず住んでる家あるのか!?」
「いや、流石に家はあるでしょ。ホームレスじゃないんだから」
勉強会と言えば通常、仲のいい友人知人が誰かの家に集合し、一つのテーブルを囲みながら勉強を教え合うという和気藹々としたイベントだ。学生が一ヶ所に集合する理由としては確かにおあつらえ向きなのだが、それを提案したのが椎哉となると妙に感心できない。何せ白羽学園における安部野椎哉と言えば、執事と揶揄されるほどの絵にかいたような模範的優等生。自分たちや周囲が知る限りでは、学園にプライベートを持ち込んだことは一度もない。つまり麻衣と晃には、彼の生活臭が一切想像できないのだ。そんな人間味のない人物が主催する勉強会と言われても、正直なところかなり不気味である。しかし。
「……あのさあ、麻衣。こんな真剣な話、振られた側からなんだけどよ」
「な、何?」
「単純にさ……安部野先輩の家、興味ねえか?」
「……ないことはない、かな」
どんな家に住んでいるのか。千明以外の親兄弟はいるのか。普段どんな食生活をしているのか。自室には何が並んでいるのか。生活感が見えないことによる生理的嫌悪感は、その生活感を暴いてみたい探求心によって徐々に蝕まれつつあったのだった。
「断る」
「そこをなんとか!ちょっと手ぇ抜いてくれるだけでいいんだよ!?」
法正は、昼食を軽いもので済ませた後、本をペラペラとめくりながら、D組の生徒の話を断固拒否していた。
この生徒は、前は真面目に勉強していたものの、不良とつるんでの悪ふざけが原因でD組に降格させられた男だ。
「手を抜くだと?俺は物事に全力なんだ。今こうしてここで本を読むのにも、何にも全力なんだ。」
「これでもダメか!?」
生徒は土下座をするものの、法正は見向きもしない。
周りからヒソヒソと声が聞こえるが、法正は気にも留めていなかった。
(松葉晃に秘密の関係をわざと聞こえるように明かしてみたが、生徒会側からの動きも何もない。
となると、もう少し聞かれやすい場所でやるべきだったか……いや、布石は打てた。罪悪感で松葉晃の動きが止まればその程度、むしろ俺に協力を要請するのなら遠慮なく……いや、ためらいを付けるべきか。
おっといかんいかん、考えるのに夢中過ぎて目の前の凡愚を放っておいたな……どうでもいいか。)
法正は生徒を一蹴し、そのまま本を読み続けた。
「うわー一葉くん冷たい……」
「冷血ー」
「心カチンコチン男ー」
周りからヒソヒソと噂されているが、自分たちが交渉されたらどういう気分なんだよ、と思いつつ、法正は本を閉じ、スマホをいじりだす。
学園掲示板を開き、また書き込みをするのだった。
「あ、亜衣! ねぇねぇ来たコレもう神った、神ってるよ!」
「うん恵里、もうちょい静かにしようねー」
階段を降りた先の靴箱近く、恵里が手を振っている。何か白い紙みたいなのを持って。
「えっと、神ってるって、ソレが?」
「そう! 亜衣のトコにも入ってると思う。見て見て!」
「えぇ、何なのよもぅ……て、コレ?」
速足で駆け寄って、自分のところを覗き見た。恵里の隣、1番端。
入っていたのはメモだった。あの、付箋みたいなやつ。
「えっと……えぇぇ!? マジで?」
「ね、神ったでしょ」
「や、なんていうか、ありえな過ぎ……」
安部野先輩の自宅で勉強会をひらくそうです、もしよかったら来て
いろいろ話して、それで勉強しようって
日時は後で連絡だそうです。
板橋、松葉
安部野先輩の家で、勉強会ね……。
「行こう、恵里」
「もちろん!」
恵里は満面の笑みで頷いた。人懐っこいリスみたいに。
「よっし、なら返事しに行かないとねっ」
恵里の手を引っ張って、廊下を進む。目指すは2年生の靴箱。
「え、今なの!? 明日にしようよ〜」
「だーめ。明日の朝1番に読んでもらわないと」
「ていうか手ぇ痛いぃぃぃ」
「えっと、お返し?」
「んなっ!」
そんな感じで、からかいながら歩いて行く。途中、メモ帳とペンを出そうとして、現在あたしは手ぶらだって気づいた。でも戻るのは面倒なので、こういうときは友人を頼る!
「ね、メモとペン持ってる?」
「持ってるけど、ポケットの中。手ぇ離して」
流石、典型的なA型の日本人。ドラえもんみたいじゃん。
「ん、はい」
ポン、とメモ帳と小さなシャーペンを渡される。ありがと、と言いながら受け取った。そして、そのついでにまた彼女の腕を握る。んで、早歩き。
「なんでそーなるかなもー……」
恵里の文句は聞き流す。なんて返事するか考えなくっちゃ。
「っと、板橋先輩と松葉先輩、どっちがいい?」
「板橋先輩。松葉先輩は、ちょっとだけど怖いもん」
たしかに。一理あるかもしれない。
考えていた文面をメモに書いて、最後に名前を。恵里にも頼んで書いてもらう。
伝言ありがとうございます。嬉しいです、喜んで参加させていただきます、とお伝えください。
情報交換はその日にでも。
岩崎亜衣のです ***-****
白野恵里はこちらです ※※※‐※※※※
「ん、じゃあ板橋先輩のトコに投函してっと」
「ねぇ、電話番号まで書いちゃって大丈夫かな」
恵里が心配そうな顔で言った。
「どして?」
「誰かに見られたりしないかなって」
「あー……消す?」
盲点。
たしかに、流出したら大変だ。
「ううん、やっぱいい」
「いいの?」
「誰も見ないと思うし、いざとなったら変えればいいかなぁって思った」
「おー、意外と思い切った対応するねー」
ホント、前の恵里とは変わったな。もしかしたら、ただ仲良くなったからかもしれないけれど。
「女は度胸って言うじゃん!」
「それちょっと違うよ!」
「赤いパンプスで世界を変えてみたぁい」
「あーそれ知ってる! 2巻のでしょ!」
「私、あの女の子好きなの」
「いやそれより写真のさ――」
趣味の話に没頭する、とってもありふれた放課後だ。
【人の電話番号を見つけても、それを拡散しちゃ駄目ですよー】
>>220 同日・放課後 校内 です
222:(0w0) ぶれいど ◆a6:2018/01/16(火) 20:15ほほう、ここがあの小説かぁ……。
223:ABN 同日(六月第一火曜日)/夜/筆崎宅:2018/01/23(火) 21:17 剣太郎は自分のメールアドレスをほとんど覚えていない。というのも、数週間おきにアドレスを頻繁に変更しているからである。
彼が千明の共犯者として学園中に認定されてから、白羽学園生からの脅迫文や罵倒文、出会い系サイトからの卑猥な広告など、悪意あるメールがスマートフォンに次々届くようになった。恐らくは制裁の一環として、剣太郎のアドレスが学園中に流出されたのだろう。そこで彼は自衛のため、自分のアドレスを変更することにしたのだ。だが、それで平穏が得られたのはほんの束の間。数日後にはどこからか新しいアドレスを嗅ぎ付けられたのか、再びメールの嵐に襲われた。
それからというものの、剣太郎は迷惑メールが届くたびに複雑なアドレスを何度も変え、迷惑メールの宛先も受信拒否設定に追加し続けている。そのうち向こうも飽きが来たのか、現在は最初期と比べればメールの数も大幅に減った。それでも時折、未だに粘着質な生徒からのメールが届くことがあるのだ。こんな風に。
――――
明日の夜七時、白羽駅外れのカラオケに来い
俺たちは後で行くから部屋の用意はお前がやれ
シカトしたらどつきまわすからな
――――
「……まあ、別にいいけど」
絵文字も句読点もない粗暴な文面を眺めながら、剣太郎は自室のベッドの上で深く沈んだ。この内容からしてメールの送り主は、自分たちが開催するカラオケパーティーに剣太郎をいじり要員として強制参加させた上、パーティー料金を全額負担させる気なのだろう。相手の名前は書かれていないが、そんなことはどうでもいい。相手が誰だろうと、悪意を以て自分を害してくることには変わりないのだから。
溜め息を吐きながら気だるげに体を起こすと、重い足取りでキッチンへと向かう。そこでは流し台とコンロの前を彼の母親がせわしなく行き来していた。夕飯の支度の途中なのだろう。忙しい最中に呼び留めるのは気が引けるが、それでも最良のチャンスは今しかない。剣太郎は母親の背中におずおずと声をかけた。
「か、母さん。ちょっといいかな」
「なあに? 今、油使ってるから手短に頼むわね」
「じ……実は部活で、また機材が必要になって……その……」
「ええ、また? 先週もそう言って、三万円渡したでしょ」
「そ、そうなんだけど……」
息子の方に振り返った母親の眉間には訝しげなしわが寄っていた。疑問符によって捻り上がった声色の高さに、剣太郎はびくりと体を強張らせる。続く上手い言い訳が思いつかず、目線を下に落としてしどろもどろに言い澱んだ。
今は無き部活を口実にして母親に現金を催促するのはこれが初めてではない。今までにも処刑のための『罰金』などと称して、生徒たちから何度も現金を恐喝されてきたのである。最初は自分の小遣いだけで賄っていたが、回数を重ねるごとにその金額とペースはエスカレートしていき、今では万単位の金額を毎週用意しなければ間に合わないほどだ。
「……どうしても買わないといけないの? その機材」
「う……うん。絶対に必要だって、部長が言って聞かなくて……」
「全く、しょうがないわね。それじゃあお母さんのへそくりから出してあげるわよ」
「…………」
学園でどんな地獄が蔓延っているかなど露知らず。てっきり自分の息子が部活に専念しているものと思っている母親は、やれやれと苦笑しながら今回も剣太郎の催促を了承した。だが、大金をねだった当の本人は俯いたまま下唇を噛み締めている。口内に痛みと僅かな血の味が走るが、そんな痛覚や味覚も構わなくなるほどに剣太郎は自分自身を情けなく感じていた。
(続く)
(続き)
かつて尊敬していた部活や部長の名前を出汁にして嘘をつき、決して多くない親の財産を保身のためにドブへ捨てる。二者の名誉や情けを無下にするような非道徳的行為に、剣太郎の良心は毎回悲鳴をあげていた。そもそも善人の部類に入る彼にとって、他者を騙し不当な利益を受けとることは耐え難い悪行なのだ。
ここまで苦心するのなら、いっそのことあんな奴らの恐喝になど応えなければいいのではないか。そんな策もいつかに考えたことはあったが、少し想定を巡らせたところでそれは実質不可能な方法だと判断した。もし生徒たちの要求を無視すれば、彼らは腹いせとして剣太郎に暴力を振るうだろう。それだけなら彼自身が我慢すればいいのだが、問題はその後だ。
人為的な怪我をあちこちに負った状態で帰宅すれば、両親は確実に傷の原因を問い詰めてくる。最初こそ多少の誤魔化しは効くかもしれないが、いずれは白羽学園で暴行事件かそれに類する問題が発生していると感づくはずだ。そして息子が負傷した原因について学園を問い詰め、それが百合香の機嫌を損ねてしまえば。自分も両親も、家族もろとも無残に抹殺された京子と同じ末路に至ることになるだろう。だからこそ剣太郎は自分のため、延いては両親のために、金を貢ぎ続ける選択肢を選ぶことしかできなかった。
「でも今はちょっと待ってね。晩御飯の支度、済ませないと」
「……ごめんなさい、母さん」
「なんで謝る必要があるのよ。必要経費なんでしょ? だったら遠慮したってしょうがないじゃない」
「そう……だね。……ゆ、夕飯できるまで、部屋で待ってるよ」
事情を知らない者からすれば脈略ない突然の謝罪に、母親は困惑しながらも息子に笑顔を向ける。しかし剣太郎にとっては彼女の微笑みすら、罪悪感を加速させる鋭い刺になった。いたたまれなさが限界を迎えた剣太郎は、首をかしげる母親を残してそそくさと自室に戻る。そして再びベッドへ仰向けに倒れ込むと、狭い布団の上で手足を投げ出した。先ほど重く感じた自重が、さらに増したように感じる。
「……こんな生活、いつまで続くんだろう……」
天井に向かってぽつりと小声で独り言ちるも、勿論返ってくる答えはない。否、答えはとうに分かっている。『自分が白羽学園に殺されるまで』だ。
独裁学園のための犠牲という役割を、自分の命と人生と名誉の完全な死を以て真っ当するその日まで、日常という名の生き地獄で苦しみ続けなければならないのだ。毎日誹謗中傷に晒されながら過ごし、理由のない暴行や恫喝を浴び、あるいは自分が暴行や犯罪行為を強制され、自分や自宅の金を豪遊のために毟り取られ、体力も精神も財産もありとあらゆるものを搾取され、血も涙もない家畜以下の扱いを受けながら、絶望する心すら麻痺するほどに絶望する、そんな日常の中で。
だからこそ翌日、剣太郎はメールの送り主の正体に腰を抜かすことになる。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
「あー、いや。先に待ち合わせしてる奴がいるんすけど」
剣太郎のスマートフォンに、カラオケへの強制参加メールが届いた翌日の午後七時前。そのメールの送り主である不良生徒――ではなく麻衣と晃は、自分たちが指定した白羽駅外れのカラオケ店を訪れていた。
受付で剣太郎の名前を伝えると、店員はパソコンを操作して各部屋の使用状況を調べる。全国的に世帯数が少ない彼の名字は、さほど時間をかけることもなくすぐに見つかった。
「ええと、19号室ですね。それではごゆっくりー」
ドリンクバー用のグラスを店員から一つずつ受け取ると、軽く頭を下げてから麻衣と晃は店の奥に進んだ。
19号室は廊下の最奥近くにあるため、途中にあるドリンクバーも経由すると到着には少々時間がかかる。その間二人は、今回の作戦についての途中経過を話し合った。
「とりあえず、筆崎くんが来てくれて一安心ね。あんな脅迫めいた文章送っちゃって、下手したら怖がって来てくれないんじゃないかと思ったわ」
「仕方ねえだろ? あからさまに協力を頼むようなメール送ったら、処刑の一環とかで筆崎のスマホが誰かに取られたときに不味いじゃねえか。あいつには悪いけど、お互いのためだ」
「……その『敵を欺くにはまず味方から』って考え自体は別にいいんだけど、なんだかまるで病院のときの安部野先輩みたいよ」
「え、マジで?」
「うん。最も、私たちのときは藤野先輩や白野さんがいたからプレッシャーやショックも共有できたけど、もし一人で同じ目に遭ってたら……あれ?」
そうこう駄弁っているうちに、目的の19号室の前まで辿り着いた。だが扉の曇りガラスから見えるのは、暗闇に浮かぶテレビ画面からの映像による光のみ。また、物音もプロモーションビデオの音声以外何も聞こえてこない。まるで人の気配がない室内の様子に、麻衣は首を傾げる。
「おかしいわね。確かに19号室って聞いたんだけど……。まさか帰っちゃったのかしら?」
「それはないだろ。受付からここまで一本道の廊下だったし、入れ違いだったら鉢合わせするはずだぜ。大方便所か何かじゃねえの?」
「でも、トイレに行くくらいで一々照明まで消す? 帰るときならまだ分かるけどさ」
「さーな、多分節電家なんだろ。とにかく席外してるなら外してるで、先に入って待ってようぜー」
訝しげな麻衣とは対照的に呑気な思考の晃は、部屋に入るとすぐに扉の横にあるスイッチを押した。それから一拍置いて室内が明るく照らされ、部屋の内装が浮かび上がる。
誰もいないはずの19号室。しかしそこにあったのは――いや、そこにいたのは。
「うわああああああああああ!?」
「ぎゃああああああああああ!!」
「いやああああああああああ!?」
ソファーの端で深く俯きながら座り込んでいる学生の亡霊――ではなく、照明もつけず一人静かに待機していた剣太郎だった。
暗闇から突如現れたそんな彼にまず晃が驚き、その大声に剣太郎が腰を抜かし、さらに二者の絶叫に釣られて麻衣も悲鳴をあげる。思いがけない不注意から発生した彼らの悲鳴三部合唱は、幸いにも防音性が高い個室の中までに留まった。
◆ ◆ ◆
「あー、寿命三分くらい縮んだ気分だぜ……。なんで部屋暗いままにしてたんだよ」
「ご、ごめんなさい……。先に何かやってると、絶対に文句言われるから……」
「ってことは、照明一つつけるのにすら難癖つけられるってこと? 理不尽じゃない!」
三人が互いの正体を確認して冷静になった後。麻衣と晃は一先ずソファーに腰掛けながら、剣太郎の奇妙な待機方法の真相に憤っていた。
曰く、剣太郎が今回のように不良生徒から呼び出されたとき、何かしらの行動を起こすとほぼ必ず因縁をつけられるのだという。その制限は先に歌を歌ったり料理を注文したりする基本的なものから、自分のドリンクを取って来たり室内の設備に触れたりする些細なものまで。だから彼は真っ暗な部屋の中、二人が来るまで微動だにせず待機するしかなかったのである。
(続き)
「傍から見てたときから思ってたけど、改めて聞くと本当難儀だよなあお前」
「……これくらい、もう慣れたよ。それに今回は俺の自業自得でもあるんだし」
「え? 筆崎くん、私たちに何かした?」
「何かって、二人は覚えてるはずだよ。前に俺、無抵抗の君たちを殴ったじゃないか。今回の呼び出しだって、そのための復讐なんだろう?」
「ああ、そういや……ってか、あのときのこと、まだ引きずってたのか!?」
忘れていたわけではない。二人が処刑対象に定められて間もないころ、碌な抵抗もできないまま生徒たちにいじめ倒され、苦汁を舐めさせられたあの出来事だ。確かにあのとき剣太郎は、周囲の野次に命令されるまま麻衣と晃に暴力を振るっていた。
とは言っても小柄で華奢な体が繰り出す攻撃は大したダメージではなかったし、何より剣太郎があの野次に抵抗していれば、彼自身も酷い目に遭わされていただろうことは二人も理解していた。
「あのなあ。筆崎はあのとき、自分から殴ろうとしたわけじゃねえんだろ? 何の非もねえ奴に復讐なんてするかよ」
「え……そうなの? ……でも、俺が二人に手を上げた事実は変わらないじゃないか。その時点で俺はあいつらと同列だよ」
「確かにね。でも、いじめの加害者ってのは大抵、誰かを傷つけた自覚がないものよ。逆に言えば、今の今までずっと悩んでた筆崎くんは加害者なんかじゃないわ」
「そういうこった。とにかく、俺たちが今日呼び出したのは、お前をボコるとかいじめるとかそういうためじゃねえ。それだけは理解しといてくれ」
「はあ……。でもそれじゃあ、どうして俺を……」
剣太郎からの警戒心はようやく解けたが、今度は自分が呼び出された理由について疑念を向けられる。
本題を切り出すなら今だろう。麻衣と晃は互いに目配せを送り合ってから、今度は自分たちの事情を話し出した。
「単刀直入に言うわ。筆崎くん、私たちと協力してほしいの」
「き、協力って……まさか、生徒会長に立ち向かえって? 無茶だよ、そんなの」
「まあ、その返事は予想してたわ。とはいっても、準備も整ってないうちから即革命を起こすわけじゃない。それ以前に私たち……いえ、全てのD組やE組にとって重大な問題が立ちはだかっているのよ」
「D組やE組……。もしかして、今回の期末考査かい?」
「そう。もしテスト点数がの合格ラインに届かなかったら、夏休み全返上の補習で革命どころじゃなくなるわ。そうならないように、今は一人でも賢い人の頭が欲しいの。例えば元C組のあなたみたいな、ね」
「…………」
「革命自体の返事はすぐじゃなくていいわ。今はただ、テスト勉強に付き合うと思って力を貸してほしい。……頼めるかしら?」
麻衣の切な懇願を最後に、部屋の中に静寂が落ちる。テレビ映像の小さい音声だけが流れる中、二人は剣太郎の返答を待った。
そうして長い数分後、やっと結論がまとまったらしい剣太郎が躊躇いがちに口を開く。
「……分かったよ。テスト勉強くらいなら、教えられないこともないと思うから」
「ほ、本当!?」
「よっしゃあ! サンキュー筆崎、これで俺たちの勝ち確だぜ!」
「まだ勉強もしてないのに気が早過ぎよ、晃くん」
「で、でも、一つだけ断らせて」
肯定の返事をもらい、早速喜ぶ革命組。晃に至っては既に考査に合格したかのようなテンションだ。しかしそんな二人の早合点に、剣太郎は慌てて水を打つ。
「俺が協力するのはテスト勉強までだ。革命まで付き合うことは、できない」
「えー? せめて期末終わるまではもうちょっと考えといてくれよ!」
「……残念だけど仕方ないわよ。去年から会長派の奴らにずっと迫害されてきたんだもの、筆崎くんの気持ちも分かるわ」
「だからってなあ、お前……!」
(続く)
(続き)
かつて所属していた広報部が強制廃部となってから早数ヶ月。百合香の恐怖と権力を十二分に思い知らされた剣太郎が、革命の加勢を拒むのは半ば想定できたことだ。
しかし生憎、晃は単純で直情的な性格の持ち主だった。目の前にぶら下がっている蜘蛛の糸を掴まない理由が、理屈では分かっていても感情では納得できなかった。
「うじうじすんのもいい加減にしろよ!! お前の部長の弟だって、今この瞬間にも生徒会長に吠え面かかせようと動いてるんだぞ!? 部員のお前がそんなんでどうすんだ!」
「こ、晃くん! ちょっと落ち着いて!」
「だってなあ、麻衣! 目の前にチャンスがあるのにビビッて何もしないんだぜ!? 情けないったらありゃしねえ!」
「そうじゃなくて! その、天本先輩の弟のこと……!」
「え? あっ」
勢いのまま椎哉の存在に言及してしまったことに気づき、晃はあわてて口を閉じる。一方剣太郎は、今まで俯いていた顔すら上げて彼の発言に目を丸くしていた。
「まさか君たち……部長の弟さんのこと、知ってるの?」
「あーその。ま、まあな? 筆崎は会ったことねえのか?」
「うん。弟さんがいること自体は部長から聞いたけど、どんな人かまでは知らない。……じゃあ弟さんは今、君たちの革命に協力してるってこと?」
「うーん……まあ、そうだな。一応色々世話にはなってるし」
正しくは協力というより共闘なのだが。しかし初めて積極的な態度を見せた剣太郎の前で、そういった細かな相違を否定する気にはならなかった。
晃の回答を受けた剣太郎は、再び黙り込んで自分の思考に集中する。そして今度は短い数分間の後に答えを出した。
「……ねえ。革命に付き合うかどうかの返事、やっぱり保留でいい?」
「いいの? さっきあんなに乗り気じゃなかったのに……」
「あ、飽くまで保留だからね? でも、部長の弟さんが一緒なら、少しは可能性があるかなって思って……」
「なんだよー。お前もそれなりに度胸あるんじゃねえか!」
「いてっ!?」
剣太郎の声色は、相変わらず自信なさげだ。しかし彼は確かに、他者からの強制ではなく自らの意志で蜘蛛の糸を掴んだ。
僅かながら前進を見せた彼の背を、晃は満足げな笑みを浮かべながら強く叩いたのだった。
「ところで……テスト勉強をするとは言ったけど、俺はどうすればいいの?」
「ああ。場所は大体決まってるけど、日時はまだ未定だな。詳しくは俺たちからまた連絡すっから」
「それともう一つ。当日待ち合わせ場所に集合するときまでに、どうか強い心を用意してきてね」
「? わ、分かった。」
まさか広報部部長の弟が、現生徒会に所属する書記とは思うまい。
剣太郎の度胸がショックで吹っ飛ばないよう、今の麻衣には遠回しな助言を与えることしかできなかった。
椎哉が企画した反逆勢力たちの勉強会は、学園中に下位学級学力補完計画が通告されたその週のうちに開催されることとなった。
主催である椎哉が指定した集合時間は土曜日の朝の八時。平日の登校よりも早い時間に一部の参加者は文句をこぼし、それでも五分前には全員が、待ち合わせ場所の部屋があるマンションの廊下を歩いていた。
「あーあ、何が悲しくて休日の朝っぱらからテスト勉強なんぞしなきゃいけないんだ」
「軟弱ですね、晃。この程度の早起きで根を上げていたら先が思いやられます」
「尤もだけど……。病院のときと言い、どうして彼の待ち合わせはこうも自分本位なのかしら」
大あくびをしながら愚痴をこぼす松葉晃と、しまりのない異父兄弟に鞭を入れる一葉法正。そんな彼の言い分に頷きつつ、自らも眠い目をこする藤野真凛。
「も、もしかしたら前回みたいに、何かしらの事情があってのことかもしれませんよ?」
「どうだろう? 笹川先輩も言ってたけど、あの人って良くも悪くも何考えてるか分からないからなあ」
気が立っているように見えた真凛を嗜めようと、椎哉のフォローに回る白野恵里。対して復活派としての彼を目の当たりにしたことがないため、半信半疑に首を捻る戸塚亜衣。
「四の五の言っても仕方ないわ。どの道行けば分かることでしょうし、ここまで来て私たちに危害を加える真似はしないはずよ。……で、そろそろ心の準備はいい? 筆崎くん」
「こ、心はいいんだけど……。その、お腹の方が……ううっ」
緊張のあまり胃腸の調子が悪くなり、前屈みに腹を抱える筆崎剣太郎。そんな精神的に打たれ弱い彼の体質に溜め息をつく板橋麻衣。
――以上七名が、今回の勉強会に参加する復活派の同志たちである。
「ところで板橋先輩。本当にこの『白羽ハイツ』で間違ってないんでしょうか?」
「うん。確かにここの313号室だって聞いたけど……。どうして?」
「いえ、その……疑ってるとかじゃなくて、単にこの人数で押しかけて大丈夫かなあと……」
語尾をフェードアウトさせながら、恵里は廊下に並ぶ個室の扉に視線を移す。その動作で麻衣は、彼女が何を言いたいのかを悟った。
椎哉が指定した集合場所「白羽ハイツ」は、白羽町に建つ集合住宅の中でもランクが高い方に入る物件だ。マンションの位が高ければ住居面積も広いのだろうが、それでもこちらは高校生が七人。そんな団体が一つの部屋へ一度に訪問するのは迷惑かもしれないという、心配性な恵里ならではの懸念だった。
「いいじゃない。向こうが来てくれって言ってるんだから、遠慮することなんてないわ」
「ふ、藤野先輩……」
「大体あなたは何かとネガティブすぎるの。もっと胸を張ってなきゃ、革命以前に会長派の奴らに舐められるわよ」
「……だからと言って、図に乗り過ぎて出席停止を喰らうのも考え物ですがね」
「なんですって一葉法正!?」
「まあまあまあ。あっ、313号室ってあれじゃないですか!?」
法正の嫌味と真凛の地獄耳による衝突を阻むように、亜衣は少々わざとらしい仕草で近くの部屋を指さした。
彼女の言う通り、扉の横には「313」と書かれた部屋番号のプレートが。さらにその下には、この部屋の住人の名前――「天本千明」の名前も書かれていた。
思いがけない場所で見た処刑対象の名に、七人は一斉にざわめく。その中でも一際目を見開いて驚愕したのは剣太郎だ。
「これって……まさかここは、部長の家!?」
「なるほど。処刑された家主の部屋で、その弟が開く勉強会という名の集いですか。中々の悪趣味ですね」
「でもよ法正。逆に考えりゃあ、これほど俺たちにぴったりなシチュエーションもそうそうねえだろ?」
晃が皮肉交じりに、にいっと口の端を釣り上げる。彼の意見に同意するように法正もフッと不敵な笑みをこぼした。
だがその一方、剣太郎の動揺は傍目でも分かるほど悪化していた。自分以外の六人と部屋の扉をおろおろと何度も交互に見ている。
そんな彼の挙動不審さに気づいた真凛は、何かを閃いたのか少し意地の悪いにやけ顔を浮かべる。
(続く)
(続き)
「ははーん。まさかあなた、部長さんに片想いしてるわけ?」
「なっ!? いや、そ、そんな! 俺なんかが部長に片想いだなんて、お、お、おこがましいです!」
「えっ、筆崎先輩が天本先輩に恋してるって? それは是非とも詳しく聞かせてほしいですねえ〜」
「待って! そんなんじゃないんだって! 勝手に話を広めないでー!!」
先輩の恋愛事情に興味津々な亜衣と、耳まで真っ赤にしながら慌てふためく剣太郎。二人の様子に真凛はクスクスと愉快そうに笑い、しかしすぐに憂鬱な溜息を吐き出した。
「青春ねえ。まあそれも、風花百合香のせいで叶うことはないんでしょうけど」
「そうですね……。仮に筆崎くんが告白しようと思っても、その天本先輩はもう……」
今も病院のベッドで眠っているであろう千明の顔を思い出し、麻衣はやるせない感情を抱える。しかしその返答に、真凛は一度首を横に振った。
「彼だけじゃないわ。あの女のせいで私たちは処刑対象なんてものにされてるし、文芸部の奴らは強制廃部にされかけたし、何よりほとんどの生徒や教師が真っ当な学園生活を送ることさえできてないのよ」
だからね。と一呼吸置いてから、真凛は麻衣の目を真っ直ぐ見つめた。改めて向けられたその真剣さに、麻衣は僅かに息を呑む。
「誰かがなんとかしない限り、白羽学園はこれからも一生狂ったままだわ。全ての元凶である風花百合香を打ち倒すためにも、私たちが頑張らなくちゃ」
「……はい。分かっています」
未だに心の奥底に残る不安を肯定の返事で押さえつけ、麻衣は深く頷いた。そして三者三様に騒いでいる他の五人を見渡すと、深呼吸をしてから声をあげた。
「みんな。そろそろ時間だけど、準備はいい?」
「あっ、はーい! OKです!」
「い、いつでも大丈夫です……!」
「はあ……。俺は構わないよ」
「同じく。問題がないならさっさと行きましょう」
「ああ。行こうぜ、麻衣!」
意気込みこそ個人差があるが、覚悟は全員整ったようだ。準備万端な彼らに麻衣は頷くと、意を決してインターホンを押し――。
「さっきからガチャガチャガチャガチャうるせえんだよクソガキ共が!!」
「!?」
――チャイムが鳴り終わる前に扉を開けたのは、主催の椎哉ではなく、顔を真っ赤にして激怒する大柄な老人だった。
「ひっ!? だ、誰ですかこの人……!?」
「わ、私に聞かれても……! 部屋は間違ってないはずよね、ね?」
「っていうか、なんかすごい怒ってますよ! ど、どどどどうしよう!?」
「おい! 筆崎気絶してるぞ!?」
予想だにしていなかった別人の登場とその怒鳴り声に、一行は完全に委縮してしまう。剣太郎に至ってはあまりの気迫に気を失ってしまったようだ。
目前の脅威にどうにかして対処しようと彼女たちはひそひそと相談し合うが、その間にも老人の怒りは増々沸騰していく。
「人ん家の玄関前で騒いでたと思いきや、今度は人前で何をコソコソ話してんだ!! あ゛あ!?」
「す、すみません! 騒がしくするつもりじゃ……」
「謝罪はいらねえんだよ! まず用があんのかねえのかハッキリしろ! ないならとっととどっかに失せちまえ!!」
「ごめんなさ……じゃなくて、そ、その、安部野椎哉って人がここにいるって聞いたんですが……!」
老人の怒号を浴びながら、それでも麻衣はなんとか彼との対話を試みる。すると椎哉の名前を出した途端、彼ははたと罵声を止めた。そして訝しさが物理的に刻まれたような皺だらけの顔で、老人は麻衣たちをまじまじと見つめる。
「……おめえら、しいちゃんの知り合いか?」
「へ? し、しいちゃんって……?」
「馬鹿言え、しいちゃんっつったら天本ちゃん家の椎哉ちゃんに決まってんだろ。で、結局どっちだ? 知ってんのか知らねえのか」
「し、知り合いです! というか、同じ学園の先輩です」
まるで子供のような椎哉のあだ名に内心吹き出しそうになったが、それは咄嗟に抑えて老人の問いに頷く。
麻衣の回答に彼はほう、と声を漏らすと、おもむろに玄関に置いてあったサンダルを履いて部屋の外に出た。そしてそのまま、扉を閉めて施錠する。
(続く)
(続き)
「あ、あのー。私たち、安部野先輩と勉強会をするために来たんですけど……」
「へいへい、しいちゃんから言われとるわ。ついでにおめえらをしいちゃん家まで送ってくようにもな」
「えっ、そうだったんですか!?」
椎哉本人から聞かされていなかった情報に、麻衣は素っ頓狂な声を上げる。てっきりここが勉強会の会場になるものだと思っていたが、椎哉が計画していたプランは別物らしい。
目を丸くする麻衣と文芸部組の後ろで、この展開を半ば予想していた真凛と晃、法正は肩を竦めていた。
「……まあ、こんなパターンだとは思っていたわ」
「あのさあ……俺、後で安部野先輩に文句言っていいか?」
「いいんじゃないですか? 今回の非は説明を怠った彼に責任がありますし」
「おら、さっさとついて来い。早く乗らねえと置いてくぞ」
小声で交わされる椎哉への恨み節には気づかず、老人は倒れていた剣太郎を米俵のように担ぐとロビーの方へと歩いて行く。老人の振る舞いに麻衣たちは戸惑いつつも、一先ず指示通りに彼の後をついて行った。
◆ ◆ ◆
「うーん……。大きな雲……星が目に…………はっ」
「あっ、起きましたか? 筆崎先輩」
「し、白野さん? うう、俺は一体何を……」
剣太郎が目を覚ますと、そこは緑色の布で覆われた空間だった。また、床は白い金属でできており、彼はここで倒れていたらしい。
千明名義の部屋から激怒した老人が出てきたことまでは覚えているが、それがどうしてこんなところに寝そべっていたのだろうか。訳が分からず首を捻っていると、恵里が布の一方を指さしながら声をかけてくる。
「とりあえず外に降りましょう。他の先輩たちも先に行ってますから」
「え? う、うん。分かった」
恵里が指さした部分の布には長方形型の穴が開いていた。まだ状況をきちんと把握できないまま、剣太郎は一先ず言われた通り恵里と共に穴の外へ出る。金属の床は地面よりかなり高い位置にあったため、小柄な二人は半ば飛び降りるようにして地面に着地した。
両足が地面についたところで、剣太郎は顔を上げてようやく周囲の様子を確認する。そして彼は自分の目を疑った。
「……こ、ここは?」
穴から出た先は、家屋の数もまばらな田園風景だった。360度見渡すことができる山々の緑が目に優しい。道路こそアスファルトで舗装されているものの、白羽町と比較すれば完全な田舎と言っていいだろう。
さらに辺りを見回すと、軽トラックの後ろ姿が剣太郎たちの背後にあった。その後方にはこれまた緑色のマットが張られており、先ほど倒れていた空間はこの荷台の中だったことが分かる。
「あ、あのー、白野さん。俺、あれからどうして……」
「おや、目が覚めましたか。筆崎さん」
「!?」
恵里に声をかけようとしたところで逆に自分が声をかけられ、剣太郎の息が一瞬止まった。彼に話しかけてきたのは、あの百合香が率いる生徒会の一員、安部野椎哉だ。
剣太郎にとっては天敵である存在の登場により、彼はまさに蛇に睨まれた蛙のような状態になってしまう。そんな彼の緊張を解くため、恵里は椎哉のフォローに回った。
「大丈夫ですよ、筆崎先輩。安部野先輩は私たちの敵じゃありませんから」
「へ? 味方って、生徒会の人なのに?」
「ご存じありませんでしたか? 今回の勉強会は僕が企画したものなんですよ。僕を含めた、現生徒会長に対する反逆勢力の皆さんに集まっていただくためにね」
「は、反逆!? ……じゃあ、板橋さんたちが言ってた『部長の弟』さんって、まさか……!」
震える手で椎哉を指さしながら、はくはくと口を震わせる剣太郎。彼が口走った事実を肯定するように、椎哉は黙って害意のない微笑みを見せた。
すると今度は椎哉に、あの老人から声がかかる。先ほど怒声を浴びせられた経験から恵里と剣太郎は反射的に身を固くするが、椎哉だけは臆することもなく親しげに返事を返す。
(続く)
(続き)
「おーい、しいちゃん。全員降りたか?」
「うん。もう大丈夫だよ、風助おじさん。折角休みだったのに悪いね」
「構やしねえよ。全員でぞろぞろ歩いてたら、学園のクソガキ共に見つかっちまうかもしれねえんだろ? だったらこいつらの送迎ぐれえ朝飯前ってもんだ」
「本当に助かるよ。帰る時間になったらまた連絡するから、そのときはまたよろしく」
「……ん? 送迎って……」
剣太郎たちが乗っていた軽トラック。風助と呼ばれた老人の「送迎」という発言。それらを合わせて考えると、自分たちは軽トラックの荷台で運ばれてここまで来たということになる。車の荷台に人を乗せて走行する行為は通常、道路交通法に違反するのだが。
そんな疑問が湧いた剣太郎は、ふと隣の恵里に目線を移す。彼の顔色から言いたいことを悟ったらしい恵里は、困ったような笑顔を浮かべながら立てた人差し指を口元に当てた。今回の違反事項には目をつむっておこう、ということだろうか。
「おい、眼鏡のガキ」
「はいっ!?」
油断していたところに特徴を指定されて呼ばれ、思わず声が裏返る剣太郎。再び怒鳴られるのかと剣太郎はガタガタと怯えるが、そんな彼の不安に対し、風助の声量と敵意は初対面のときと比べて大分収まっていた。
「他の奴らにゃあ既に言ったことだが、おめえは寝てやがったからな。改めて言っとくぞ」
「なななな、なんでしょうか……?」
「一度こっち側についたからにゃ、あの猿山女(さるやまおんな)を徹底的にぶっ潰せ。暴力、知力、権力、財力、なんでもいい。とにかく二度とお天道さんを拝めねえぐらい、ボッコボコのギッタンギッタンのケチョンケチョンにしろ。いいな?」
「……さ、猿山女?」
「それとだ。万が一しいちゃんを裏切るような真似をすりゃあ、俺たちが承知しねえ。分かったな?」
「わ、分かりましたっ!」
聞き慣れない単語の意味するところが分からず、一先ず理解できた部分だけに咄嗟の承諾をする。すると風助はその返答で満足したのか、一度だけ深く頷いてから軽トラックに乗るとそのまま道路の向こうへ走り去っていった。
ようやく嵐が過ぎ去ったと言いたげな面持ちで、恵里と剣太郎は小さくなっていく軽トラックを見送ったのだった。
「さて、他の皆さんは既に中でお待ちです。行きましょうか。白野さん、筆崎さん」
二人が安堵した頃合いを見計らって、椎哉はすぐ近くに建っていた、比較的新しい造りの一戸建てを指先で示す。ここが本日の勉強会の会場となる、椎哉の自宅であった。
「全員揃いましたね」
「おう」
椎哉が剣太郎と恵里を家に上げてから、既に勉強会を始めていた晃たち。
尚、晃はまだ一問も解いていないのだが。
「松葉晃、あなたは真面目にあの女に報復する気はあるんですか?
この程度の問題すら解けないような……」
「法正、いくら何でもお前の教え方は擬音語だらけで理解出来ねえよ。
なんだよドワーンって。数学の公式にドワーンってなんだよ。」
「……始まって早々にこれですか。」
晃と法正が早速噛み合っていないのを見て、椎哉は呆れる。
「つーか、さっきあの爺さん見てたら凄いビビって漏らしそうになったからトイレ行きたいんだったわ俺……」
晃はいきなり立ち上がりながら言う。
「トイレなら向こうにあります」
話題を振る前からトイレに立とうとする晃を見て、椎哉は二度目のため息をつきながら案内。
晃はトイレにスタスタと向かっていく。のんきな人だな……と思いながら椎哉は勉強のためのワークを開く。
法正は既に一人で解いている。
「にしし、案外上手く行ったなこりゃ。」
トイレに行っていた男―
松葉晃はトイレに入って呟いた。
実はこの男、トイレに行きたいなどは全くの嘘であり、完全に下心の塊だった。
「流石に真面目なお堅い生徒会長の側近でも、やましいものの一つや二つでも……」
晃は勉強会で集まっているリビングを通らないように、コソコソと歩き始める。
最早ここまで来るとふざけているレベルだが、椎哉の家の中に何か使える手がかりでもあるんじゃないか、という行動も含まれているのだ。
「ん?なんかやけに開けて欲しくなさそうな魔力が宿ってる引き出しだな……
開けてみるか……よっ」
晃は小さな部屋の中にある引き出しを開けてみる。
その中を見てみると。
「げっ……こりゃ見ちゃいけない奴だっ―」
晃の独り言は、そこであっさりと途切れてしまった。
さ
234:ABN 六月第一土曜日/お昼近く/椎哉の家、小部屋:2018/04/21(土) 08:30 ※話を繋げやすくするため、前回最後の晃くんの台詞と矛盾させた部分があります。
※晃くんが非常識な振る舞いをしています。べるなにさんすみません;
晃が小部屋の机を漁っていたころ。集中力が切れた麻衣は自主的な小休憩を挟んでいた。
ノートから顔を離し、天井を仰ぎ見るように凝り固まった体を伸ばす。そこで麻衣は、ふと違和感を覚えた。
「……ねえ。一葉くん、筆崎くん。男子の部屋って、こんなシンプルなものなの?」
「へ? う、うーん……俺の部屋は、それなりに散らかってるけど……」
「僕はノーコメントで。どうしてそんなことを聞くんですか? 板橋さん」
「ううん、大したことじゃないんだけど……。なんだかこのリビング、やけに殺風景な気がしない?」
麻衣のその言葉で、この場に残っていた面子は改めて室内を見渡す。すると麻衣が口にした違和感の正体を、彼らも共有することができた。
テレビ、時計、ダイニングテーブル、椅子やソファーなど。通常リビングにあるはずの家具が、この部屋にはほとんど置いていないのである。新生活で引っ越した直後のような密度の低さは、どこか薄ら寒ささえ覚える。
「殺風景というか……圧倒的に物が少ないんですね」
「そう、それよ白野さん。もしかして、安部野先輩の家って貧乏……?」
「その可能性はないでしょう。経済的に困窮しているなら白羽学園の高額な学費を払うことは困難ですし、こんな一戸建てに住んでいるのもおかしい。それに今日の勉強会のために、わざわざ家具や飲食物を買い揃える真似はしないはず」
現在麻衣たちは、座布団に座りながら大きめのちゃぶ台の上で教科書などを広げているのだが、それらの家具はつい最近購入したばかりのように真新しい。この状況と合わせると、まるで今日のために即席で調達したもののように思える。
また、椎哉は勉強の合間に召し上がってほしいと、ペットボトルのお茶を人数分と市販の茶菓子を用意していた。金銭的な余裕がなければ、このような気遣いは難しいだろう。
「だとしたら……そもそも安部野先輩に物欲がないとか、でしょうか?」
「確かに安部野先輩って、私用で何かを欲しがるイメージがないわよね……。でも、そんな無欲恬淡な人って本当にいるの?」
「いえ、彼の気持ちは分かります。報復に心身を費やすと、得てして他の物事はどうでもよくなるものですから」
元友人の拓也に傷を負わされたときから、法正は百合香と拓也への復讐に心血を注いできた。それに伴い、今まで興味を抱いてきた趣味や娯楽も些事だと考えるようになったのだ。こんなものに時間や労力を割く余裕があるなら、来るべき日に女王へ大打撃を与えられるよう有意義な行動を取るべきだと。
ゆえに法正にとって、同じ志を持つ椎哉の心理を想像することは容易いことだった。
「もしこの見立てが正解なら、彼もそれ相応の憎悪を抱えているはず。だとすれば、より凄惨な復讐を行うことも夢ではない……。安部野椎哉、共闘相手としては不足ないですね」
「ひ、ひええ……」
改めて理解した椎哉の有望さに、法正の口の端はにやりと吊り上がる。凶悪な彼の表情を目の当たりにした麻衣たちは思わず震え上がったのだった。
閑話休題。
◆ ◆ ◆
「ちょっ、松葉先輩! 何やってるんですか!?」
「うおっ!? ……って、戸塚か。脅かすなよー」
部屋の入口から突如声がかかり、晃の探索と独り言は中断される。しかし自分を見咎めた人物がここの家主ではないことを認識すると、彼はほっと胸を撫で下ろした。
リビングに残っていた参加者たちが部屋の殺風景さについて考察していたとき、不在だったのは晃だけではなかったのだ。彼がトイレに行くという建前でリビングから抜け出したあと、亜衣も外の空気を吸おうと思い席を外したのである。しかしその途中でトイレとは別方向へ向かう晃の背中に気づき、咄嗟にその後を追いかけたのだった。
(続く)
(続き)
「脅かすなよー、じゃありませんよ! 人ん家の部屋を勝手に漁るなんて……」
「仕方ねえだろー。だってあの生徒会書記様の家だぜ? お前だって興味ぐらいあるんじゃねえの?」
「そ、それはまあ……否定しませんけど」
「だろ? そう思うんならちょっとぐらい覗いとこうぜ。ちょっとヤバいもんも見つけたしよ……」
潜めた声と共に引き出しから取り出されたのは、数十通はある封筒の束。晃はそれを半分ずつに分けると、亜衣にその片方を半ば無理矢理に手渡した。押し付けられた他人宛ての手紙を読むわけにもいかず、亜衣は封筒を持て余しながら狼狽える。
「松葉先輩! 引き出しどころか手紙まで読むなんて失礼にもほどが……ああもう……!」
常識的な亜衣の叱責も、野次馬魂に満ちた晃には馬耳東風。彼は自分の手元に残したもう半分の束から一通の封筒を選ぶと、そこ中から便箋をなんの躊躇もなく引き抜いて広げる。
何を言っても手ごたえのない非常識な先輩に呆れ果て、亜衣はがっくりとうなだれた。
「……ん? あれ、この名前……」
頭を下に向けたとき、手元の封筒に書かれていた名前が目に入る。亜衣は少しだけ迷った後、表を見るだけなら問題ないだろうとその封筒を片手に取った。
宛先は安部野椎哉。差出人は「猪高風助(いだかふうすけ)」。後者の名前は、先ほど勉強会の参加者たちを軽トラックで送迎した、あの怒りっぽい老人のものだ。ここに到着した後、彼の素性について椎哉から簡単な紹介を聞いていたため、亜衣も老人の名前を把握することができた。
あんな短気な人物がこんなに大量の手紙を書いたのかと疑問に思い、亜衣はもう少し他の封筒を調べる。すると手紙の差出人は彼だけではなく、他にも複数人から送られていることが分かった。重複して送られている分を除いても、ざっと二十五人は下らないだろう。
その一方。何か目ぼしいものを見つけたのか晃はニヤニヤと笑いながら、今度は数枚の便箋を再び亜衣に差し出す。
「なあなあ、こいつとか大分ヤバいぜ? ちょっと読んでみろよ」
「読みませんってば! 読みたいなら先輩だけで勝手にしてください!」
「そーかそーか、なら別にいいぜ。俺が音読してやっから」
「だーかーらー! ふざけるのもいい加減に……!」
亜衣の制止にも関わらず、無許可で一枚の手紙を声に出して読み始める晃。こうなればせめて文章だけは聞くまいと、亜衣は咄嗟に自分の耳を塞いだ。
しかし人間の手のひらに十分な防音効果はなく、どうしても鼓膜まで届く文節を頭が聞き解いてしてしまう。そうしてある程度まで手紙の内容を理解したとき、亜衣は思わず絶句した。
――――
――拝啓、しいちゃんへ。
あなたが白羽学園に編入して早くも一月が経ちましたが、お元気でしょうか? 薄汚い都会の空気や、図々しい学園の小童どもに囲まれて、心身を崩してはいないでしょうか?
村人たちは毎日のように、しいちゃんのことを心配しています。また、例の風花百合香という小娘への憎しみで、心を乱す村人たちも少なくありません。中には心配や憎しみのあまり、その日の仕事も手につかない人も出るくらいです。
それでも私たちは、しいちゃんに全てを任せると決めました。より確実で残酷な鉄槌をあの小娘に下すため、仇敵だらけの白羽学園に単身で挑んだ、あなたの覚悟を尊重することにしました。ちいちゃんを一番愛していたのも、ちいちゃんが貶められて一番悲しんだのも、弟であるしいちゃん、あなたであるはずですから。
ちいちゃんを愛し、風花百合香を憎む想いは私たちも一緒です。もし何か困ったことや助けてほしいことがあれば、いつでもこちらまで連絡をください。村人全員、喜んであなたに力を貸します。
ですからどうか、己が犯した愚行の重さを、私たちの子供を貶めた罪を、学園という猿山で女王を気取るメス猿とその信者たちにとくと思い知らせてあげてください。
一日も早い白羽学園の没落と風花百合香の破滅、そしてしいちゃんの帰郷を心から待っています。
――――
(続く)
(続き)
「な? あの生徒会長を猿山のメス猿とか言ってるんだぜ。すっげー命知らずだよな、こいつら」
「いや、問題はそこじゃないですよ! それって処刑制度や会長のことが、外の人に知られてるってことじゃないですか!?」
白羽学園が百合香の独裁帝国と化している事実は、主に会長派の生徒や教師たちの不文律によって部外者には秘匿されている。そのおかげで学園は、今日まで大きな波風を立てずに存続することができたのだ。
しかしこの手紙によれば、「村」に住んでいる人々が白羽学園の内情を把握した上、百合香を憎んですらいることが読み取れる。この手紙の背景にどれほどの人々が存在するのかは分からないが、文中で村と言われている以上、決して少なくない人数ではあるだろう。
「あ、そうなんのか。ってことは……た、確かに不味いな」
「でしょう? こんなことが会長派にバレたら……下手をすれば、今まで以上の犠牲が出るかもしれません」
「百合香への復讐は椎哉に任せる」という主旨が書かれている以上、少なくとも村の人間が学園へ直接赴くことはないだろう。だから村人による暴動やそれに伴う混乱は心配しなくていいのだろうが。問題はそれ以外にもある。
百合香に楯突いた者には、もれなく徹底的な制裁が与えられる。その対象は反抗した当人だけでなく、家族や知人にまで及ぶことも珍しくない。もし椎哉が反逆勢力であることが発覚し、彼の背後に百合香を憎む者たちが存在すると知られた日には、村に大量の血の雨が降ることになるだろう。
かつて家族と共に抹殺された、処刑制度の犠牲者の一人、木嶋京子の末路が晃と亜衣の脳裏に浮かぶ。彼女たちの二の舞に椎哉と村人たちが陥るのではないかと、二人は青ざめた顔を互いに見合わせた。
(お久しぶりです、すみません! 書きたいことはあったのですが、なかなかタイミングをつかむことが出来ず……ひとまず、この更新で書けることは書こうと思います)
勉強っていうのは、それなりの環境下ならばちゃんと進むものらしい。文字と式と図形とアルファベットで埋まったノートをパラパラ見返し、恵里はその成果に感心した。そして同時に、たった今まで維持していた集中力が切れていくのが分かった。
―― 先輩に呼ばれて朝早くから、トラックに積まれて誘拐(?)されて、倒れた人を介抱して、よく分からないけれど勉強会が始まって。
周りの人も集中できなくなったようで、思い思いに休憩している。
安部野先輩は別の部屋に行っていて。
松葉先輩はトイレから帰ってこない。
探しに言った亜衣も、やっぱり帰ってこない。
一葉先輩はなにやらブツブツ呟いているし。
藤野先輩と板橋先輩は、お互いの文房具をいじっているし。
筆崎先輩は……相変わらず、ずっと自分のポジションから動かない。
要するに恵里は、ヒマだった。
(うーん……皆さんにお話ししておきたい事があるんだけど……どうしよう、せめて松葉先輩だけは戻ってきてくれないかな……?)
現在この部屋にいないのは3人。にもかかわらず松葉先輩だけは、と考えたのには理由がある。
まぁ、単純なものだ。亜衣には後から話せばいいのだから。
(それに安部野先輩には……あんまり、話したくないんだよね……)
❅恵里視点❅
どうしよう……。
私は頭を抱えた。もちろん、心の中で。
いやいや、分かってますよ、ちゃんと今日中にお伝えしますって。でもやっぱり、いろいろと気にしちゃうんですよ。
亜衣には先に言っておいた方が良かったのかなぁ、とか。
安部野先輩にはちょっと言いずらいなぁ、とか。
松葉先輩に言ってしまっても大丈夫かなぁ。
一葉先輩に何て言われるだろう?
筆崎先輩、また倒れたりしないといいなぁ。
板橋先輩や藤野先輩に、黙っていてすみませんって謝らなきゃ、とか。
そして……
本当に、言ってしまっていいのだろうか、と、今も悩んでる。
「……よぅ」
「戻りました……」
松葉先輩と亜衣が帰ってきた。なぜか顔色が優れない。
藤野先輩たちも気づいたようで、何かあったのか、と質問する。亜衣たちは後ろめたそうな顔をした。語尾を濁らせ、曖昧な返事。
それぞれの場所で過ごしていた先輩たちが、不思議そうに集まってくる。
けれど亜衣たちは、やっぱり言いたくないようだった。暗い顔をして、困ってる。
あぁもう、仕方がない。安部野先輩がいないのだから、ちょうどいいじゃないか。
やけくそ気味になりつつも、私は周囲に呼びかけた。
「あの……休憩中、すみません。皆さんに、お知らせがあります」
みんなが一斉に、私の方を向く。わりと苦手なシチュエーション。
「わたしたち『学園復活派』に、とある人が協力してくれることになりました」
安部野先輩が戻ってきませんように。
誰かに盗聴されていませんように。
この中の誰かが、他人にバラしたりしませんように。
頭の片隅でそう祈りつつ、私は事の次第を話し始める。
晃と亜衣がリビングに戻り、椎哉が小部屋の中を覗いたタイミングは奇しくも入れ違いとなった。そのおかげで三人が一堂に鉢合わせることはなかったものの、それでも椎哉はこの家の家主。僅かに移動した家具や引き出しに気づくのは容易だった。
「何か物音が聞こえたと思ったけど……やっぱりか」
昼食用の菓子パンやサンドイッチなどが入ったコンビニ袋を一旦机の上に置き、その引き出しを開ける。綺麗に揃えて重ねておいたはずの手紙の束は、まるで急いでまとめたかのように乱れていた。
椎哉が昼食を取りに席を立ったとき、リビングから離れていたのは晃と亜衣。二人のうちこんな不躾な真似をし得る人物といえば――。
「……ま、いいか。今日呼んだ人らには見られても特に困らないものだし。むしろこれはこれで……」
客人の無礼に椎哉は眉根をひそめるが、間もなくして何かを思いついたのかクスリと微笑む。すると彼は手紙を何通か取り出し、机の上に置かれていた小さな写真立ても手に取った。そうしてからゆっくりと部屋の扉を閉めると、何事もなかったかのように椎哉もリビングへと戻っていったのだった。
(ほんっっとにお久しぶりです、すみません! お待たせしました、回収です……)
【毎度おなじみ恵里視点】
「私たち『学園復活派』に、とある人が協力してくれることになりました」
と言ったは良いものの、どうしたらいいんでしょう……。
驚き、疑い、好奇心。色々な視線が全部で6組。うわぁ、焦る。めっちゃ焦る。
ていうか、どこから説明するべきなのか……。
「と、とりあえず、聞かせてくれる? 色々気になるし、ね」
板橋先輩のフォローが入る。亜衣は激しく頷き、藤野先輩は身を乗り出す。
「あまり話すの得意じゃなくて、まとまらないし、結構長いんですけど……その、」
「いいから、早く。このタイミングで切り出すっつーことは、あの書記サンに聞かれたくないんだろ?」
「……それは、個人的な思いで、べつにどっちでも、いいっていうか」
「そんなの私だってどうでもいいわ。あの人、一応仲間だし。というか、とにかく話してもらわないと、なにも判断できないのだけど」
「ごめんなさい……」
藤野先輩におこられた。駄目だ、いつまで経っても変われない。変わってない。私は……変わらなきゃ、いけないのに。
「……えーりっ」
「ぇ、あ、亜衣?」
俯いていたら亜衣が肩をつかんだ。そのままぐっと背中を伸ばされる。
「話すと言ったらちゃんと話しなさい、有言実行、だいじ! 話せば、変わるから。学園、あたしたちが変えるんでしょ?」
「……うん、変える」
あぁもう……まったく、亜衣には敵わない。どうして亜衣は、私が言ってほしい言葉を言ってくれるんだろう。こんなにも、的確に。
まるで、そう……生徒会会計の神狩先輩————あの頃の、美紀みたいに。
「私たちの新しい協力者は、3-A、現生徒会会計の神狩美紀さんです……どうします?」
首をかしげて、ちょっとお茶目に訊いてみた。
しばらくの間、リビングには無音の空間が居座っていた。
前途多難。今日の勉強会で解いた国語の参考書、テスト形式ページ大問3の文学的文章、空欄に当てはまる四字熟語を選択するタイプの問題の、答え。
引っ掛けがあることにはあったけれど簡単な問題。シャープペンシルでBと書いて、私は2点を手に入れた。
ちなみにその2つ後の記述を解説してくれたのは安部野先輩である。
新たな協力者についての私の話を壁の向こうで聞いているのも、安部野先輩であるらしかった。
……素直じゃないなぁ。
(長らく更新がなかったので半ばもう諦めていました、ありがとうございます…!)
(スパンが長かったので、文体が本調子ではないかもしれません)
「……は、はあ!?」
最初に無音を破ったのは、晃の素っ頓狂な大声だった。彼は目と口を大きく開けたまま、恵里の方へちゃぶ台越しに体を乗り出す。ずいと勢いよく顔を近づけられ、思わず恵里はわずかに身を引いた。
「ちょっと待てよ! 会計の神狩っつったらバリッバリの会長派だろ? そいつが協力者だって!?」
「悪いけど、にわかには信じがたいわね。あんな風花百合香の腰巾着代表みたいな奴が、そうそう私たちの味方になるとは思えないわ」
「う……。お、仰る気持ちは分かります」
真凛の言い分は間違ってはいない。学園においての美紀といえば、百合香に付き従う忠実な部下の一人だ。さらに彼女と百合香は、子供の頃から親交があった幼馴染同士でもあるという。そこまで百合香に近しい人物が復活派に加勢すると突然言われても、信用を得られないのは仕方ないことだ。
予想していた反応とはいえ、感触の良くない手ごたえに恵里はうなだれる。そんな彼女をフォローするように、流れそうになった話を麻衣が繋げた。
「で……でも、白野さんたちの言うことが本当なら心強いんじゃない? 生徒会の味方が増えるのは頼もしいし、それにあの人なら安部野先輩よりは怪しまれずに済むかも……」
「そうですね。もっとも実際に味方に引き入れるかどうかは、彼女が加担するする理由にもよりますが。確か、結構長い話なんでしたっけ?」
法正は横目でちらりと恵里を見やる。その視線から話の続きを促す意図を受け取り、恵里は躊躇いながらもコクコクと頷いた。反応こそ三者三様であるものの、どうやらこの場の先輩たちは話を遮るつもりはなさそうだ。
「は、はい。そもそもの発端の出来事が、大分昔に遡るんですが……」
再度口を開きながら、リビングの扉の小窓に目を移す。壁の向こうの気配が動かないところを見ると、椎哉はこのまま恵里の話に聞き耳を立てるつもりらしい。恵里は一人気まずさを内心で覚えながらも、美紀が協力者となる経緯を説明し始めたのだった。
(うわああ、本編のみ更新で分かりにくかったですねすみませんっ
なんだか私の伏線にもお気遣いいただいたようで、ありがとうございます嬉しいです*)
【そろそろ慣れたね恵里視点 >>240続きから】
「大分昔に遡るんですが……」
そう、本当に昔の話。具体的に言うのなら、私が生まれた頃からのお話。
それでは初めに、皆さんに爆弾発言をプレゼント。
「まず、生徒会会計の神狩美紀先輩は、会長の幼馴染……ではありません」
チラと亜衣たちを見てみると。
は? という顔で固まっていた。
フリーズすること約3秒。
「え、ちょ、ちょっとストップ。神狩さんて、会長の幼馴染だから会長の手伝いしてるんじゃなかったっけ!?」
「そうだよ恵里! てゆーかあたし、恵里が会計さんと話してるの見たことない」
「正直、スパイとかじゃないか心配ですけど……」
うぐ、と言葉につまる。
「絶大な権力を持つ生徒会長の、幼馴染かつ補佐かつ腰巾着。自分と風花百合香は幼馴染だって、本人が言ってたことがあるけど。実は違いますなんて急には信じがた——
「でも! ほんとです。美紀は私の幼馴染なの! 美紀は、あんな人の手下なんかじゃない!!」
つい大声になってしまい、遮られた藤野先輩たちは変な顔。
「あ、す、すみません……でもホントなんです」
ぎゅ、と手を握り縮こまると、松葉先輩はしびれを切らしたようで。
「あのなー……分かったから早くしてくんねーか? わりと真面目に」
「そうだよ恵里ー。まいてまいて。めちゃ気になってるから」
「は、はい、ではあの、詳細は後日ということで、横槍禁止令でお願いします」
片津を吞んで身を乗り出す観客6名。壁の向こうで音漏れに耳を傾ける招かざる観客1名。
どちらにせよ、重大な話をするのには最高の状況。
私と、私の幼馴染の過去を告白するのなら、せいぜいドラマティックに頑張ろうじゃないか。
そして私は話し始めた。
「神狩先輩の家は、3つ隣のご近所さんでした————」
(美紀さんの過去が更新されるまでの穴埋めとしてちょっと別視点の話を……)
「ごめんなさい。あまりに急な事態だったから、まだ私たちも詳しいことは聞かされてなくて………」
「そう……。姉さんにも分からないのね」
閑話休題。復活派の面々が安部野邸で勉強会に勤しんでいたころ。休日のため人気の少ない白羽病院の一角で、月乃宮姉妹が声を潜めて語り合っていた。
彼女たちの話題は、先日死亡した木嶋京子の死因。それがすみれたち病院側の故意的な医療ミスだろうと百合香から言外にほのめかされ、憤慨したいばらは真相を確かめに姉の元へと赴いたのだ。しかし残念ながらその当ては外れ、いばらはため息とともに肩を落とす。
「ありがとう、いばら。私たちのことを心配してくれて。だからそんなに怒らないで?」
「無理よ。証拠もなしに医療ミスなんて決めつけられたら、病院や姉さんの評判が落ちるのは目に見えてるわ。そんなことになったら……!」
「いばら。落ち着きなさい」
「!」
姉への侮辱で煮え立っていたいばらの頭に、すみれの冷静な一声がかけられた。すっと妹を見据える彼女の目つきはいばら本人のように冷たく、だがその奥に見えるのは大人としての硬い意志。そんな姉の双眼に、いばらは息を飲んでたじろいだ。
「確かに、患者さんからの信用も病院にとっては大事だわ。自分の体や命を預けるところですもの」
「でしょう? その信用を失って、患者が来なくなったら経営が立ち行かなくなるわ。なのに、どうして……」
いばらの言葉に滲み出ているのは、親愛なる姉が社会的地位を失うことへの不安。そんな彼女の声色に構わず、すみれはゆっくりと首を横に振る。
「私たちは、お金や信用だけが目的で患者さんを診ているわけじゃない。本当に大事なのは『患者さんに対して責任を持つこと』よ」
「……!」
(続く)
(続き)
「木嶋さんが本当に医療ミスで亡くなったのなら、ちゃんとそれを公表して謝罪するべきだわ。最初こそ批判や酷評も出てくるでしょうけど、それは私たちの責任。厳しい言葉にも真摯に向き合えば、自ずと信用も回復するはず。むしろ失墜怖さに自分たちの不手際を隠蔽するやり方こそ、病院の風上にも置けないわ」
飽くまで自分自身の保身ではなく、患者の安心と信頼に重きを置く、医療人としての凛とした矜持。不正と欺瞞に塗れたどこかの生徒会長とはまるで大違いだ。
看護師の鑑のようなすみれの言葉に、いばらはようやく安堵の息をついた。
「……そこまで覚悟が決まっているなら、口出しする権利は私にはないわね。ごめんなさい、姉さん」
「いいのよ。いばらみたいな家族思いの妹がいてくれて、私は果報者だわ」
「いやそんな、感動するほどのことじゃないでしょう……」
「ちょっと、月乃宮さん!」
目元を潤ませたすみれがハンカチを取り出し、彼女の涙腺の緩さにいばらが呆れていた、そのとき。
廊下の遠くから重量の重い足音が、月乃宮姉妹の元へどたどたと近づいてくる。その主は二人の顔を見ると、むっと僅かに顔をしかめさせた。
「あらっ、お取込み中? 困ったわねえ、ちょっと急ぎの用なんだけど……」
「島江さん! すみません、もうちょっとだけ待っててください」
子供嫌いに定評のある島江だが、彼女も熟練看護師の一人。普段は若い患者の前でも露骨に表情を変えることはほとんどない。そんな島江がいばらの前で嫌な顔をしたということは、そもそも持ってきた要件が部外者の前では話しがたいことなのだろう。
それに気付いたすみれはすぐに話題を切り上げようと、いばらに一度向き直る。しかしいばらも島江の都合を察したらしく、自分の胸の前で手のひらを横に振った。
「いいわよ姉さん。聞きたいことは聞いたから。それでは、お邪魔しました」
「折角ご姉妹水入らずだったのに悪かったわねえ。またいらっしゃい!」
ぺこりと一礼すると、いばらはスタスタと出口の方へ向かっていく。そうして制服の後ろ姿が廊下の曲がり角で見えなくなると、島江はチッと舌を鳴らした。どうやら先の再訪を期待する台詞は看護師としての建前だったらしい。
「全く、小生意気な小娘が。休日に病院に来るなんて迷惑ったらありゃしないわ」
「す、すみません。妹には私から言っておきますので……。それで、急ぎの用ってなんでしょう?」
本人が目の前にいないとはいえ、嫌悪対象の親族を前に堂々と理不尽な毒を吐く。そんな島江の厚顔さに内心辟易しながら、すみれは適当な決まり文句を用いて話題を逸らした。すると島江は、いら立っていた表情を打って変わって深刻なものに切り替える。
「月乃宮さん、落ち着いて聞いてちょうだい。実はね……」
「…………!?」
――本当に大事なのは『患者さんに対して責任を持つこと』よ。
――木嶋さんが本当に医療ミスで亡くなったのなら、ちゃんとそれを公表して謝罪するべきだわ。
つい先ほど、いばらに告げたばかりの矜持。だが、それがものの数分で実現不可能になってしまったことを知り、すみれは思わず立ち眩みを覚えたのだった。
(何があったのかは勉強会の終わりごろに続きを書きます)
(ちなみに正解は既に設定集スレの方に書いてあるものです)
※過去の時系列について考えていたら少し不自然な部分を見つけたので、そこの補完も兼ねた番外編です。
※テコ入れも兼ねて新キャラが登場しています。今後も登場するかどうかは未定です。
※部活設立についての捏造設定があります。
※京子さんの失踪事件についてそれっぽい推理がありますが、実際の真相と違ったらスルーして構いません。
※色々詰め込んだらまた長文になってしまいました、申し訳ありません。
木嶋京子および木嶋一家の失踪、そして木嶋邸の全焼火災。どう見ても事件性の高いそのニュースは全校生徒たちをにわかに騒めかせた。何しろ白羽学園においての彼女といえば、現生徒会長のお気に入りとなった璃々愛に、かつて陰湿ないじめを行っていた女子生徒。当時の変遷を知る生徒たちはもっぱら、璃々愛が百合香の権力を借りて京子に復讐を遂げたのではないかとこぞって推測を立てた。もっともその仮説の真偽は、今日まで明らかになっていないが。
いずれにせよこの一件を機に、百合香への反目を企てる者がさらに減少したことは言うまでもない。家庭一つを丸々抹殺できるような支配者を相手取ろうと考える無謀者は存在しなかったのである。――たった一人の例外を除いて、だが。
◆ ◆ ◆
「えーん! 剣太郎くん、今日も駄目だったよう」
「いや、俺のところに泣きつかれても困るんだけど……」
困惑する剣太郎に構わず、やや大袈裟な泣きのジェスチャーで会話を切り出してきたのは、女子にしてはかなり大柄な身長と体形の同級生。そのショートヘアと同じくゆるふわとした雰囲気をまとう生徒の名前は『足立八重(あだち やえ)』と言った。
彼女は元々、剣太郎と同じく広報部の一員だった。そして部長の千明が部員たちに自主退部を薦めた際、自らの身の安全を優先して退部を選んだ生徒の一人でもある。その後無所属となった八重は新たな楽しみを求め、広報部時代に培ったカメラワークを活かして『映画研究部』を立ち上げようとしているのだが――。
「だってえ、書類の文字も全部綺麗に書いたんだよ? メンバーや顧問の先生だって十分集めたし、条件はちゃんと揃えたんだよ? なのになのに、璃々愛ちゃんったら『広報部の輩が建てる部活なんて承認できない』って言うんだもん! ひどーい!」
「聞いてないし。……まあ、結局あいつらにとってはそれが本音なんだろうね」
自分の迷惑顔を気にしていない八重にため息をつき、それはそれとして璃々愛の言い分に剣太郎は呆れに似た納得を覚えた。
白羽学園で新たな部活動を設立する場合、部員集めや顧問の確保など、いくつかの条件をクリアする必要がある。そして最後に教師たちの審議を経て校長からの承認をもらえば、晴れて新部活が誕生するのだ。とはいえ学園内の権力者が、この冬から生徒会長に就任した百合香にすり替わっている現状では、承認をもらうべき相手も校長ではなく彼女に代わっているのだが。
そしてその百合香と言えば、今日まで映画研究部の設立を否認し続けてきたのだ。八重が用意した書類や部員数などに問題はないにもかかわらず、やれ書類の字が美しくないだのやれ部員のやる気が見えないだのと重箱の隅をつつくような難癖をつけては、八重の申請をことごとく突っぱねてきたのである。しかし実際のところ以上の難癖は生徒会としての建前に過ぎず、璃々愛が言った通り「八重が千明率いる広報部の一員だったから」というのが本当の理由なのだろう。
「むー。別にわたし、会長さんに反逆しようとか考えてないんだけどなあ。ただ学校生活を楽しめればそれでいいのに」
「足立さんが考えてなくても、向こうはそう思ってるだろうさ。……あるいはそれを抜きにしても、単純に嫌がらせってこともあるかもしれないけど」
(続く)
八重が集めた映画部(仮)のメンバーは、その多くが彼女と同時期に広報部を辞めた部員たちだ。当人たちにその意思はなくとも、生徒会としては強制廃部や部長処刑を理由にした反逆を危惧していることだろう。そんな危険性のある集団を部活認定すれば、部費という名の塩を敵に送ることになってしまう。
それに百合香からすれば、前々から自分の周囲を嗅ぎまわっていた千明の行動はさぞかし煩わしかったはずだ。恐らくその腹いせを千明一人の処刑だけでは晴らせず、元広報部員である剣太郎や八重にまでぶつけているのかもしれない。
どのみち部活承認の否認理由が広報部だというのなら、彼女と同じく元広報部員である剣太郎にできることはない。具体案を出せないのなら、これ以上八重の相談を聞いても無意味だと判断し、剣太郎は座っていた席を立った。
「待ってよう。もう少ししたら期末考査で忙しくなっちゃうから、今のうちに承認してもらいたいのにい」
「やめておきなよ。君は前もって退部したからまだマシだけど、それでも出しゃばり過ぎたら部長の二の舞に――」
「呼んだかーい?」
「っ!?」
噂をすれば影。廊下の外に出ようと剣太郎が手をかけた扉が向こうから開く。そこに現れた人物の姿に――より正確に言うなら、その人物の体の状態に剣太郎と八重は絶句した。
「どーしたんですか部長!? 体中怪我だらけじゃないですかあ!」
「どーしたもこーしたも、毎度お馴染み会長ちゃん主催の処刑大会に決まってるだろ? いやー、みんな面白いほど手加減しないね。はっはっは」
「笑ってる場合じゃないですよ! と、とにかく手当しないと……!」
扉近くの柱に寄りかかる姿勢で登場した千明の体は、夥しい量の傷や痣で埋め尽くされていた。制服も血や泥で汚れ、明確に集団暴行を受けたと分かる出で立ちだ。何より千明本人もかなり息を荒げており、いつもの笑顔も生気が半減しているように見える。
このまま放置していては傷が化膿するか、雑菌が入ってさらに状態が悪化してしまう。それを危惧した剣太郎は、救急道具を借りようと急いで保健室の方に向かおうとした。だがそんな彼の行動に、千明は即座に待ったをかける。
「やめとけ。この学園の保健室に行ったって、『処刑対象に手当は必要ない』って門前払いされるのがオチだぜ。それより八(や)っちゃん、ちょっと撮影頼むわ」
「撮影? あー、分かりましたあ」
千明から差し出された彼女のスマートフォンを見て、首をこてんと傾げる八重。しかしややあってその意味を理解するとスマートフォンを受け取り、ボロボロな千明の姿を写真に収め始めた。最初は全身、次は背面、そして顔、腕、脚、腹部などを詳細に撮っていく。二人の様子を見ていた剣太郎は、千明が何をしようとしているのかようやく理解した。
「ぶ、部長……。もしかして、処刑の証拠を集めるために、わざわざ怪我を?」
「正解。処刑対象ってのは、ある意味じゃ処刑制度の実態に一番近いポジションだからな。これでもっと詳しい被害内容が記録できるってもんだ」
にやりと口角を上げながら、千明は制服についているボタンの一つを指さす。一瞥しただけでは分からないが、よく見るとそれはボタン型のカモフラージュカメラだった。恐らくはこのカメラで、処刑として暴力を振るってきた生徒たちの凶行も記録しているのだろう。
過程の動画と結果の静画。あとは怪我の診断書を揃えれば、暴行罪を立証することは十分可能だ。ただしその対象となるのは、今回千明を痛めつけた一部の生徒のみ。彼らを裁いても別の会長派の生徒が湧いて出るだけで状況はほとんど変わらず、増してや直接手を下していない元凶の百合香を告発することは到底できない。相応の収穫があったとはいえ、千明が掲げる目標を考慮すれば、彼女が被った負傷は剣太郎にとって看過できないものだった。
(続く)
「だからって、ここまで無理することないでしょう! これじゃあ処刑制度を明らかにするとか以前に、部長の体が持ちません……!」
「んなもんとっくの昔に承知済みだっての。それにこの間のあれ、木嶋京子ちゃんっていただろ? その一件を考えりゃあ、この程度のリスクを渋ってる場合じゃねえのよ」
「きしまきょーこちゃん……。ああー、十二月の初めにどっか行っちゃった人かあ。それと部長の目標と、何か関係あるんですかあ?」
全焼した自宅を残し、謎の失踪を遂げた木嶋京子と彼女の家族。京子には処刑制度が適用されていたわけではないが、「百合香の機嫌を損ねる真似をした」という経緯と「原因不明の失踪」という末路は他の処刑対象たちのケースと酷似している。その点に限って言えば彼女も処刑制度に関わっているかもしれないと予想できるのだが、それはあくまで生徒間に流れる噂の範疇。十分な信憑性を確立できない情報では、「処刑制度を白日の下に晒す」という目標の足しになるとは到底思えず、八重は撮影の終わったスマートフォンを渡しながら頭上にクエスチョンマークを浮かべる。そんな後輩の疑問に答えるべく、千明は得意げに人差し指をぴっと立てた。
「まず二人とも。木嶋一家失踪事件特集のワイドショーは見たかい?」
「え? あ、はい。地元ニュースでもそうですが、全国放送の番組でも大々的に取り上げられてましたよね」
「わたしも同じの見ましたあ。京子ちゃんたちの失踪理由とか考察してて、すごかったですう」
「すっげー文字通りの小並感。んじゃ次。その番組の中で流れたインタビュー映像は覚えてるか?」
「えーっとー。ちょっとうろ覚えですが、町の人たちが答えてたのですよねえ? みんな怖いなーとか無事だといいなーとかって言ってた……はずですう」
「そう、概ねそんな感じでした。言っちゃあ何ですが、行方不明のインタビューにしては月並みというか……。あんな特集を組むくらいなら、もっと関係の深い人に取材すれば良かったのに…………あれ?」
はたと思い当たったように剣太郎は顔を上げる。言われて思い返せば、あの特集番組には足りないものが一つあった。自分と同じものに行き当たった様子の彼に千明は頷くと、今度は八重に三問目の質問を投げかける。
「じゃあ八重ちゃん。“白羽学園の生徒や教師が失踪事件のインタビューを受けた話”は聞いたことがあるかい?」
「……ああー。言われてみれば、全然聞いたことないですねえ。同じ学校の人なら町の人より、もっといー手掛かりが手に入るって思いそうなのにい」
「その通り。あたしが調べた限りでも、学園関係者が取材を受けたって情報は見つからなかった。あるいは関係者の方が取材拒否した可能性もあるだろうが、全員が全員完全スルーってのは考えられねえ」
「ということは、残る可能性としては……」
「ああ。“会長ちゃんがマスコミに圧力をかけて、白羽学園への干渉を禁止した”だろうな。もし学園関係者が処刑制度に関わる失言をかましたら、そこから自分たちの所業がバレかねねえだろ?」
最終結論に辿り着いた後輩二人に、千明はにっと笑みを浮かべる。だがその表情は満足というより、苦笑いという表現の方が似合った。
広報部員たちに退部を薦めた際、千明は「百合香は警察や裁判所を無力化するほどの力を持っている」と考察した。しかし実際はそれらに加え、報道機関をも抑えつける力を持っている可能性もある。情報を武器とする千明にとって、この新情報は非常に都合の悪い凶報だったのだ。
(続く)
「公的機関も駄目ならマスコミを当てにしようかと思ってたんだけどな。そこも潰されたとなりゃあ、もはや学園の真実は自力で外に持っていくしかない。だからこそ自分の身を犠牲にしてでも、処刑制度の情報を集める必要があるんだよ」
「……なるほど、部長の考えは分かりました。でも、やっぱり俺は……」
「剣くんの言うことも一理ありますう。命あっての物種っていーますし、死んじゃったらその真実も抱え落ちですよう」
「へーきへーき。だってあと一、二ヶ月もすりゃあ合法的にトンズラできるんだぜ? ボコボコになることはあれど、流石に死ぬことはねえだろうさ」
「トンズラ? 部長、どこかに行っちゃうんですかあ?」
「そんな今生の別れみたいな目すんなって。卒業だよ、そつぎょう!」
三月一日。それは高校生活最後の日であり、学修の日々に有終の美を飾る門出だ。そしてこの日を迎えれば、三年生は卒業証書と引き換えに『白羽学園生』の肩書を失う。つまり学園とは無関係の人間になり、百合香の独裁から解放されるのだ。ついでに言えば、学園外の人間には処刑制度を適用することもできないため、理不尽な処刑生活もそこで終了する。それが千明の考える魂胆だ。
「この学園から逃げおおせれば、会長ちゃんにできることは何もなくなる。部外者まで不用意に処刑しようもんなら、それこそ自分の足がつきかねないだろ? あとは持ち帰った証拠を外にぶちまけりゃあこっちのもんよ」
「なるほどお、だったら本当にあとちょっとの我慢なんですねえ! そしたら会長さんも反省して、映画部も承認してくれるかも!」
「そんなに上手くいくかなあ。それに、木嶋さんについての噂が本当なら……」
楽観的な女子二人に対し、不安げに肩を落とす剣太郎。そのタイミングで時間の区切りを告げるチャイムが響く。その音に気付いた剣太郎と八重は、驚いた様子で時計を見た。
「ああー、もうこんな時間だあ。剣くん、そろそろ行かなくちゃあ」
「うん。でも、部長をこのまま放っておくわけには……」
「大事ねえよ。こんなこともあろうかと、ある程度の救急道具は自分で持ってきた。伊達にこれまで処刑制度を調べてきたわけじゃないぜ?」
処刑制度を理由に保健室を頼れないとはいえ、それでも千明の負傷を放置することはできない剣太郎。彼の心配を察した千明は、おもむろに制服のポケットから自前の包帯やガーゼなどを取り出した。ポケットに入る程度の量しかないため十分とは言い難いものの、痛みを凌ぐための気休め程度にはなるだろう。
「なら良いんですが……。でも、手当してもすぐに動かないで、少し休んだ方がいいと思います。怪我だけじゃなくて体力も消耗してるでしょう?」
「うんうん。部長がここにいることは、わたしたちが適当に誤魔化しておきますう」
「オーライ、そこまでしてくれりゃあ十分だ。二人もあんまり油売ってると他のやつらに怪しまれるぜ? そろそろ行きな」
「は、はい! 部長もどうか気を付けて……!」
去り際の瞬間まで自分の身を案じながら、教室を後にした剣太郎と八重。広報部という繋がりは既に途絶えたにも関わらず、それでもかつての部長として慕ってくれている。千明はそんな二人の背中を見送ると、廊下側の窓の下に身を隠してから壁に背を預けた。ここなら廊下からは死角となって見えづらいため、当分は他生徒たちの追撃をやり過ごすことができるはずだ。
後輩たちの手前平気なふりをしていたが、やはり女子の体に容赦のない暴力は堪えたのだろう。千明は目を閉じたまま、しばらくの間ゆっくりと大きな息を繰り返していた。そしてある程度疲労が癒えたところで、不意に口角をニヒルに歪める。
「……ま。ああは言ったけど、あの会長ちゃんが卒業を待ってくれるほど悠長な性格とは思えねえしな」
皮肉のような独り言を呟きながら、メール機能を立ち上げて新規作成画面を開く。その件名欄に入力したのは『遺言書』の三文字だった。