聖書こそ真理と確信している者です。
神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。
>>284
>正確には、その外側はわからないのです。
そうですね。ラジオの話の様に、五感の生物より六感の生物は、より正確に世界を認識出来ます。しかし七感の生物は更に正確に捉えます。そうなるとキリがありません。百感の生物の超正確な認識は、五感の生物の認識と全く異なるかもしれません。しかしより正確であり、より客観的真実に近いと言えます。客観的真実は確かに存在します。それを捉えられる精度に問題があるだけです。
>観測の対象が違います。主観の方では五月蝿さについて観測しているのに、客観の方ではラジオ電波について観測しています。比べるに値しません。うるさいかうるさくないかに正解はありません。五月蝿さの判断基準はそれぞれ違うのですから、
いいえ、ラジオの前と後の両方に於いて、空間が静かかどうかを問題にしています。
神は万物を作ったのに、その産物が神に反すれば滅ぼすというのはそもそも道理が合いません。最初から神に反しないようにすればいいだけの話です。また、自ら作ったものに差別的な扱いをするのも道理ではない。自分の産物は全て自分の責任で受け入れるべきです。
万物を作った神と聖書の神は別物であるとすると、全ての説明が通ります。よって聖書の神は万物の神から作られただけの神という事になる。よって聖書は嘘を書いている。つまり聖書は偽です。
>>284
>質問ですが、新共同訳の聖書はどうですか。悪い聖書ですか?
エホバの名が神、主と書き換えられていることは大きな問題です。
また以下の聖句の通り、トビト記などの外典の追加は危険でさえあります。
啓示22:18
「私は,この巻物の預言の言葉を聞く人たち皆に,次のことを伝えます。これらのことに何かを付け加える人がいれば,神はこの巻物に書かれている災厄をその人に加えます。
細かな点では言えば、ガラテア1:15は幼児洗礼を擁護する為の(意図的な?)誤訳かもしれません。
新共同訳
しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
新世界訳
しかし,母の胎からわたしを分け,その過分のご親切によってわたしを召してくださった神が,
新世界訳(最新版)
しかし,私を母から誕生させ,惜しみない親切によって招いてくださった神が,
しかし誤解を避ける為に言うと、聖書は聖書です。たとえ分かりやすい版、誤解を招く版でも、何も無いよりは助けになります。
>>288
>三位一体、特にキリストは人類の罪を背負って死ぬことで人類を救済なすった。そして三日後に生き返った。
これ即ち神だからこそ人類を救えた。そして人であるからこそ一度は亡くなった。神であり人であることの最大の根拠だ。
アーリアさん、聖書をよく読んで下さい。キリストは「自分で生き返りません」でした。「父に生き返らされた」のです。例えば以下の聖句です。
ローマ6:4(抜粋)
キリストが父の栄光によって生き返らされた
>何度も言いますが、三位一体は同一とはいえ別なのです。位格(人格)が三つある故に別なのです。
三位一体が正しければ、例えば以下の聖句をどう解釈すれば良いのでしょうか。自分で自分に服従するのですか。聖書の教えがチンプンカンプンになってしまいます。
コリント第一15:28
全てのものがキリストに服従させられた後,神の子自身も,全てのものを自分に服従させた方に服従します。こうして,誰にとっても神が全てになるのです。
>>289
>むしろエホバの証人様がお使いの聖書こそ三位一体を否定するために都合よく解釈された聖書なんじゃないですかね。
エホバの証人はとても研究熱心です。彼らの使う聖書は歴史的に見て原本を最も忠実に復元していると思われます。
>今度買って読んでみますかね。
以下の聖句に基づき、販売されていません。
マタイ10:8
ただで受けたのです。ただで与えなさい。
コリント第二2:17
私たちは,多くの人がしているように神の言葉を売り歩いたりせず,
エホバの証人から無料で聖書を貰えます。或いはネットでも読めます。
https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E8%81%96%E6%9B%B8/nwt/%E5%90%84%E6%9B%B8/
>>292
>えッ;‥現代社会がサタンの支配下に置かれてしまったのに!‥ですか?
聖書が書かれる前から、例えばノアの時代でさえ、世界はサタンの支配下に置かれていました。
実質問題無いとは、世界の状態の話でなく、聖書原文の内容の保持についてです。
>>293
多くの教会がサタンの手先になっているのに忠実に継承された??
エホバの名が消されたという大きな問題を除き、聖書自体はかなり正確に継承されました。
しかし多くの教会は聖書の教えに従っていません。最も分かりやすい一例がカトリックです。例えばロザリオの祈りです。
http://hosanna.romaaeterna.jp/prayer/rosary/rosary1.html
一方、聖書の教えはこうです。祈りは暗記したり、言葉を繰り返すものではありません。
マタイ6:7
祈るとき,異国の人々のように同じことを何度も言ってはなりません。その人たちは,多くの言葉を並べれば聞かれると思っています。
因みに聖書でイエスが教えている祈りの模範はこうです。(マリアのことは一切出て来ません。)
マタイ6:9-13
それで,このように祈らなければなりません。『天におられる私たちの父よ,お名前が神聖なものとされますように。 あなたの王国が来ますように。あなたの望まれることが,天と同じように地上でも行われますように。 今日,この日のためのパンを私たちにお与えください。 私たちに罪を犯した人たちを私たちが許しましたように,私たちの罪をお許しください。 私たちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください』。
>サタンは神の下僕なのですか?
サタンは神の僕である天使ですが、反逆者となりました。
>神は万物を生み出した。当然、サタンも生み出した。
神は天使を造りました。その内の一人が自由意志で反逆しました。デビルとは反逆者という意味があります。
>神に反すると滅ぼされるのではないですか?
そうです。先の大臣の例えの通り、一時的に滅びを免れています。
>いつか滅ぼされると言っているだけですか?
終わりの時、サタンの主張が間違っていると完全に証明された後に滅ぼされます。
>>296
>先日の大臣の話を理解されるならば、神が敢えて止めない理由が分かる筈です。
犯行を予告している犯人がいて、なおかつ誰が犯人かわかっているのに殺人が起こるまで逮捕しない警官と同じですよ、よってること。起こってからでは遅いのです。兵は迅速を尊びます。
>人間は矛盾の塊です。良いことが分かっていながら、悪いことをします。誘惑に負けながら、それに勝ちたいと願うものです。例えばアルコール中毒を例に考えることが出来ます。
誘惑と戦っているときはそう思いますが、誘惑に負けた場合は、その状況に甘んじているので、救われたいと思うはずがない。また、洗脳の場合は救われようと思う余裕は一切ない。洗脳されているのだから。
>サタンつまりデビルには「反逆者」という意味があります。神が反逆者にしたのではなく、サタンは自分の意志で反逆し、デビルつまりサタンになりました。
では、なぜエホバは反逆されたか。それはエホバのやり方に不満点があったからでは?
>具体的な時期が明らかにされていなことは、神の知恵であると同時に人の祝福です。終わりの日を経験しない信者も緊張感を保てるからです。
それは予言ではないですよね。例えば、「アタリ社はいつか潰れる」と言った人がいるとします。これは予言ですか? こんなことは誰にでも言えます。
>しかし大量絶滅に危機感を感じた昆虫が、完全変態を考え出し、ノウハウの継承無く一代でぶっつけ本番一発成功したということですか?少し無理があると感じます。
大量絶滅には気候の変化がつきものです。そして、気候の変化は長期間続きます。虫は世代交代が早いので、その間に数え切れないほど世代交代しているはずです。ぶっつけ本番ではありません。
>しかし何故ビックバンは起きたのですか?
宇宙に誕生に関しては、誕生以前がどうやっても調べることができないので明確な答えが出ておりません。トンネル理論によって最初時宇宙ができたなど仮説はいくらかあるようですが。
>今は地球にあるのですか。いつ頃からですか。
あります。少なくとも生命が誕生する直前にはあったはずです。
>命であり呼吸のことです。現代科学では未だ解けない箇所です。
命=血と解釈するとエホバはアダムの体に血と空気を入れたと考えられます。血を心臓に入れ、空気を肺に入れたみたいな具合でしょうか? しかし、体に一切血のないものに血を注いでもどうにもなりません。それに、この解釈だと輸血になってしまうかもしれません。
>極論を言ってしまうと、命の木の実が供えられ、また神に不可能は無い訳ですが、それでも議論してみると、ヘイフリック限界のサンプルは現代人から採取されたのではないでしょうか。未だより完全に近かったアダムやノアから採取されていたなら、限界値が高かったという可能性があると思います。
ヘイフリック限界はテロメアの短縮から分かるが、テロメアに完全も不完全もないだろうし、テロメアを長くしたり短縮を遅らせることもヘイフリック限界には関係ない。つまり種の限界は初めから決まっているということです。
>創世記5章、マタイ1章、ルカ3章に系譜が記録されていますが、ユダヤ人は記録魔でした。且つ暗記魔でもあり、旧約聖書を丸暗記する様な教育が現代でもあると読んだことがあります。
頭はいいでしょう。でもローマ帝国に大敗していますし戦争はちょいと下手ですね。イスラエルのぞいて。
>加えて同時の人々は数百年生きたので、数代前まで辿るだけで良かったのです。当時は「実績」が人々の記憶にリアルに残っていました。もしそうでないとしたら、当時から聖書は一笑されていたでしょう。しかしユダヤの民は真剣に信じていました。
古代中国でも今の中国でも何百年生きたと言っているものがいますが、本当に信じられていたり、新聞や雑誌ぼ類が取り上げたこともありました。科学が進んでいないその時代なら何百年も生きることは可能だと考える人がいてもおかしくない。
東方朔など不老不死の話すら伝承として残っています。不老不死は紀元前2000から1世紀くらいまでは普通に信じられています。中国では8世紀になってもその類の話があります。死にたくない人々の願望が真実味を帯びさせただけです。
>逆に考えてみて下さい。誰かが神話を捏造して人を信じさせようとするならば、何故敢えて人が数百年も生きたと書く「必要」がありますか。信憑性を疑われないこと、曖昧なことだけを書いた方が有利です。しかし聖書の年齢記録は克明です。捏造するならば敢えてその様な突っ込まれどころを作りません。これは「正直な記録」ですので、そうなるのです。
現実的すぎるより、多少突飛な方が人の関心を引きます。事実、不老不死や長寿の伝説は世界中にごまんとあります。それだけ昔の人間は信じてきたわけです。
>私は識者でないので分かりませんが、空が水の層に覆われていたならば、熱が和らげられませんか。
空周辺はそうかもしれません。ですが地表近くはその限りではありません。
>>300
>少し調べてみましたが、論旨が見えませんでした。細胞が再生したら、やがてガンにならなければいけないということでしょうか。ご説明を願えますか。
再生がうまくいかず、不良品が生まれるというようなイメージです。細胞の基本的な行動である分裂・増殖・アポートシスに遺伝子の不具合が加わり、自然治癒能力、免疫等が低下した場合ガン化したりします。
>それが完全にされるので、病にかからなくなります。論旨が分かりませんでした。
罪を犯して不完全になったアダムは病気にかかる可能性があるでしょう。罪を犯す前のアダムは病気にかからないかと思いますが。
>そうですね。難しいですね。例えば天動説です。聖句の誤解で助長されましたが、天動説の起源は聖書で無く、確かギリシャ哲学だったと思います。
ギリシャ哲学はトンデモ理論が多くて困りますね。やはり古代中国の科学力は偉大ですよ。
>>301
>そうですね。ラジオの話の様に、五感の生物より六感の生物は、より正確に世界を認識出来ます。しかし七感の生物は更に正確に捉えます。そうなるとキリがありません。百感の生物の超正確な認識は、五感の生物の認識と全く異なるかもしれません。しかしより正確であり、より客観的真実に近いと言えます。客観的真実は確かに存在します。それを捉えられる精度に問題があるだけです。
静かさや怖さなどは個人の感じ方に全てを委ねるものかと思いますが。
いいえ、ラジオの前と後の両方に於いて、空間が静かかどうかを問題にしています。
ならば第三者(観測者)が静かだと感じる可能性もうるさいと感じる可能性もあるので、絶対的ではないと言えるのでは?
>>303
>エホバの名が神、主と書き換えられていることは大きな問題です。
後ろの解説にエホバ又はヤハウェと書いてありましたが足りませんかね。
>また以下の聖句の通り、トビト記などの外典の追加は危険でさえあります。
ではそこは読まないようにします。
>細かな点では言えば、ガラテア1:15は幼児洗礼を擁護する為の(意図的な?)誤訳かもしれません。
やはり誤訳は避けられませんね。内容を確かめつつ読んでいきたいと思います。
>しかし誤解を避ける為に言うと、聖書は聖書です。たとえ分かりやすい版、誤解を招く版でも、何も無いよりは助けになります。
新共同訳とドン・ボスコ社のものしか持っていないので助かります。
>>297
>全く不可解なのですが。サタンによって書き換えられているのに神の教えが書かれている?サタンは神の信者なのですか?違いますよね?
全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
>違います。サタン聖書とサタン教会を支持している事になります。聖書も教会も偽です。
一般の方でも分かりやすい例を挙げると、サンタクロースは聖書に出てきません。イースターのウサギも出てきません。調べると異教にルーツがあることが分かります。それを祝いで使用する教会は、聖書に忠実ではありません。またエホバは専心を求める神で、異教の混ぜ物を嫌う神です。つまり、その教会は聖書の神の嫌うことをしていることになります。
>それはサタンが神の名を騙っているだけです。なぜなら教会というサタンによって書き換えられているからです。名があるからといって神とは限りません。君はサタンに毒されています。いますぐ聖書を捨てるべきです。
論拠をお示し下さい。
>はて。神は復活するのだから、サタンに神が滅ぼされても神が滅ぼし返す事は可能ですが。第三者によらなければならないという法でもあるのですか?初耳です。是非その根拠を示して頂きたい。
神は復活しません。先ず父なる神エホバを滅ぼせません。イエスのことをお話しなのであれば、そもそもイエスは神ではありませんし、エホバに復活させられたのであって、自分で復活したのではありません。
>十戒に「盗んではならない」とあります。譲渡されたものを勝手に取り上げたら盗みになります。立法したものが法を破っては嘘つきになります。神は嘘つきです。やはり聖書は偽なのです。
日本の法律ではお金を盗んでは罪になります。何故、税務署は税金を徴収出来るのでしょうか。
日本の法律では物を盗めば窃盗罪です。凶器を没収する警察官は窃盗罪に問われますか。
日本の法律では殺人は犯罪です。死刑を課す裁判官そして執行人は殺人罪となりますか。
>君は答えを示していません。なぜなら知らないからです。答えを知らないのだから理解するために考えるなど出来ません。
何の答えを求めていますか。聖書から回答します。
>>>302
>最初から神に反しないようにすればいいだけの話です。
自由意志とは何ですか。神は自由意志をお与えになりました。
(あなたが神を否定しているのも、あなたに与えられた自由意志によります。)
>また、自ら作ったものに差別的な扱いをするのも道理ではない。自分の産物は全て自分の責任で受け入れるべきです。
何処まで親は子の罪の責任を負うべきでしょうか。「全て親が負うべきだ」と主張する子は甘えてはいませんか。
>万物を作った神と聖書の神は別物であるとすると、全ての説明が通ります。
それでは説明が通せるか試してみて下さい。
万物を作った神は作りっぱなしで、人間を放置しているのですか。人間の苦悩に対して何も責任を取らないのですか。
>>308
>犯行を予告している犯人がいて、なおかつ誰が犯人かわかっているのに殺人が起こるまで逮捕しない警官と同じですよ、よってること。起こってからでは遅いのです。兵は迅速を尊びます。
サタンは反逆を予告していましたか。
>誘惑と戦っているときはそう思いますが、誘惑に負けた場合は、その状況に甘んじているので、救われたいと思うはずがない。
アルコール中毒の例えですと、アルコールを飲んだ後、また断酒をしようとしようと思うのではないでしょうか。
>また、洗脳の場合は救われようと思う余裕は一切ない。洗脳されているのだから。
洗脳の定義が難しいです。極論、我々は誰も何かしらの影響を受けているのですから。
>では、なぜエホバは反逆されたか。それはエホバのやり方に不満点があったからでは?
そうです。サタンはエホバの強大さに疑問を投げたことはありません。敵わないのをサタン自ら知っています。ですから、治め方に疑問を投げるしかありませんでした。しかし、サタンの動機は高潔なものでなく、羨みや嫉妬です。
>それは予言ではないですよね。例えば、「アタリ社はいつか潰れる」と言った人がいるとします。これは予言ですか? こんなことは誰にでも言えます。
起こることに対しての預言ですが、起こる時期についての預言ではありません。そうです。誰にでも言えるでしょう。
>>12
のバビロン倒壊の預言とは違います。
今回の預言は特に驚きによって神の言葉の偉大さを裏付ける預言ではありません。しかし将来への希望となっています。こう約束されているからです。
イザヤ55:11
私の口から出る言葉も,成果を収めずに私のもとに戻ることはない。必ず私の望むことを成し遂げ,私が託した使命を確実に果たす。
そしてエホバは約束を守ることに関して、過去にも実績のある方でいらっしゃいます。
ヨシュア23:14
皆さんがよく知っている通り,皆さんの神エホバが話した全ての良い約束のうち,果たされなかった言葉は一つもありません。皆さんにとって全てその通りになりました。果たされなかった言葉は一つもありません。
>全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
思うに、聖書の解釈で自分と違うものは全てサタンの手先としているのではないですか?だから同じ聖書を信じる人であっても、解釈の齟齬からサタン呼ばわりしてるだけではないですか?
他人を否定する事で自分を肯定しようとするのは、同じ理屈で自分が否定されます。そのようなものは真理とは言えません。自分が否定される理屈を自分で作り出しているからです。
>調べると異教にルーツがあることが分かります。
>由来は4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスだというのが一般的です。
カトリックも聖書をベースにしているはずですが。自分以外は全てサタン呼ばわりしているだけですね。実質同じなら異教として否定するべきではありません。サタン呼ばわりするのを撤回するべきです。
そもそもキリスト教をサタンと関連するからと否定したのだから、聖書単独では宗教足りえないはずですが。何教をベースとして異教呼ばわりしてるのでしょうか。矛盾しています。
>論拠をお示し下さい。
論拠も何も、君がキリスト教をサタンと関連するからと否定したではありませんか。
>神は復活しません。先ず父なる神エホバを滅ぼせません。
はて。そうすると人間を滅ぼす理由はありません。同罪報復によれば滅ぼされたら滅ぼして良い事になります。神が滅びないのなら人間を滅ぼす道理がありません。
>日本の法律では
窃盗と税務は関連がありません。凶器を没収出来るのは法定されているからです。死刑執行は殺人罪になりません。これも法定されています。
十戒には日本の法律は記載されていません。何が言いたいのですか?十戒に盗むなとあるのだから神も盗んではいけません。自由意思を認めたのだから神を否定しても神は文句は言えません。しかし滅ぼすと言う。全く辻褄が合いません。やはり矛盾しています。
否定したら即滅ぼすというのも飛躍のしすぎです。聖書が教え導くべきです。従わなかったら滅ぼすとはとんでもない教師がいたものです。まあサタン聖書なのだから矛盾していても仕方ないでしょう。
>何の答えを求めていますか。聖書から回答します。
これに回答していません。
>>252
>>サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
>多くの人がここで悩みます。私の場合、遠回りをした為に20年以上を理解に要しました。自由意志、そして神の公正さについて、深く考察してみて下さい
プログラミングをする際、バグを生じないようにしますよね。万一バグが生じたら書き直すものです。
神もバグを生じないよう、自分の理想とするプログラムを作れば良い。しかし神に反するプログラムはずっと残ったままだし、布教をするキリスト教を任せるという不始末もしている。神を否定した人間を滅ぼすとしているのに、神を否定するサタンは滅ぼさないばかりか助長させている。神とはサタンなのですか。とっても不思議ですね。
>自由意志とは何ですか。神は自由意志をお与えになりました。
自由な意思活動の事だと思いますが。違うのですか?
そもそもなぜ人間にだけ自由意思を与えたのでしょうか。現代では動物にも自由意思が認められていますが。エサを選択していますよね。聖書からお答えください。
>>また、自ら作ったものに差別的な扱いをするのも道理ではない。自分の産物は全て自分の責任で受け入れるべきです。
>何処まで親は子の罪の責任を負うべきでしょうか。「全て親が負うべきだ」と主張する子は甘えてはいませんか。
差別の話であって罪の責任ではありません。親の子に対する扱いの責任を問うものであり、子の行動の責任の話ではありません。
それと親は未成年の子の責任を負います。法定されているので甘えだとするのは法律の責任です。
神が作ったものは完全ですか?違いますね。なぜなら聖書で教えようとしているからです。完全なら教える必要はありません。不完全な存在を作った神に全て責任がある。人間を滅ぼす前に不完全な存在を作った神自身を滅ぼすべきです。
>万物を作った神は作りっぱなしで、人間を放置しているのですか。人間の苦悩に対して何も責任を取らないのですか。
人間ばかりか万物を放置してますが。なぜ人間だけ責任を取らなければならないのでしょうか。理解に苦しむ質問です。
苦悩があれば楽しい事もある。苦悩に対する責任として楽しい事も与えています。何ら責められる理由はありません。道理としても適切です。
聖書ではこのような事を教えていますか?いませんね。万物神より劣るからです。
>>314
>サタンは反逆を予告していましたか。
神は全知全能なのですから、サタンが予告しなくともわかっているはずです。神は導きます。なんでサタンを反逆する直前に導いてあげることができなかったのか。
>アルコール中毒の例えですと、アルコールを飲んだ後、また断酒をしようとしようと思うのではないでしょうか。
飲んだ後というのは、誘惑と戦っている時です。
>洗脳の定義が難しいです。極論、我々は誰も何かしらの影響を受けているのですから。
洗脳とは、簡単に言えばある人の考えを変えることです。つまり彼らは神のもとを完全に離れているのです。
>そうです。サタンはエホバの強大さに疑問を投げたことはありません。敵わないのをサタン自ら知っています。ですから、治め方に疑問を投げるしかありませんでした。しかし、サタンの動機は高潔なものでなく、羨みや嫉妬です。
では治め方のどこに不満があったか、それを考えましょう。
>起こることに対しての預言ですが、起こる時期についての預言ではありません。そうです。誰にでも言えるでしょう。
では、価値はないも同然です。
>今回の預言は特に驚きによって神の言葉の偉大さを裏付ける預言ではありません。しかし将来への希望となっています。こう約束されているからです。
信じるのは信者だけ。希望を感じるのも信者だけです。
>そしてエホバは約束を守ることに関して、過去にも実績のある方でいらっしゃいます。
過去に守っていたとて、今後も守るとは言えません。忠臣が主君を裏切った例はいくらでもあります。
>>309
>大量絶滅には気候の変化がつきものです。そして、気候の変化は長期間続きます。虫は世代交代が早いので、その間に数え切れないほど世代交代しているはずです。ぶっつけ本番ではありません。
完全変態はキリンの首が世代を経て徐々に伸びるのと違い、成功しないなら死を意味してしまうので、失敗したならば、次世代に功績を継承・蓄積出来ません。ということは一代でぶっつけ本番一発成功が必要なのではないでしょうか。
>宇宙に誕生に関しては、誕生以前がどうやっても調べることができないので明確な答えが出ておりません。トンネル理論によって最初時宇宙ができたなど仮説はいくらかあるようですが。
それであれば、神がビックバンを起こしたとも言えてしまうのではないでしょうか。
>あります。少なくとも生命が誕生する直前にはあったはずです。
そうであれば、土という素材からアダムが作れたことになりませんか。材料が揃っていたことになります。
>命=血と解釈するとエホバはアダムの体に血と空気を入れたと考えられます。血を心臓に入れ、空気を肺に入れたみたいな具合でしょうか?
興味深い考え方ですね。
創世記2:7
それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
血の空気を吹き入れたのか?私には分かりません。
>しかし、体に一切血のないものに血を注いでもどうにもなりません。
何故ですか。
>それに、この解釈だと輸血になってしまうかもしれません。
神が与えるならば問題ありません。神は命の与え主ですから。
以下は比喩的な表現ですが、イエスでさえこう仰っています。
ヨハネ6:53-56
そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています。
>ヘイフリック限界はテロメアの短縮から分かるが、テロメアに完全も不完全もないだろうし、テロメアを長くしたり短縮を遅らせることもヘイフリック限界には関係ない。つまり種の限界は初めから決まっているということです。
人間が世代を重ねて不完全さが蓄積していく際、テロメラーゼの活性が弱まっていった、或いは失われたと考えるのはどうですか。
>現実的すぎるより、多少突飛な方が人の関心を引きます。事実、不老不死や長寿の伝説は世界中にごまんとあります。それだけ昔の人間は信じてきたわけです。
なるほど、そういう考え方も可能ですね。しかしいわゆる伝説や神話では、創世記5章の様な具体的な記述があるのですか。
>空周辺はそうかもしれません。ですが地表近くはその限りではありません。
再度調べてみました。私が間違っている様です。すみません。
創造当初、確かに雨が降らない時期があり、確かに聖書での降雨の最初の記載は大洪水の際です。しかし大洪水の前にも既に雨が降っていたと推測されます。論拠は川があったことです。と言うことは、既に雨があったと推測出来ます。
創世記2:10
エデンから1本の川が流れ出ていた。川は庭園を潤し,そこから分かれて4本の川になっていた。
>>310
>再生がうまくいかず、不良品が生まれるというようなイメージです。細胞の基本的な行動である分裂・増殖・アポートシスに遺伝子の不具合が加わり、自然治癒能力、免疫等が低下した場合ガン化したりします。
人類が未だ完全に近い場合、ガン化の可能性が低下すると解釈出来るので、論旨が見えません。
>罪を犯して不完全になったアダムは病気にかかる可能性があるでしょう。罪を犯す前のアダムは病気にかからないかと思いますが。
その通りです。
>ならば第三者(観測者)が静かだと感じる可能性もうるさいと感じる可能性もあるので、絶対的ではないと言えるのでは?
第三者の必要性が分かりません。ラジオのボリュームを最高にしても、この例えの要点は変わりません。
確かにラジオを持ち込んだ本人が難聴でしたら、静かなままかもしれませんが、この例えの要点はそこではありません。
>311
>後ろの解説にエホバ又はヤハウェと書いてありましたが足りませんかね。
本文は分かりにくいままです。何故ならエホバもイエスも主と表現されてしまうので、主という語が誰を指すか不明瞭です。
そもそも後ろに解説する位ならば、何故、本文で復元しないのでしょうか。
>新共同訳とドン・ボスコ社のものしか持っていないので助かります。
はい。何も無いよりも圧倒的に良いと思います。誤解をしない様に注意して読む必要はあります。
どうもスレ主は聖書が真理と言っておきながら、その実、厳しい批判に耐える事で聖書は正しいと信じようとしているのではないでしょうか。しかし批判に耐えているとは思えません。その場しのぎの言い訳に終始し、矛盾を拡大しているようです。やはり聖書は真理を示してはいないのでしょう。
真に真理を知っている場合、それは伝わりません。多くの人にとってはとても厳しいものだからであり、とても受け入れがたいものだからです。甘い言葉ほど人々に伝わります。キリスト教は権力者に対し言いがかりをつける事で、弱い人たちの支持を多く集めてきました。これをニーチェはルサンチマンと批判しました。広まりやすい言葉ほど恣意的な内容を含み、真理から遠ざかるものと言えます。
もっとも、スレ主の場合は聖書の内容が厳しいというよりは批判の方が厳しくて広まっていないようですが。
>>315
>実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
では何処が実質違うのか具体的に示して頂けますか。
>思うに、聖書の解釈で自分と違うものは全てサタンの手先としているのではないですか?だから同じ聖書を信じる人であっても、解釈の齟齬からサタン呼ばわりしてるだけではないですか?
例を挙げて話しましょう。聖書の何処にマリア崇敬が薦められているのかお示し下さい。
>由来は4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスだというのが一般的です。
狼は羊の皮を被ります。より深く調べて下さい。何故トナカイを使うのですか、何故トナカイは空を飛ぶのですか。聖書の何処に、その由来が見つかりますか。
>カトリックも聖書をベースにしているはずですが。自分以外は全てサタン呼ばわりしているだけですね。実質同じなら異教として否定するべきではありません。サタン呼ばわりするのを撤回するべきです。
先の聖母マリア崇敬を聖書から擁護出来ますか。
カーリーさん、そろそろ具体的な話をしませんか。
>>318
>>318
>完全変態はキリンの首が世代を経て徐々に伸びるのと違い、成功しないなら死を意味してしまうので、失敗したならば、次世代に功績を継承・蓄積出来ません。ということは一代でぶっつけ本番一発成功が必要なのではないでしょうか。
いいえ、蛹は言わば生体の再構築であって、失敗しても、生存できる可能性はあります。羽がない、足が足りないというような具合です。その段階まで行ける理由はよくわかりません。大量絶滅の直後というのは例外中の例外なのですから。
>それであれば、神がビックバンを起こしたとも言えてしまうのではないでしょうか。
反論する前に1つ質問。神は時空にいますか。
>そうであれば、土という素材からアダムが作れたことになりませんか。材料が揃っていたことになります。
生命が生まれたのは海であって土からではありません。
>興味深い考え方ですね。
ありがとうございます。時間があれば検証してみたいと思います。
>何故ですか。
生命は血や空気のみから生まれるものではなく、輸血の相手に血があってこそですから。もっとも、神の力ならできるかもしれませんが。
>神が与えるならば問題ありません。神は命の与え主ですから。
ありがとうございます。それならば安心です。
>人間が世代を重ねて不完全さが蓄積していく際、テロメラーゼの活性が弱まっていった、或いは失われたと考えるのはどうですか。
失われたら死んでしまいますよ。テロメラーゼ活性が強いとガン発生率が高まってしまいます。すると昔の人はガンだらけであったということになります。今でさえガン患者が多いのに、です。
>なるほど、そういう考え方も可能ですね。しかしいわゆる伝説や神話では、創世記5章の様な具体的な記述があるのですか。
場合によります。中国の仙人だと詳しい説明があったり、ただ自称しているだけだったりしますが。八仙などは恐らく長寿ですが、説明が詳しいです。
>>319
>人類が未だ完全に近い場合、ガン化の可能性が低下すると解釈出来るので、論旨が見えません。
テロメラーゼ活性の強弱と寿命やガンとの関係から寿命を取るかガン発生率低下を取るかになってしまいます。寿命が長いのなら、ガン発生が増えます。
>第三者の必要性が分かりません。ラジオのボリュームを最高にしても、この例えの要点は変わりません。
客観を第三者と表したのみです
>確かにラジオを持ち込んだ本人が難聴でしたら、静かなままかもしれませんが、この例えの要点はそこではありません。
静かさは本人が決めること。あらゆることは我々の概念により支えられています。
>>322
ところでアナタが心酔するその「エホバ…」の教団なのですが、日頃はどのような活動を主にされているのでしょうか?
ちなみにアナタご自身もさぞや有意義な社会貢献などをなさっておられる事かと存じますが、
出来たら参考までに具体的な活動内容等を教えては頂けませんか?
サタンに支配されたとされる歪な現代社会に於いて、神によって唯一その頸木から逃れる事を許された方々が
どれほど高潔で模範的な日常を過ごしておられるのか…凡俗たる自分としてはたいへん興味がありますゆえ。
>>315
>そもそもキリスト教をサタンと関連するからと否定したのだから、聖書単独では宗教足りえないはずですが。何教をベースとして異教呼ばわりしてるのでしょうか。矛盾しています。
先ず聖書が何を教えているか見てみたいと思います。
申命記6:4-5
聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです。 あなたは,心を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければなりません。
神はエホバであると書かれています。
以下の通り、律法学者の質問に答える際、イエスご自身、同聖句を引用されました。
マルコ12:29-30
イエスは答えた。「第一はこうです。『聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバであり, あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない』。
対して律法学者はこう答えます。
マルコ12:32
律法学者は言った。「先生,『神はただひとりであり,そのほかにはいない』と,真理に沿ってよくおっしゃいました。
この律法学者の発言も以下の申命記の聖句に基づいています。
申命記4:35
エホバこそ真の神であることをあなたが知るためです。そのほかにはいないのです。
イエスは彼の回答が合っていると認めます。
マルコ12:34
イエスは,この人が的確に答えたのを見て,「あなたは神の王国から遠くありません」と言った。
つまり神は一人だけであり、エホバだけだということです。
パウロも父なるエホバだけが神であり、子であるイエスは神と区別して「主」と述べています。
コリント第一8:4-6
神はひとりしかいないことを知っています。 多くのものが「神」や「主」と呼ばれており,天や地のさまざまな神が信じられていますが, 私たちには父であるひとりの神がいて,この方によって全てのものがあり,私たちはこの方のために存在しています。また,ひとりの主イエス・キリストがいて,この方を通して全てのものがあり,私たちはこの方を通して存在しています。
イエスは主であり神でないことを確認しました。では崇拝すべき対象は誰でしょうか。
ルカ4:8
イエスは答えた。「『あなたが崇拝すべきなのはエホバ神であり,この方だけに神聖な奉仕をしなければならない』と書いてあります」。
イエスのこの答えは下記の聖句が基になっています。
申命記10:20-21
あなたの神エホバを畏れなさい。この方に仕え,しっかりと付き,その名に懸けて誓うべきです。 この方こそあなたが賛美すべき方で,あなたの神であり,
続きます。
>>315
イエスは主であるが神ではなく、また崇拝すべきは唯一の神であるエホバだと聖書で確認しました。
カーリーさんが提起した異教の話に戻ります。色々な異教やギリシャ哲学の要素が、世のキリスト教会には混ざっています。先の確認事項を踏まえた上で、今回はマリア崇敬を考えてみます。
確認出来た通り、イエスは神ではないので、マリアは神の母ではありません。また崇拝はエホバだけが対象であり、マリアに捧げるものではありません。
マリアは信仰のある素晴らしい女性でした。しかし崇敬の対象ではありません。マリアを讃えた女性にイエスはどう反応したでしょうか。
ルカ11:27-28
イエスがこれらのことを話していたところ,群衆の中からある女性がイエスに大声で言った。「あなたを産んで乳を飲ませた女性は幸福です!」 しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」
イエスは「その通りです。私の母を讃美しなさい」とは言いませんでした。
これらの聖書の教えに反して、イエスの死の約400年の後、西暦431年のエフェソス公会議にて、マリアはテオトコス(神の母)と宣言され、特別な立場が与えられました。
さてエフェソスとはどの様な土地だったでしょうか。以下の聖句にも記録されている通り、女神アルテミス信仰が盛んな都市でした。
使徒19:34-35
みんなからいっせいに叫び声が起こり,彼らは約二時間もの間,「偉大なのはエフェソス人のアルテミス!」と叫びたてた。最後に,市の記録官が,群衆を静めてからこう言った。「エフェソスの皆さん,エフェソス人の都市が,偉大なアルテミスと天から降ってきた像との神殿を守護する者であることを知らない人がいったいいるだろうか。
女神信仰の盛んな土地でした。世のキリスト教は女神的要素を取り入れることで、改宗のハードルを下げ、信者を増やしました。教義を曲げることで、勢力を拡大しました。権力が真理より優先されました。つまり背教行為です。
>>315
>論拠も何も、君がキリスト教をサタンと関連するからと否定したではありませんか。
背教したキリスト教会、そうでないキリスト教会があります。その教会の教えと聖書の教えとを照らし合わせると見極められます。
>はて。そうすると人間を滅ぼす理由はありません。同罪報復によれば滅ぼされたら滅ぼして良い事になります。神が滅びないのなら人間を滅ぼす道理がありません。
掟の話をするのであれば、等価の法則だけでなく、以下も予め定められていました。
創世記2:17
しかし,善悪の知識の木の実は,食べてはならない。それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである」。
申命記30:19-20
私は今日,天と地を証人にして,あなたの前に,命と死,祝福と災いを置きました。あなたは生きるために,命を選ばなければなりません。あなたもあなたの子孫もです。 すなわち,あなたの神エホバを愛し,神の言うことを聞き,神にしっかり付くのです。
>窃盗と税務は関連がありません。凶器を没収出来るのは法定されているからです。死刑執行は殺人罪になりません。これも法定されています。
上記の通り、滅びも制定されていました。
>十戒には日本の法律は記載されていません。何が言いたいのですか?十戒に盗むなとあるのだから神も盗んではいけません。自由意思を認めたのだから神を否定しても神は文句は言えません。しかし滅ぼすと言う。全く辻褄が合いません。やはり矛盾しています。
司法者には司法権があり、法に則して行うならば、窃盗や殺人罪にならないという論旨です。
>否定したら即滅ぼすというのも飛躍のしすぎです。聖書が教え導くべきです。従わなかったら滅ぼすとはとんでもない教師がいたものです。
そうです。その為に神は長らく待っているのです。
ペテロ第二3:9
エホバは約束を果たすのが遅いと考える人もいますが,そうではありません。神は,一人も滅ぼされることなく,全ての人が悔い改めることを望んでいるので,皆さんのことを辛抱しているのです。
>>322
>>326
>しかし誤解を避ける為に言うと、聖書は聖書です。たとえ分かりやすい版、誤解を招く版でも、何も無いよりは助けになります。
>どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです
>全部書き換えられたのではありません。エホバという神の名が、神、主という語に置き換えられました。その他の内容は実質同じです。
>それ以外の点では、聖書の内容は忠実に継承されました。完璧ではありませんが、少なくとも実質問題が全く無い程度であることは写本研究者の一般的な見解でしょう。
@聖書は誤解を招くものである
Aしかし神の名が違うだけで実質同じであるという
B聖書の教え自体は何ら変更はない。教え自体は何ら誤解を招くものではない。しかし誤解を招くという。
C教派によって忠実さに差があると見ているようだ。しかし聖書は誤解を招く内容ではないので差は無いはずである。また、誤解を招く版だとしても、聖書の内容は神の名以外は実質問題が全くないので、聖書は初めから誤解を招くものだという事になる。教派によって忠実さに差があるとしても、それは元々の聖書がおかしいという事になる。
よって聖書は真理を語っていない。
>>実質同じ?サタンとは神に反するものですよね?神に反するのになぜ実質同じなのですか?
>では何処が実質違うのか具体的に示して頂けますか。
>サタンつまりデビルには「反逆者」という意味があります。神が反逆者にしたのではなく、サタンは自分の意志で反逆し、デビルつまりサタンになりました。
ご自身でこのように説明していますよね。混ぜっ返すようなことはしないで頂きたい。
>狼は羊の皮を被ります。より深く調べて下さい。何故トナカイを使うのですか、何故トナカイは空を飛ぶのですか。聖書の何処に、その由来が見つかりますか。
>先の聖母マリア崇敬を聖書から擁護出来ますか。
聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
>私たちの神エホバはただひとりのエホバであり, あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない
「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
>イエスは彼の回答が合っていると認めます。
イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
>つまり神は一人だけであり、エホバだけだということです。
イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。イエスは「「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。 」これは>>261で指摘した事です。
>イエスがこれらのことを話していたところ,群衆の中からある女性がイエスに大声で言った。「あなたを産んで乳を飲ませた女性は幸福です!」 しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」
>イエスは「その通りです。私の母を讃美しなさい」とは言いませんでした。
イエスは母より神の言葉を守る人をより幸福だとしているだけで、母を否定していません。母を賛美するなとは言っていません。マリア崇敬は否定していません。
また十戒では「父母を敬え」とあります。マリアを敬うのは何ら間違いではありません。
>マリアは信仰のある素晴らしい女性でした。しかし崇敬の対象ではありません。マリアを讃えた女性にイエスはどう反応したでしょうか。
よってこれは明らかに矛盾します。聖書は偽だとする証明がまた出てきました。もう終わりにしましょう。聖書は矛盾しています。真理など語っていません。
>背教したキリスト教会、そうでないキリスト教会があります。その教会の教えと聖書の教えとを照らし合わせると見極められます。
聖書の教えは神の名以外は実質同じと証言してましたよね。そして君は神の名がエホバである聖書こそ正しいとしていましたよね。君にとって正しいのは実質的に同じな聖書の教えではなく、聖書に書かれた神の名だけのはずです。「教えを照らし合わせると」は理屈が合いません。神の名を照らし合わせるとなら正しいはずです。
>掟の話をするのであれば、等価の法則だけでなく、以下も予め定められていました。
滅ぼすのはやりすぎ、に対する反論ではありません。命を選べというものと神が滅ぼすというものは全く別の話です。
>上記の通り、滅びも制定されていました。
上記に滅びはどこにも書かれていませんが。ひょっとして死が滅びと言っているのですか?不死の人間なんて存在しませんよね。信じるか否かに関わらず、人間は死ぬ、つまり滅んでいますよね。信じなければ死ぬなんて全く説得力がありません。
>司法者には司法権があり、法に則して行うならば、窃盗や殺人罪にならないという論旨です。
神は滅ぼすとしています。与えた自由な命を勝手に奪おうとしています。法に則していません。勝手に命を奪った場合、神は罪になるという話になります。
>そうです。その為に神は長らく待っているのです。
不信者を滅ぼそうとしているのに悔い改めるまで待っている?一体何がしたいのか理解出来ません。
>>315
>これに回答していません。
>サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
>真の愛や信仰には自発性が必要です。強制されては本当の愛も信仰も無い。神は天使や人間に自由意志を与え、本当の愛や信仰を持つ機会を与えて下さいました。
サタン(天使の一人)やアダムが神への反逆に自由意志を誤用しても、独裁者の様に反逆者を即処刑とせず、公正に物事が証明されるまで、時間を取って忍耐されることにしました。
(その間、私達は悔い改め、自らを変革する時間も得ました。)
神は邪魔されているのではなく、全てを完全に愛と公正に満ちた方法で行う為、邪魔を一時的に許していると言えます。
>プログラミングをする際、バグを生じないようにしますよね。万一バグが生じたら書き直すものです。 神もバグを生じないよう、自分の理想とするプログラムを作れば良い。
例えるならば、プログラマーへの反逆さえ許したプログラムを敢えて書かれました。
>現代では動物にも自由意思が認められていますが。エサを選択していますよね。聖書からお答えください。
動物もエサの選択位はします。そもそも本能は優れた知恵です。しかし動物に理性はありません。
ペテロ第二2:12(抜粋)
本能的に行動する,理性のない動物
>>317
>神は全知全能なのですから、サタンが予告しなくともわかっているはずです。
神は能力を「選択的に」用いられます。例えば全能とは「全てを行う、行わなければいけない」のでなく「望むこと全てを行える」ことです。例えば神は裏切りを行わない選択をします。
全知も同じです。「全てを知っている、知らなければならない」のでなく「知ろうと思うこと全てを知れる」能力です。
これは有難いことです。ありとあらゆること全てが予め決まっているわけではない、ということです。つまり自由意志が可能になり、努力をする意義が生まれます。自分の未来を変えることが出来るということです。
確かに神は将来の大枠は決めておられます。しかし細部や個人個人の将来まで決めていません。いわば粗筋のみ決められた小説と小説家に例えることが出来ます。
全てを行わなければならない、知らなければならないのであれば、全能ではありません。行わない、知らないという選択も出来てこそ全能ですから。
>神は導きます。なんでサタンを反逆する直前に導いてあげることができなかったのか。
聖書は人間に宛てた神の言葉ですから、エホバが天使を当初どの様に導かれたかの記載はありません。
(天使用の聖書に相当するものがあれば、そこに書かれているでしょう。)
しかしアダムを教えたことから推測すると、きっと天使も教えたのかもしれません。
>では治め方のどこに不満があったか、それを考えましょう。
エホバのやり方自体には問題はありません。
創世記3:4-5
蛇は女に言った。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。
サタンがエホバのやり方に異議を唱えた時、「死にません」とサタンは嘘をつきました。サタンは嫉妬に駆られているだけでした。
>過去に守っていたとて、今後も守るとは言えません。忠臣が主君を裏切った例はいくらでもあります。
論旨は何ですか。過去の実績の価値はゼロでしょうか。信頼は成立しない概念ですか。
>>321
>どうもスレ主は聖書が真理と言っておきながら、その実、厳しい批判に耐える事で聖書は正しいと信じようとしているのではないでしょうか。
粗捜しに耐えることで自身の信仰は強まります。また議論することで、自身の研究にもなります。聖書真理を説明することで伝道にもなります。
>真に真理を知っている場合、それは伝わりません。多くの人にとってはとても厳しいものだからであり、とても受け入れがたいものだからです。
この掲示板で、真理は伝わっているとは言い難いでしょう。以下の聖句の通り、聖書の基準は高く、厳しいものでもあります。
マタイ5:28-29
女性を見続けて情欲を抱く人は皆,すでに心の中で姦淫をしたのです。そこで,もし右目があなたに罪を犯させているなら,えぐり出して捨て去りなさい。体の一部を失う方が,全身をゲヘナに投げ込まれるよりは,よいのです。
>甘い言葉ほど人々に伝わります。キリスト教は権力者に対し言いがかりをつける事で、弱い人たちの支持を多く集めてきました。これをニーチェはルサンチマンと批判しました。広まりやすい言葉ほど恣意的な内容を含み、真理から遠ざかるものと言えます。
以下の聖句をお読み下さい。果たしてイエスへの信仰は万人受けしやすい簡単なものでしょうか。
ヘブライ11:35-38
さらに勝った復活を経験するために,何らかの贖いによる釈放を受け入れなかったので,拷問に掛けられました。 さらにほかの人たちは,あざけられたり,むち打たれたりしただけでなく,鎖につながれたり,投獄されたりすることによっても試練を受けました。 彼らは石打ちにされ,試され,のこぎりで切り裂かれ,剣で切り殺され,身に着ける物は羊やヤギの皮で,困窮し,苦難を味わい,虐待されました。世は彼らにふさわしくなかったのです。彼らは砂漠や山々,また洞窟や地下の穴をさまよいました。
聖書はとても高い基準を求めています。多くの優しさがありますが、厳しさもあります。
>>323
>いいえ、蛹は言わば生体の再構築であって、失敗しても、生存できる可能性はあります。羽がない、足が足りないというような具合です。その段階まで行ける理由はよくわかりません。大量絶滅の直後というのは例外中の例外なのですから。
足が無い、羽が無いと不完全になれば、その子供も不完全の影響を受け、進化どころか退化してしまいませんか。ですから、ぶっつけ本番一発成功が必要だと感じるのですが。
>反論する前に1つ質問。神は時空にいますか。
神は霊者であると聖書は教えています。聖書の記述を見ると、物理世界に存在出来るが、物理世界には縛られない様です。
>生命が生まれたのは海であって土からではありません。
進化論ではそうですが、創造論では人間は土からです。
>>334
>足が無い、羽が無いと不完全になれば、その子供も不完全の影響を受け、進化どころか退化してしまいませんか。ですから、ぶっつけ本番一発成功が必要だと感じるのですが。
事故で腕をなくした人の子供は腕がないのですか? いいえ、ありますよね。遺伝的欠損でない限り、子は正常かと思います。成虫原基が正常に動かなかっただけでしょうから。彼らは父の失敗を知っているのですから。蛹は父より完全な形でできるでしょう。
>神は霊者であると聖書は教えています。聖書の記述を見ると、物理世界に存在出来るが、物理世界には縛られない様です。
困りました。少なくとも宇宙誕生前の物理世界には時空はないので(微量な量子はある)神はそこには存在出来ません。
>進化論ではそうですが、創造論では人間は土からです。
生物はまず海で生まれました。それが陸に上がっただけ。つまり、生物を作る物質も海にあると考えるのが普通です。
だが実は進化論にも創造論にも馴染まないのが主に昆虫などの虫類です。
彼らの多くは神による設計図も無く進化もせずに、いきなり最終形態として地上に出現し、何億年を経た現在もほぼそのままの形で存在しています。
個体絶対総数に関してのみ言うならば、彼らこそが地球の支配者であると言っても過言では無いと思うんですけどね?
>>336
昆虫は虫の中で上陸(というか誕生)が最も遅いから甲殻類などから進化したとも言えなくもない。甲殻類などの虫はカンブリア紀の大昔からいるから何も問題はない。
個体数だと、生物の範囲では圧倒的に菌類です。それ以外ならカイアシ類ですかね。でもアリも結構多い。
>>337
>甲殻類などから進化したとも言えなくもない。
だが大半の甲殻類は脱皮による成体化が基本なので、どー考えてもサナギ(完全変態)化へと至るルートが無い。
>個体数だと、生物の範囲では圧倒的に菌類です。
でも菌類は各個体としての自立性があまりにも乏しいので、それはどうかと思う。
>>323
>>324
>失われたら死んでしまいますよ。テロメラーゼ活性が強いとガン発生率が高まってしまいます。すると昔の人はガンだらけであったということになります。今でさえガン患者が多いのに、です。
>テロメラーゼ活性の強弱と寿命やガンとの関係から寿命を取るかガン発生率低下を取るかになってしまいます。寿命が長いのなら、ガン発生が増えます。
現代科学が全てでないことを知っていますし、神は何でも出来ると信頼していますが、私は識者ではないので、ここら辺でヘイフリック限界の話は止めておきます。ヘイフリック限界という知識が得られて良かったです。
比喩的な表現かもしれませんが、聖書にこう書かれています。もしかすると樹木にヒントがあるのかもしれませんが、分かりません。
イザヤ65:22
私の民の寿命は木の寿命のようになる
>客観を第三者と表したのみです
>静かさは本人が決めること。あらゆることは我々の概念により支えられています。
客観的な尺度はデシベルで計測出来る筈です。ラジオを持ち込む前と後で、計測値に変化が出ます。
>>325
>ところでアナタが心酔するその「エホバ…」の教団なのですが、日頃はどのような活動を主にされているのでしょうか?
全ての人間は不完全ですから、エホバの証人も不完全です。またサタンの支配する時代に生きていますので、悪に勝つことは本当に大変です。しかし聖書研究に熱心な故、聖書の正確な知識を多く持ち、聖書の教えを当てはめて生きようと精一杯真剣に努力しています。
エホバの証人が自分達を端的に紹介した1分半程のビデオがあります。内容に相違無いこと、私は個人的に知っています。
https://tv.jw.org/#ja/mediaitems/VODMinistryTools/pub-imv_5_VIDEO
>ちなみにアナタご自身もさぞや有意義な社会貢献などをなさっておられる事かと存じますが、
出来たら参考までに具体的な活動内容等を教えては頂けませんか?
先のビデオの通り、自分の出来る範囲で精一杯、聖書を日々学び、伝道活動を行なっています。
>サタンに支配されたとされる歪な現代社会に於いて、神によって唯一その頸木から逃れる事を許された方々が どれほど高潔で模範的な日常を過ごしておられるのか…凡俗たる自分としてはたいへん興味がありますゆえ。
エホバの証人も不完全な人間です。各自、毎瞬間、自分の不完全さと戦っています。負けることもあります。しかし諦めないで戦い続けています。
>>329
@〜Cの件に関して、例えで説明します。
写本の歴史的観点でより正確な聖書(新世界訳):
「床を掃除しなさい」と山田先生が言った。
名前が称号に置き換えられてしまったが、内容は実質的に同じ聖書(その他の殆どの聖書訳):
「床を掃除しなさい」と先生が言った。
後者では先生が誰だか分からなくなりました。山田先生だか加藤先生だか曖昧になりました。文脈を研究しないと誤解を招きます。
(神がエホバかイエスか分かりにくくなった状態)
しかし「床を掃除しなさい」という指示は同じです。この意味で、後者でも実質は同じと述べました。後者でも、何も無いよりはよっぽど良い情報です。
そして前者でも後者でも、先生の指示に忠実かどうかは、床を掃除するかで分かります。
(同じ様に、聖書の教えに従っているかどうかで、偽の教会を見分けることが可能です。)
>聖書の中身は詳しくはないのですが、聖書にトナカイの記述が無いとしても、聖書が偽だから無いだけ、とも考えられますね。聖母マリア崇敬?それも同じ説明で足ります。聖書が偽であるのは冒頭で証明しました。
キリスト教徒にとって、聖書は神の言葉です。聖書を正とせず、教会の教えを正とするならば、教会組織を神よりも上に置いていることになってしまいます。
>「私たちの」であって「あなた」ではありません。明らかに「わたしたち」と「あなた」を区別しているのに、神は同じだと挿げ替えています。「わたしたち」と「あなた」は別なのだからエホバを愛する理由がありません。論理的におかしい。
文脈から、「あなた」は「私たち」の一人です。
>イエスが勝手に言ってるだけで理屈が存在しません。こんな事誰でも言えます。
キリスト教徒とは、イエス・キリストに従う者、です。そうであれば、イエスが言ったことを正とするでしょう。
>イエスにとっての神は一人だけというだけです。イエスにとってこれが真理というだけです。
イエスが、エホバは「私たち」そして「あなた」の神と述べています。これはイエスだけでなく、イエスに従う人々(キリスト教徒)も真剣に受け止めるべきことです。
>サタン(天使の一人)やアダムが神への反逆に自由意志を誤用しても、独裁者の様に反逆者を即処刑とせず、公正に物事が証明されるまで、時間を取って忍耐されることにしました。
>(その間、私達は悔い改め、自らを変革する時間も得ました。)
これ。単に滅びるまで耐え続けるというだけではないですか?こんな程度なら聖書に限らず誰でも言えます。誰でも真理を言えます。
>例えるならば、プログラマーへの反逆さえ許したプログラムを敢えて書かれました。
全く不可解です。それで反逆したら滅ぼすとは。滅ぼす動機が存在しません。よって矛盾します。
>しかし動物に理性はありません。
動物は許可が出るまでエサを食べないで待つ等、本能を抑える事が出来ます。よって理性はあります。
聖書が出来た当時では動物に理性はなかった、という反論が出来るかもしれませんが、縄文時代から犬は人間のパートナーであったとされるので、その説明は無理があります。犬が人間に懐くのは本能だ、という反論では、人間のする行為全て本能で説明出来てしまうので、人間にも理性が無い事になります。要するに詰んでいます。つまり矛盾です。
>全知も同じです。「全てを知っている、知らなければならない」のでなく「知ろうと思うこと全てを知れる」能力です。
既に知っている事を知ろうとは思いません。全能を実行するには能動的な意思が必要なので選択という説明は可能ですが、全知は全てを知っているという意味です。
>これは有難いことです。ありとあらゆること全てが予め決まっているわけではない、ということです。つまり自由意志が可能になり、努力をする意義が生まれます。自分の未来を変えることが出来るということです。
これは全知全能の立場で決まっていないという事ですよね。全知全能でも無理があるという説明が先にあります。そうすると、つまり以下は全知全能の立場を表しています。全知全能が自由意思が可能?努力をする?自分の未来を変える?全知全能は自由意思がもともとあるし全能だから努力など不要だし未来なんていくらでも知れるし変えようがあります。全く不可解な説明です。
>全てを行わなければならない、知らなければならないのであれば、全能ではありません。行わない、知らないという選択も出来てこそ全能ですから。
全能と挿げ替えていますが全知の話をしていません。そもそも不完全な人間に全知全能の立場を知る事が出来ません。よって君は説明をする事が出来ません。だからこのように矛盾します。
>粗捜しに耐えることで自身の信仰は強まります。また議論することで、自身の研究にもなります。聖書真理を説明することで伝道にもなります。
どれも達成出来ていないように思います。
>この掲示板で、真理は伝わっているとは言い難いでしょう。以下の聖句の通り、聖書の基準は高く、厳しいものでもあります。
>聖書はとても高い基準を求めています。多くの優しさがありますが、厳しさもあります。
目玉一つを欠損しようが真理探究には影響しません。真理探究に対しては何の厳しさもありません。聖書の基準はただの禁欲主義であり的外れです。禁欲は真理ではありません。
それとヘブライ11:35-38ですか。王国をいくつも打ち破り、とありますね。権力者が負けると描く事で弱者の支持を集めているとも言えます。「キリスト教は権力者に対し言いがかりをつける事で、弱い人たちの支持を多く集めてきました」と矛盾しません。
聖書の真理がこの掲示板で伝わっていない理由は、単に聖書が矛盾しているからです。
>>342
カーリーさん、現時点では私達の議論は無駄と分かりました。今後、当面はあなたに返信致しませんが、ご了承下さい。お互い、時間と労力を別のことに使うのが有益でしょう。
つまり聖書は私に屈したという事ですね。なぜなら聖書は真理ではないからです。私が真理です。聖書など捨てなさい。エホバなど捨てなさい。
345:伝道者◆zc:2019/04/23(火) 21:34 ID:e3o >>335
>事故で腕をなくした人の子供は腕がないのですか? いいえ、ありますよね。遺伝的欠損でない限り、子は正常かと思います。成虫原基が正常に動かなかっただけでしょうから。彼らは父の失敗を知っているのですから。蛹は父より完全な形でできるでしょう。
勿論、只の人の出産であれば分かります。しかし完全変態は、芋虫が一旦ドロドロに液体化し、蝶になるプロセスです。失敗したらグチャグチャです。そのグチャグチャの個体が次世代に退化を継承させず、むしろ進化が継承出来るというのは、ちょっと感覚的に同意し難いです。生殖出来るかさえ怪しいでしょう。
そもそも「完全変態で進化しよう」と芋虫が思いつき、計画するのでしょうか。PDCAのサイクルを世代を超えて行うのですか、結構、無理がありませんか。
>>335
>だが実は進化論にも創造論にも馴染まないのが主に昆虫などの虫類です。
何故、創造論にも馴染まないとお考えなのか興味があります。
因みに聖書には以下の様に書かれています:
創世記1:20-21
神は言った。「水は生き物でいっぱいになれ。飛ぶ生き物が大地の上方を,空を飛ぶようになれ」。 それから神は,さまざまな種類の,海の大きな生き物や水の中を群がって動く生き物を創造した。さまざまな種類の,羽のある飛ぶ生き物も創造した
創世記1:24-25
神は言った。「陸に,さまざまな種類の生き物が現れよ。さまざまな種類の家畜と野生動物と地面を動く生き物である」。するとそのようになった。 神は,さまざまな種類の野生動物,さまざまな種類の家畜,地面を動くさまざまな種類の生き物を造った。
昆虫では悩んでいませんが、かつて私はバクテリアあたりで悩んだことはあります。
>>338
>だが大半の甲殻類は脱皮による成体化が基本なので、どー考えてもサナギ(完全変態)化へと至るルートが無い。
昆虫は完全変態するものより不完全変態するものの方が先に誕生している。不完全変態は脱皮であるから甲殻類からの進化と考えていい。
>でも菌類は各個体としての自立性があまりにも乏しいので、それはどうかと思う。
自律性のことですか? だとしたら菌類のそれは昆虫に劣ることは確か。個体数が多いことを条件とするならば菌類が頂点と言えるけど。
人は罪深い状態にあり、救われることが必要である。
聖書はこの様に述べています。
かつて、私は聖書を揶揄して、「崖に突き落としておいてから救いを差し伸べるインチキな手の様だ」と思っていました。
かつて、私は自分自身を良い人間、少なくとも道徳的にマシな人間と思っていました。
しかし私は麻痺していました。私自身の道徳的基準が下がっていたのです。こう自問した時、それが明らかに分かります。「私の全ての考えや行動が万人に知られたら、私は恥ずかしい思いをしないだろうか?」私はきっと恥ずかしい思いをしたでしょう。
あなたはどうでしょうか?
道徳的基準が下がっていて、自分も下がっていることに気付かない状態、つまりそれは崖に既に落ちている状態です。それでも崖の上にいるのだと自らを欺いていました。確かに私は間違っており、聖書が正しいことを述べていました。
自分を変えるのは本当に大変です。しかし聖書は罪の原因、理由、内面からの本当の自己変革の動機付け、導き、支え、慰め、力、希望など、必要な全てを与えてくれます。
さてここで一つ真理を示そうと思います。
人間は無駄であると気づくのが我慢できません。人生は有限であり、努力に費やした時間が無駄であると思いたくないからです。
時間に余裕があればやり直しも利くのですが、年を経るごとにやり直しづらくなるでしょう。長い時間をかけて努力してきたのなら尚更です。今までの苦労が無駄であり、やり直すための時間もないとすれば、今までの苦労を何とか肯定しようとするのはごく自然な事です。
宗教がまさにこの典型になります。多くの場合、宗教は教義があるだけで理屈が存在しません。信仰しなければ滅びるなんてただの決めつけです。よって理屈によって否定されてしまう事になります。
そもそも思想は多様化するべきであり、一つに偏るのは危険であります。偏った思想が否定された場合、冒頭の理由で自分を何とか肯定しようとし、そのために他人を否定し、争いが起きるからです。
そのような事にも気づかず、マイ宗教を押し付けようとするのは、争いを拡大するだけであり、万人に受け入れがたいものである事は明白です。
最近のニュースでは宗教絡みのテロが複数報道されていますが、一神教同士の争いが多いように思います。一神教では思想が偏りがちなのでしょう。
特に一神教を信奉する人はこのような理由により、頑固になって、一生懸命自分を肯定しようとするのでしょう。きっと永久に分かり得ないのだと思います。真理足りえません。
私は世界のこと、人生のことにつき、様々な思想を見聞きし、その中に満足するものが見つからなかった為、何年も掛け、自分の知性と感性を傾け、ゼロから独自の思想体系を作り上げました。
それに飽き足らず、理論からでなく、直接的な体験から真理を得ようとも試みました。
しかし全ては虚しいものでした。それは私を幸せにも、より善良な人間にもせず、私は人生に絶望したままでした。
しかし、聖書について深い知識と理解を持つ誠実な人々に出会い、聖書を再考慮してみました。以前は熱心に批判していた聖書ですが、どんなに試みても粗が出ず、むしろ本当に素晴らしいものだと分かり、ようやく真理を見つけたと確信出来ました。
以下の聖句は以前の私を的確に描写しています。
格言3:7
自分は賢いと思ってはならない。エホバを畏れ,悪から離れよ。
コリント第一3:18-21
誰も自分を欺いてはなりません。皆さんの中に,今の体制において自分は賢いと考える人がいるなら,その人は愚かになりなさい。そうすれば,賢くなるでしょう。 この世の知恵は神にとっては愚かなものだからです。「神は,賢い人がその人自身のずる賢さに捕らわれるようにする」と書かれています。 「エホバは,賢い者たちの考え方がむなしいことを知っている」ともあります。 それで,誰も人間のことについて誇ってはなりません。
自分自身の知恵を誇りにしている間、誰も真理に辿り着くことは出来ません。しかし本当に優れた知恵を一度見出したなら、後は全き信頼を持って謙遜にそれに従うことが本当の賢さとなります。誇りではなく謙遜さに中に、本当の賢さを見つけました。